ブルガリの戦略

2017年に大手ジュエリーブランドのブルガリは世界最薄の自動巻き時計である「オクト フィニッシモ オートマティック」を発表した。時計の駆動を司るムーブメントの厚みは2.23mm、時計全体でも5.50mmの驚異的な薄さであり、時計業界でも話題になった。そしてこの時計の背景にはブルガリが過去20年間にわたって時計分野で取り組んできた戦略があり、これは時計業界を超えて学びがあると思っている。そこで本稿では戦略の観点から同社の一連の活動を考察してみる。

まずは業界構造を説明する。時計業界の市場規模は世界で1-2兆円と推測されているが本数ベースでは1万円未満の時計が過半を占めるが売上ベースでは10万円を超える時計がその大半を占めており、利益ベースで考えるとその傾向がより顕著であると考えられる。要するに高い時計ほど儲かるのである。世界最大の時計ブランドは言わずと知れたロレックスで売上高は約6,000億円、続いてオメガ(スウォッチグループ)、カルティエウォッチ(リシュモングループ)、ロンジン(スウォッチグループ)、パテックフィリップが並ぶ。ラグジュアリー分野でのコンサルティング会社LuxeConsultと世界的な投資銀行であるMorgan Stanleyが推計した調査によると、2019年の売上高上位20ブランド中18ブランドが時計専業ブランドであり、非専業は3位のカルティエと15位のブルガリのみである。ルイヴィトンやティファニー、シャネルなどのようなファッションやジュエリーブランドも時計は出しているものの時計業界においては大半は主要なプレーヤーではないのである。ファッションブランドやジュエリーブランドが出している時計の多くはムーブメントは外部調達しており外装だけブランドの世界観に合わせているために、時計愛好家にはあまり刺さらず、また時計としてのストーリーもないために単価にも限度があることがその理由であると考えられれる。このような環境において時計の非専業ブランドであるブルガリがブランド別売上高ランキング15位に位置しているのは異例であり、これは同ブランドがある時点で時計分野を「真剣に」伸ばそうと意思決定し、戦略的に取り組む事で成功したからであると筆者は理解している。

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[図1 ブルガリ・ブルガリの現行モデル]

ブルガリが最初に時計を手掛けたのは1977年のことで、最初のコレクションは同社のアイコン的なデザインをベゼルに取り入れた「ブルガリ・ブルガリ」である(現行モデルを図1に提示)。これは商業的にも一定の成功を収めた模様でその後同社は1980年代初頭にスイスにブルガリ・ウォッチ社を設立し、時計製造部門を移管する事で時計に本腰を入れ始めた。そして2000年に時計業界で最も成功したといっても過言ではないデザイナーであるジェラルド・ジェンタが設立した自身の時計ブランドである「ジェラルド・ジェンタ」および独立時計師のブランドである「ダニエル・ロート」を買収し、その後もケース製造メーカーなども買収している。2010年には「ウォッチメーカー宣言」をして初の自社製ムーブメントを発表し、そして2012年に「ブルガリ オクト」を発表した(現行品は図2)。このコレクションのデザインはジェラルド・ジェンタ自身は手がけていないものの、同氏のテイストが色濃く反映されておりここから買収のシナジーが透けて見える。時計ブランドとしてのブルガリの地位は2014年に発表した「ブルガリ オクト フィニッシモ」で確固たるものとなる。2014年に手巻きトゥールビヨンとしては世界最薄の「ブルガリ オクト フィニッシモ トゥールビヨン」を発表し、2016年にはやはりミニッツリピーターとして世界最薄のモデルを、2017年には自動巻き時計として世界最薄のモデル(図3)を、2018年には世界最薄の自動巻きトゥールビヨンを発表した。さらには2019年には世界最薄のクロノグラフを、2020年にはトゥールビヨンクロノグラフとして世界最薄のモデルを発表した。7年間で数々の時計メーカーを差し置いて実に6回も世界最薄の記録を打ち立てたのである。

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[図2 ブルガリ オクト]


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[図3 ブルガリ オクト フィニッシモ オートマティック]

