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撮影こぼれ話 増上寺と芝大神宮「め組の半鐘」

◆増上寺はどんなお寺?
今回歩いたのは芝増上寺とその周辺。江戸を感じられる東京の名所としては筆頭に上がるであろう場所だ。

増上寺は徳川家の菩提寺であり、浄土宗のお寺である。歴代将軍の霊廟もある。同じく徳川家の菩提寺として上野の寛永寺があるが、寛永寺は天台宗だ。宗派の違う増上寺と寛永寺がどちらも徳川家の菩提寺だというのだから不思議なものである。

創建当初は上野の寛永寺は菩提寺ではなかったそうで、3代将軍家光が帰依したことで菩提寺の地位を得たのだという。当然、増上寺側は面白くないので反発していたそうだ。最終的には歴代将軍の墓所は増上寺と寛永寺それぞれに交代で造営するということに落ち着いたという。

二代将軍の秀忠は現在の増上寺に隣接する形で、台徳院殿という豪壮な墓所が造営された。しかし、この墓所は戦争で大半が焼けてしまった。現在は焼け残った惣門を見ることができるくらいである。

動画内では惣門の他に確認できる数少ない台徳院霊廟の痕跡として、かつての水路の石組を紹介した。実はこれは昔のブラタモリをなぞったもの。ここで紹介した水路跡はブラタモリで紹介されているのを見て初めて知った。ちなみに現場には説明版もあったのだが、文字がすっかり薄くなっていてほとんど判読不能だった。ただしネット上には鮮明な文字の頃の写真も見つかるので、内容はそれで分かる。

動画では採用しなかったが、増上寺境内にはブッシュ槙なる樹が植わっている。一読意味不明な樹だが、ブッシュアメリカ大統領(パパの方)が副大統領の頃に来日して、植えて行ったコウヤマキの樹だという。40年近く前の植樹だが、木としてはまだ若い部類のようでそう大きいものではない。

そうかと思えば三解脱門をくぐったすぐ目の前には立派な松が植わっており、これはグラント松と名前がついている。こちらは何と明治12年に植えられたもので、第18代のアメリカ大統領グラント将軍のお手植えである。樹齢は概ね140年。大きいわけである。

昔から外国人受けのいいお寺だったということだろう。

◆芝大神宮の「め組の半鐘」
動画では冒頭で紹介した芝大神宮。実は撮影自体は一番最後に行った。芝公園駅からスタートした関係で、そういう順番になった。

さて、動画内ではかつて撮った写真を紹介した程度だったが、「め組の半鐘」について、捕捉で説明しておこう。この半鐘を有名にした事件は、「め組の喧嘩」とも言われ、多くの芝居や講談のネタにされる事件だ。

ことの発端は芝大神宮で行われていた相撲において、め組の辰五郎が本来見物料を払うべき知人を無銭見物させようとしたことにある。当然、入口で口論になる。辰五郎らは一旦は引き下がったものの、その後見に行った芝居小屋に、先ほど口論をしていた力士がたまたま来たものだから、遺恨再燃となった。そこから火消しVS力士の町を挙げた大ゲンカに発展する。そのケンカに際して火消し側が仲間を呼び集めるために使ったのが「め組の半鐘」だ。

江戸の華とも言われるケンカ沙汰だが、面白いことにこの事件の解決には、町奉行・寺社奉行・勘定奉行の三奉行が加わって、合議によって決するという大変珍しい展開を生んだ。これが世間の注目を集めた大きな要因らしい。

その裁きの中で、なんとくだんの「め組の半鐘」は、喧嘩を煽ったということで遠島の処罰を受けている。無機物を罰するというのも面白いが、遠島になった半鐘は明治になるまで芝大神宮に戻ってこられなかったそうだ。事件が起きたのが1805年なので、少なくとも半世紀以上は島流しを喰らっていたわけだ。

東京街歩きチャンネル 増上寺周辺の意外なアレコレを散策

https://youtu.be/LoTc_12rres

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