シオランの解説書を読んだ

 2019年の下旬は反出生主義が盛り上がった折だった。『現代思想』で特集が組まれ、プロたちがああでもない、こうでもないと言っているのを見て、「ついにこの日が来たか」と柄にもなくワクワクしていた。が、案の定、アレがピークだったのだろう。グーグルスカラーで検索する限り、反出生主義をテーマとした新たな日本語の論文は世に出ていないようである。もしかすると、反出生主義バブルは弾けてしまったのかもしれない。
 ブーム終盤の昨年末、大谷崇氏による、ペシミズムの大御所シオランを解説した異色の新書『生まれてきたことが苦しいあなたに――最強のペシミスト・シオランの思想』が発売された。ずっと読もう読もうと思っていたのだが、懐事情により今になってようやく手に入った次第である。ポップな表紙とあまりにも直球勝負なタイトルなので、三十路間近の僕はちょっと買うのが恥ずかしかったし、本棚に置いておくのも少々むずかゆい。同書のあとがきによれば、このタイトルは商業的な事情が入り込んだもので、著者の本意ではないらしい。とはいえアマゾンでは西洋思想関連書籍でベストセラー1位になっているので、著者の妥協は功を奏したのだろう。

 さて、はじめに断っておくと、反出生主義者を自称しておきながら、僕はあまりシオランの著作を読んだことがない。『生誕の災厄』と『絶望のきわみで』をパラパラとめくったことがある程度である。シオランの著作は、難解というわけではないのだが、詩的で、価値転倒がしばしば起こるので、読んでいるとすぐにお腹いっぱいになってしまう。はっきり言って積ん読になりやすいタイプの本ではないかと思う。だから、こうした解説書が出てくるのは非常にありがたい。

 この本の結論は、「シオランは失敗した、挫折した、中途半端な思想家であり、ペシミストである」という一文にまとめられている(p.288)。おそらくその通りなのだと思う。
 結局自殺できなかったし、解脱もできなかったし、内縁の妻の他に40歳以上年下の愛人までいた。例えるなら、自殺しなかった太宰治のような人なのかもしれない。シオランは決して“こちら側”の人間ではない。つまり、持たざる者が自己を投影し続けるに足る思想家ではないはずだ。だからシオランは二流の思想家だ、などと言うつもりは毛頭ないが、哲学者とも作家ともつかないところにもまた、彼の中途半端さがあると思う。あるいは、彼が夭逝していれば、真のカリスマになっていたのかもしれない。

 個人的に、(詩的な面以外で)シオランの思想として興味深いのは以下の二点である。

 第一に、自殺をある程度肯定している点。大谷氏の解説によれば、シオランは生まれてこないことこそが最上だと考えているが、次善策として自殺にプラスの評価を与えている(p.112-113)。
 同じく反出生主義者として括られるショーペンハウアーは、意志の否定という目標に反するために自殺を退けた。ものすごく雑にいえば、ショーペンハウアーは、自殺は逃げだと考えているのだろう。

 人類の段階的絶滅を目指すベネターも、自殺は推奨しておらず、最終的には「生への非合理的な愛」や「残された人たちが害悪を被る」という点に訴えかけている(『生まれてこないほうが良かった』p.227)。
 反出生主義と安楽死肯定はイコールではないが、密接に関係しているのは事実だろう。シオランからどれだけ倫理的なエッセンスを引き出せるのかは未知数だが、他のペシミストと比較すれば、安楽死との相性は良いのではないだろうか。

 第二に、「怠惰」に肯定的評価を与えている、つまり、「労働クソ喰らえ」と主張している点である。シオランは高校教師を1年やったほかは、ほとんど定職に就かなかったという(p.67)。じゃあどうやって食っていたかといえば、ヒモである。ここでもまた“こちら側”との断絶を感じるのだが、ともあれ、ノーベル賞の打診まで受けた思想家が怠惰を掲げているのは気分が良い。人生における害悪の大部分は、労働が占めている。

 最後に全体の感想を。この本はシオランの思想について詳しく書かれているが、読後感がすっきりするような本ではない。著者はシオランの中途半端さに積極的な意味を見出そうとしているが、読者側としては、ただただペシミズムの不毛さを突き付けられるだけという印象である。半分は伝記のようでもあり、タイトルに反して、反出生主義について論じられている部分は少ない。だが、入門書としてはよくできているし、そもそもペシミスティックな本を読んですっきりしたいという考えが間違っているのだろう。

参考文献
大谷崇 (2019)『生まれてきたことが苦しいあなたに――最強のペシミスト・シオランの思想』星海社新書.
デイヴィッド・ベネター (2017)『生まれてこないほうが良かった――存在してしまうことの害悪』(小島和男・田村宜義訳) すずさわ書店.

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