一連の取り組みで単価も大きく上昇したと見られる。同ブランドの平均単価は推計ベースで約100万円であり、これは主要50ブランドで20番目に高い水準である。現行品の各コレクションの代表的なモデルを見ても昔から手掛けてきたブルガリ・ブルガリは50万円、ブルガリ オクトは73万円、ブルガリ オクト フィニッシモは175万円であり、明らかに単価が上がってきたことがわかる。一人の時計愛好家としての筆者の意見ではブルガリ オクト フィニッシモの価格は決して高くなく、また時計としての魅力も多くの時計専業ブランドと比べても全く見劣りしないと思っている。

以下ではブルガリの一連の取り組みを戦略と経営としての意思決定の観点から推察してみる。まず1970年代後半に「時計に真剣に取り組む」という意思決定をし、同ブランドの本国イタリアではなく高級時計の本場スイスに時計部門を移管している。そして2000年以降に買収という手段を用いて時計部門を強化している。そしてこの辺りでおそらくは「時計専業ではないブルガリはどのようにして単価アップと売上高アップを実現するべきか?」という戦略的な論点を検討したのではないかと考えられる。ファッションブランドやジュエリーブランドのように非専業ブランドは戦略的に取り組まないとどうしても単価は30万円前後で頭打になってしまいなかなか利益率の高い高価格帯(概ね100万円超)で売れるモデルが出せないという課題がある。この価格帯で戦うためにはやはり自社ムーブメントは必須ではないにせよそれを持っていることが基本的には求められるために同社もまたそれに取り組んだのであると考えられる。ただ自社ムーブメントを出したとしても「自社ムーブメントを搭載した時計として、どのようにして他ブランドと差別化するべきか?」という論点が残る。この論点に対してブルガリは「世界最薄モデルを出す」という戦略を立てたのではないだろうか。

世界最薄というのは極めて分かりやすく目立ちやすい。そのため間違いなくPRとしてはプラスになる。一方で印象論としてはそれまでは「デカ厚時計ブーム」だったこともあり、時計専業メーカーあまり薄さにこだわって開発をしてこなかったように思える。そのため競争環境的にも(世界最薄を開発することは簡単ではなかったにせよ)相対的に苛烈でなかったと推察される。つまり戦略的には「目立つけれども難しくない」という費用対効果が高い分野を攻めたと考えられる。この推察は筆者の後付けかもしれないが非常に戦略的であったように思える。

またブルガリのようなハイエンドのグローバルジュエリーブランドが時計を手掛けることはチャネルの観点でシナジーが非常に大きい。現代のラグジュアリーブランドは直営店モデルが基本であり同ブランドは世界に300店舗ほどのブティックを構えている。100万円を超える時計ブランドも日本であれば銀座などの一等地にブティックを出しているが、ブルガリの場合はすでに販路を持っているために少し雑に表現すれば「棚に時計を置くだけ」で販路を確保できるのである。またジュエリーは物理的にスペースを取るものでもないためにブティックには時計をおける余裕も十分にある。これは時計ブランドとしては強烈な強みである。またブルガリの多くは女性向けが中心であるのに対して、時計市場は男性向け中心であるために、時計を強化することで新しい顧客を獲得できるというメリットもある。どこまで2000年代にブルガリの経営陣がどこまで今の状況を見通していたのかは分からないが、このようなシナジーを考えると時計部門にブランドとして取り組まないという選択肢はなかったのではないだろうか。そして結果として現在は売上高は500億円の規模にまでになったと見られ、戦略としては大成功だったと見られる。(オクトは加工の難しい直線的なデザインを取り入れており、またムーブメントの製造も難しく、結果的に最初の頃は利益は高くなかった模様である点は述べておく。ただそれらを考慮してもこの規模の売上高であれば大成功といえるだろうし、また将来的には経験の蓄積により製造コストも下がり収益性は増すのではないかと考えられる。)

これらはあくまでも筆者の推測ではあるが一連のブルガリの取り組みは戦略論の観点から非常に面白い事例であると思っている。

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