「いい人」であることの価値

以前のエントリで独自の意見を持つために批判的思考をすると「性格が悪くなってしまう」(悪いように見えてしまう)といった旨のエントリを書いた。
https://note.com/tokyo_harbor/n/n3c2debf181bb

これは一つの傾向として存在してはいるとは思っているものの、一方で健全な批判的精神を持つこととは全く違う話として仕事における「性格がいい」ことの価値も大いにあると思っている。いくつかの具体例を挙げる。

絶対に物事を悪く言わないことで知られているある非常にシニアなパートナーがいる。その人は文字通りどんなに困難な状況でも、あるいは誰かが「酷い仕事」をしたとしても決して否定的なことは言わず、常に前向きな発言をし、かつチームメンバーを褒める姿勢を貫いており、その人の言動からは明確に規律と信念が感じられるのである。そしてそのような姿勢によって様々な立場の人を惹きつけており、それ事態がその人の強みの一つとなっており、それが高いクライアントバリューにも繋がっているし、また(おそらくは)高い評価にもつながっていると思われる。(ただこの人と一緒に仕事をしていると、どうしても「ポジティブなことしか言わなくても、本当はネガティブなことを思っているのではないのか」と思ってしまい、もっと悪いと思っていたら直接そのように言って欲しいと思わないこともない。)

またよりジュニアなアソシエイトでも似たような人がいた。その人もやはり傍目から見るとかなり理不尽な状況に陥っていてもその原因を作った人のことを決して悪くいうことはなく、そこには規律が感じられた。結果としてこのアソシエイトは「プロジェクトに入ってもらうと、とにかく(社内外の)チームが明るくなるために是非アサインしたい人」という評価を得ていた。

コンサルティングファーム以外でも似た話を聞く。あるスタートアップの社長と話をしていると、その会社のCOO的な立場にいる人はとにかく前向きな姿勢を崩さずに文字通り寝食を忘れて働かなきゃいけない局面であっても「いやー、これだけ仕事があるということはそれだけ期待があるということですから、興奮しますね」みたいなことを言う人であり、それが故に会社全体の実務が回っている節もあるとのことであった。

何を言いたいのかというといいチームメンバーである、ということ自体は一見、コンサルタントが提供するべき問題解決の質やアドバイザリー、あるいはより広範にはビジネスとして稼ぐこととは無関係に見えるかもしれないが、実はこの姿勢は思っているよりもはるかに重要であるということである。そしてこれはジュニアな立場だけでなく、シニアにとっても全く変わらないし、場合によってはより重要になると言いたいのである。パートナーシップ制を採っているコンサルティングファームであれば、パートナーとは文字通り(理論上は)対等な関係にある仲間であり、パートナー同士は指揮命令系統ではなく信頼に基づいて繋がっているのである。信頼に基づいているからこそ、仲間のことは信頼し、尊敬し、良い面を見て、足りない面は別のパートナーが補う、という姿勢が必要なのである。

現実的にはプレッシャーがかかるプロジェクト、あるいは重要な提案活動において、パートナーやノンパートナーが「いい仕事」をしないと悪態の一つや二つを吐きたくなることもあるかもしれない。また人を悪くいうことはあたかも自分が優位な立場になったかのように錯覚し、麻薬的な効能もある。しかしチーム(パートナーシップ)で働くプロフェッショナルであればそのような姿勢は百害あって一利なしなのである。

このような文章を書いている筆者自身も決して「出来た人間」ではないことは自覚しているが、上記に述べたような同僚たちを見ると改めて良きチームメンバーであることの重要性を痛感するのである。

(もし良ければ投げ銭をお願いします。)

ここから先は

0字

¥ 200

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?