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新聞奨学生時代の思い出(9)


鍼灸学校は夜間部へ入学した。夜間部は社会人が多いため、比較的真面目でやる気のある学生が多いと思ったからだ。実際、入学してみると、昼間部は授業中に泣き叫ぶ赤子を抱いている学生や、新聞を読んでいる学生、ペチャクチャとお喋りが止まぬ高卒間もない学生などがチラホラいて、校内の定期テストで赤点を取る者も少なくなかった。夜間部の学生は30~50代の中年がほとんどで、60代の女性が1人と10代の男性が2人いたが、60代の女性は途中で自主退学、10代の2人は共に国試で不合格となった。

夕刊の配達はおおよそ14時から16時まであったため、18時から授業が始まる夜間部は、新聞奨学生にとっては都合が良かった。しかし、16時に配達を終え、少し休憩してから電車で登校するとなると、あまり時間的余裕がない。学校には、学生と教員共用のバイク駐輪可能な大きな駐車場が併設されていたため、中型バイクでの登校を考えたが、その当時は普通免許と原付免許しか持っていなかった。

同じ新聞販売店で働く仲間に、私より1~2歳年上で小太りのMさんという男性がいた。彼は生まれ故郷である九州南部の某田舎で多重債務の取り立てから逃れるため、お気に入りの高価なエアガンとホンダの黒いCB400を友人と物々交換し、そのCBに乗って約1,000キロ離れた新聞販売店まで辿り着き、偽名を使って新聞配達員としてのんびりと過ごしていた。

身近で中型バイクを操る人はMさんしかいなかったため、私は彼に「バイクで学校に行こうかと思ってるんだけど」と相談した。すると、Mさんは「じゃあ、このバイクただであげるから、スズキのRF400のローンを俺の代わりに組んでくれない?ちゃんと毎月ローン支払うからさ」と言った。どうやら、Mさんは普段から「借金ブッちぎってきた」と豪語するだけあって、実際にバイクを買うだけの蓄えもなければ、ブラックゆえにローンも組めないらしかった。

「でもまだ中型バイクの免許持ってないし、他人の代わりにローン組むのもなぁ」と答えると、Mさんは「バイクの免許が一発で取れるように乗り方も教えてあげるからさ!毎月ちゃんとお金も渡すよ!」云々と、不退去罪で訴えられそうなセールスマンのようにしつこく迫ってきた。ローンを組むことを渋る私を前に、Mさんは千載一遇のチャンスとばかりに、何が何でも深紅のRF400RVを手に入れてやろうという気迫が凄まじかった。ちなみに、Mさんの口癖は「男は黙ってスズキ!」、もしくは「男は黙ってアライ!」で、ヘルメットはアライのジェット型を所有していたものの、乗っているバイクが未だホンダであることが不本意らしかった。

それから数日経ち、某国道に隣接し、何年もマンション建設予定地として放置されていた近所の広大な空き地で、「あそこならバイクの練習ができるんじゃない?」とMさんに提案された。結局、私はCB400の無償譲渡&運転教習を交換条件に、Mさんに代わってRF400RVのローンを契約することを了承してしまった。もちろん、Mさんが借金を踏み倒した「だらず」な男であることは重々承知しており、当時、彼が新聞屋以外に逃げる場所がないことや、仕事ぶりが真面目で更生しようとしている態度が感じられたこと、何より彼が誰にでも優しく正直であったことが、名義貸しすることへの抵抗感を弱めさせていた。また、当時の私は無知であったから、土地の所有者に許可を取る必要があることや、名義貸しが宜しくないことなどをちゃんと理解していなかった。

RF400R/RVは、所謂「スポーツツアラー」の名称で売り出されていた、スズキ製バイクの一種である。RF400R/RVは、RF600R、RF900Rとほぼ同じフレームを使用していたため、RF900R用の21Lの燃料タンクを流用したり、GIVIのキャリアベースやMRAのロングスクリーンを装着すれば、大きなフロントカウルと相まって防風性と積載性は抜群で、400ccながらも、ロングツーリングは非常に快適だった。また、タンデムシートの形状が比較的広かったため、普段はゴルフⅣカブリオレのクロスメンバーを積んでみたり、

(※真似しないでください)

レカロシート(ST-DC)を積むこともできた(※敷地内での移動)。

(※真似しないでください)

ちなみに、当時のスズキは他車種との共用部品が多かったため、RF400Rにはイナズマ400の5.5Jホイールを、スイングアーム付近の小加工(RVに流用する場合はトルクロッドの位置を要オフセット)で装着することができた。タイヤが太くなれば見た目も良く、高速時の安定性も増してさらに快適になった。

