シャネルの時計戦略

前にブルガリの時計戦略のエントリを書いたが、本稿ではシャネルの時計戦略を外部情報を基に考察する。

何人かの時計業界関係者から「最近は時計専業メーカーよりもファッションブランドなどの時計の方が面白い」といったコメントを耳にする。実際に2019年の売上高上位50ブランドのランキング(LuxeConsultとMorgan Stanley調べ)を見ると、専業メーカー以外のブランドとしてははカルティエ (3位)、ブルガリ (15位)、ピアジュ (19位)、ショパール (21位)、モンブラン (24位)、エルメス (26位)、グッチ (29位)、ヴァンクリーフアーペル (30位)、ビクトリニックス (31位)、シャネル (33位)、カルバンクライン (36位)、ハリーウィンストン (37位)の12社が挙げられ、それなりにファッションブランドやジェリーブランドの存在感はあると言えるだろう。

これらが面白い理由は結局のところ①時計に本腰を入れているブランドが多い、②後発しかも時計専業ではないために大胆な差別化を狙っている、ことの二点であると筆者は理解している。そしてその中でもかなりユニークな取り組みをしているブランドの一つとしてシャネルがあると思っている。以下ではまずは同社の近年の動きを説明し、その後に筆者なりの理解を述べていきたい。

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[図1 J12]

シャネルが初めて時計に参入したのは1987年であるが同ブランドが時計でブレイクしたのは初の男性向け腕時計として2000年に発売されたJ12 (図1)である。このモデルは特徴的なデザインは記憶に残りやすく、また加工が難しいセラミックをケースの素材として用いており発売当初から話題になった模様である。初出は黒のみであったが、2003年には白のモデルも投入し今では男女問わず人気のあるモデルとなっている。ただこのモデルはデザインや素材こそは面白いものの(時計愛好家の多くがこだわる)ムーブメントという面では外部の汎用ムーブメントを使用しており「本格時計」というよりはファッション時計と位置付けられてきたと見える。同ブランドが初の自社ムーブメントを搭載した時計を発売したのは2016年のムッシュードゥシャネルである (図2)。これは240度のレトログラード分表示とジャンピングアワーウィンドウという極めて斬新なデザインでありかつそのムーブメントは機構的のも外観的にも独特であり、発売当初はかなりの話題になるとともに多くの関係者から好意的に評価された。

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[図2 ムッシュードゥシャネル]

これらの裏では同社は多くのM&Aを行っている。シャネルの高級時計部門の設立当初から付き合いのあった大手外装サプライヤーのG&Fシェトランを1993年に買収しており、また1997年には創業間もない(1991年)ベル&ロスと資本提携をしている。さらに2011年には高精度の部品製造技術および自社ブランドを持つローマン・ゴディエに出資し、2016年にはロレックスグループに所属するチューダーが設立したムーブメント会社のケニッシの株式を20%取得している。そして2018年にはFPジュルヌブランドを持つ高級腕時計メーカーであるモントルジュルヌの株式を20%程度取得している。シャネル初の自社ムーブメントの大半はローマン・ゴディエが手がけている模様で、また2019年に発売されたJ12にはケニッシが手掛けるムーブメントが搭載されているようである。このようにシャネルのM&Aは原則としては支配権を持つのではなく少額出資に留め出資先の自由度は守りつつ、サプライ面で良好な関係を築く方針であるとされている。(モントルジュルヌがシャネルを選んだのはそれが理由と推測されている。)

ここまでが同ブランドの一連の動きであるが、以下は筆者の(外部情報のみを基にした時計業界の素人なりの)推測である。

おそらくシャネルとしては2000年代までは時計にどれだけの経営資源を投入するか、より厳密にはファッションブランドとしてガワだけを作るだけにするのか、外装やムーブメントまで内製化して本腰を入れて取り組むのかの意思決定をしていなかったのではないかと考えられる。ただ2000年のJ12のヒットにより自信を深めて後者の戦略を取る意思決定を2000年代半ばにしたと思われる。その結果がローマンゴディエへの出資と考えられる。その際にブルガリのように完全買収をするのではなくマイノリティ出資に留めている理由は、言い換えるとM&Aの戦略的意図は、信頼できるサプライヤから高品質なムーブメントや部品を安定供給を確保することであったと推測される。自社でムーブメントは開発しつつ(そうすれば自社ムーブメントを名乗れる)、製造そのものは外製化するという戦略を採ったと考えられる。特にスウォッチグループに所属し、グループ内外の数多くのブランドにムーブメントを供給するETAが2002年にグループ外への供給を停止することを宣言していたため(その後、スイス政府の仲裁も入り大幅にその期限は延長された)、本格的に時計事業を展開するためには良質なサプライヤの確保は必須であり、それは経営課題であったと考えられる。

ムーブメントの安定供給は特にシャネルにとっては重要であったと考えられる。多くのブランドはスウォッチグループ、リシュモングループ、LVMHグループの三大グループに所属しているのに対して、シャネルはそのいずれにも所属していなかったために他ブランドのようにグループ内で開発・製造機能を共有するという方法が採れなかったためである。このような事情があったため少数の株式を保有することで安定供給を実現したと考えられる。

これは提供側の戦略であるが、商品戦略としては同ブランドはおそらくは「J12を中心とした既存のコレクションで安定的にキャッシュを稼ぎながら、圧倒的にユニークなムーブメントを持ったコレクションを展開しブランドエクイティを向上し単価アップを実現する」というのが基本線ではないかと考えている。前者に関してはJ12が既に人気を博していたためこれまで述べた通り課題は供給問題でありそれは出資によって解決されたと考えられる。特にロレックスグループに所属するケニッシと資本提携をすることで、高性能そして価格も比較的リーズナブルなムーブメントを確保できほぼ解決したのではないだろうか。実際に2019年のJ12ではケニッシのムーブメントが用いられている。後者に関して補足する。後発のファッションブランドが本格時計で一定の評価を得るためにはやはりムーブメントで評価される必要があると同社は考えたのではないかと推察される。ローマンゴディエやモントルジュルヌといった高い技術力を持つことで有名なサプライヤに出資したのは、単純にそれしか出資先がいなかったというよりは、「圧倒的なムーブメント」を開発したかったからという意図があったのではないかと考えられる。実際にムッシュードゥシャネルのムーブメントは業界関係者からかなりの熱量を持って評価されていた印象がある。

ただ後者に関してはこれで問題は解決していないと筆者は見ている。理由は単純で、このコレクションはおそらくは大赤字であるからである。単価は400万円近いがそれでもおそらくは販売本数は発売以来4年でせいぜい500-1,000本程度ではないかと考えられる。(ブランド全体では2019年は75,000本と推定されている。)仮に1,000本売れていたとしても売上高は40億円であり、原価3割、販売3割だとして、残り4割のうちの50%が開発費用であったとしても8億円しかない計算になる。一方で人件費がスイスであることを考慮して一人当たり3,000万円として10人のチームがいたとすると、開発チームの維持に年間3億円が掛かる計算となり、開発に何年も時間が掛かることを考慮すると全くもってペイしていないと考えられる。

シャネルは上場会社ではないとはいえ当たり前ではあるが営利団体であるために本格時計のコレクションで赤字を出し続けることは当然容認できないわけであり、そうであるならば少なくとも社内には、今後何らかの方法で黒字化する道筋が立っていると考えられる。例えば単価が100-200万円程度でムッシュードゥシャネルのストーリーや認知を活かしながらより汎用的なムーブメントを用いて利益率を向上したコレクションを投入する、といったことが考えられるのではないだろうか。じわじわとムッシュードゥシャネルの販売本数を伸ばすというよりは新コレクション投入といった非連続な打ち手を商品戦略では出すのが合理的と推察される。いずれにせよシャネルの時計事業の戦略に関してはまだ未完であると筆者は認識しており、だからこそ今後が戦略という面からも楽しみなブランドである。

まとめると筆者はシャネルの時計における戦略は以下であると認識している。
●シャネルは2000年に発売したJ12のヒットを受け、本腰を入れて時計に取り組むという意思決定をした
●その際に同社はサプライヤの安定供給と本格時計でのシェア獲得という二つの経営課題に直面した
●前者は良質なサプラヤの株式を少数獲得することで解決した
●後者は資本提携した高い技術力のあるサプライヤを活用しながら圧倒的にユニークなムーブメントでブランドエクイティ向上を実現した
●ただしこのコレクションはまだ不採算であるため今後はより利益率の高いコレクションの投入が予想される

なおこれらはあくまでも業界の素人の推測に過ぎないために間違いなどがあったらぜひ指摘してもらいたい。

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