RF400の欠点は前後期共に、構造上スタータースイッチへ水が侵入しやすいことと、稀にイグナイターとレギュレーターが壊れるくらいで、定期的にキャブ清掃&同調を取ったり、チョークワイヤーに給油していればエンジン始動もスムーズで、スズキ特有の変態的要素も少なく、作りは質実剛健なバイクだった。GSX-R譲りのゴツい鉄フレームであったため、取り回しが重く、倒した時や押しがけする時などは大変だったが、高速走行時は重量が利点となり、安定した走行を楽しめた。

ちなみに、RF400Rは初期型、RF400RVは後期型で、RVにはカウル両サイドの小物入れ、ハザードランプ、時計などが追加された。特筆すべきは、RVには可変バルタイのVCエンジンが搭載されたことで、全般的なツーリング性能はRを勝っていた。RV唯一の不満点と言えば、荷掛けフックの形状が改悪されたことと、ハンドルバーが若干アップになったことだった(おそらく荷掛けフックはR用とアッセンブリ交換可能)。

深紅のRF400RVを売っているバイク屋は、確か横浜あたりにあったと記憶している。店主は恐ろしく感じの悪い輩だったが、ローン審査は問題なく通り、間もなくして、Mさんの元に深紅のRF400RVが納車された。中古にしては外装にほとんど傷のない美車で、念願のRFを手に入れたMさんは、毎日上機嫌だった。それまで、Mさんは、自宅アパートと新聞販売店の往来には社用のヤマハMATE90を使用していたが、月2回の電話番の日の朝は、必ずアライのヘルメットを被ってRFに跨り、新聞販売店に現れ、バイクに全く興味のない同僚たちにバイクのウンチクを語ったり、RF自慢をしながら、新聞販売店の水道を勝手に使い、ピカピカになるまでRFを洗車するのがお決まりだった。

バイクの教習はほぼ毎日、空き地に散在していた紅白のパイロンを勝手に集め、実際の一発試験を想定して厳しく行うことになった。特にスラロームと急制動、一本橋の練習に比重を置き、Mさんが手本を見せたあと、私が真似をする、という繰り返しで、アクセルの基本的な開け方や、体重移動の方法などを体に叩き込んだ。Mさんはダラズであったが、バイクの運転は何故か上手だった。借金から逃れるため、友人も親族も、地元に一切合切捨ててきたMさんにとって、新天地でバイク乗り仲間を増やすことは、残りの人生を楽しく過ごすためにも、とても重要なことであるらしかった。

Mさんの懇切丁寧な指導のおかげもあり、中型バイクの一発試験には数回の受験で合格した。結局、Mさんからは毎月30,000円ほどを徴収し、バイクローンは1年半余りで無事完済した。Mさんのローンを完済する頃になると、純朴な青年だった私は、Mさんが毎日のように語るRFの魅力を刷り込まれ、ブラックのRF400Rを購入してしまった。Mさんには走行マナーや装備品の重要さなど、バイクのいろはを色々と教えてもらい、今でも感謝している。

ちなみに、同じ新聞販売店で働いていた、いつもニヤニヤしながらの独り言が絶えない新婚のKさんは、MさんのRF洗車現場を定期的に目撃しており、ある時、「このバイクかっこいいね!俺もまたバイク乗ろうかなぁ。中型の免許あるし」と伏目がちにつぶやいた。これを聞いたMさんは、「じゃあ、KくんもRF買っちゃいなよ!ローン組めばすぐ買えるよ!色違い買って3人で一緒にツーリング行こうぜ!」云々と、まるで借金地獄へと誘い込むローン会社のセールスマンのような文句で言葉巧みに迫り、結局、KさんもシルバーのRF400Rを購入した。

その後、Mさんが定期購入していた、今は無きジパングツーリング(通称ジパツー)の購読が、毎月の楽しみになっていたバイク中毒のKさんと私は、いつの間にか、Mさんが乗る深紅のRFに連なり、箱根や奥多摩、富士五湖など、休日に野郎3人、RF3台で共にツーリングへ出かけることが趣味になっていた。奥多摩へ行った帰りに、KさんがRFで初めて首都高環状線を走り、「RFって面白いねぇ!」と興奮しながら、伏目がちにつぶやいた姿が忘れられない。いつかは全国のRF乗りが会する、RFミーティングへ皆で一緒に行こう、と語り合っていた。

しかし、私が鍼灸学校を卒業し、新聞配達を辞めた後は、Mさんは近所のコンビニエンスストアへ転職、Kさんは新聞屋の営業ノルマで忙しくなり、結果的に、3人とも互いにすれ違い生活となり、次第にRFに乗って出かける機会は少なくなった。結局、野郎3人の儚い友情は、数年間の淡い思い出を残し、虚しく消え去ってしまった。


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