要素分解の罠

問題解決の基本的なアプローチの一つに要素分解がある。解くべき問題を大きな集合と捉え、それらをなんらかのグルーピングによって小集合に漏れなくダブりなく ー いわゆるMECEに ー 分解していくのである。これは基本動作の一つであるがこれには陥りがちな罠があると思っている。それはこのアプローチでは論理的には正しいが問題を本質的に解決されない切り口に物事を分解してしまいがちである、ということである。これは論理的に正しいだけに厄介な問題だと思っている。

少し具体例を交えて話す。例えばある会社の利益が低迷しておりその要因を特定したいとする。そのときまず最初に考えることは会社の売上高を地域別や製品カテゴリ別などに分けて ー あるいは地域かける製品カテゴリ別のマトリクスにして ー更にそれぞれのセグメントを売上高を市場規模かけるシェアに分解しどこから変動費と固定費に分けて利益を考えるのが一般的であろう。私はこの考え方を否定するつもりはないし、基本動作としてはまずはやるべきである。しかしこの場合だとあまり問題の真因を特定できないことが多い。上記の例だとどのセグメントを見ても市場規模はいずれも多少の差はあれどどれも緩やかに成長しているが市場シェアはものによっては伸びているところもあるが概ね横ばいか減少しており、利益構造もまたどれも似たような傾向があり減少しているといった場合が想定される。

しかしこれでは一つ一つのセグメントの傾向は解明できても結局のところ問題の真因は特定できない。特にセグメント数が増えすぎると人間の理解を超えて少なくとも経営者との議論には使えないものとなる。では更にセグメントをシェア横ばい、シェア微増、シェア減少セグメントにグループ化したり、あるいは更に小セグメントに分解すれば何か傾向が分かるかというとやはりわからないだろう。

今度は切り口を変えて機能別に、例えば営業機能、流通機能、製造機能、開発機能、研究機能、間接機能などに分解しそれぞれの機能の競争力を競合と比較したとする。それでもやはり常識的なことしか特定できず結局のところ何なのかは特定できないだろう。これらはいずれも論理的には正しいが問題を解決しないのである。これが要素分解の罠である。

ではどのようにすればいいのか?上記のアプローチはアナリティカル(分析的)なものであったがそれに遂になるアプローチとしてコンセプチュアル(概念的)なものがある。これは必ずしもMECEではないがものごとを要素分解とは違う次元で捉えるアプローチである。

例えば先ほどの利益が低迷している会社の例の場合は「この会社は工場の稼働を過度に気にしすぎていたため利益至上主義ではなく売上至上主義に陥っており儲からないビジネスを取りに行こうとしている」といったことが考えられる。ここでは売上至上主義、利益至上主義というコンセプトが導入されている。あるいは「業界は全てのセグメントを手がける総合型プレーヤーから特化型プレーヤーが勝つようになってきている」といったこともある。この場合のコンセプトは総合型と特化型である。あるいは「この業界はスピードが成功の鍵となってきている」といったこともあるかもしれない。

これらのコンセプトは要素分解的なアナリティカルなアプローチではまず出てこない。もちろんアナリティカルなアプローチでも例えば総合型・特化型の場合は市場シェアの上位企業がセグメントによって異なっていたり、あるいはスピードの場合は各機能の競合比較で「対応が遅い」という声が共通して見えてきたりするかもし、コンセプトの萌芽はかすかに見えてくるかもしれない。しかしアナリティカルな思考だけではなかなかこのコンセプトの萌芽には気付きにくいのである。ある時点で思考をアナリティカル思考からコンセプチュアル思考にモードを意識的に切り替えないとなかなか問題解決のコンセプトには辿り着かないのである。

また始めからコンセプチュアル思考を発動させて問題に臨み、仮説的なコンセプトを持っておけば問題解決のかなり初期のうちから筋のいいコンセプトが構築できる。そのためには意識的にコンセプチュアル思考をしなければならないのである。

アナリティカル思考、コンセプチュアル思考は人によって癖があり多くの場合どちらかが得意でどちらかが苦手なことが多い。ただしアナリティカル思考の方が明確に言語化しやすく習得もしやすいためジュニアな人はまずはアナリティカル思考を身につけることが要求される。(そのためコンセプチュアル思考が得意な人はジュニア時代に苦労することが多い。「規律を持った思考」ができないという烙印が押されがちである。)ただ一方で要素還元的アプローチは常識的なものしか出てこない場合が多く、特にコンサルティングファームにわざわざお金を払って依頼されるような問題においては、これだけで解決できることはまずない。むしろ価値の多くはコンセプチュアル思考から来ることが多い。これはもちろんアナリティカル思考の価値がないと言いたいのではない。筋のいいコンセプトを出すためにもアナリティカル思考は必要である。それがないとそもそもコンセプトが出にくいしまた納得感も醸成できない。あくまで両輪なのである。

このコンセプチュアル思考はものごとを違う次元から捉える思考方法でありこれを習得するにはある程度経験がものをいう世界である。さまざまなコンセプトに触れていると自ずとコンセプトのデータベースが脳内に構築されそれを基に情報を見るとその状況に適したコンセプトが生まれるのである。アナリティカル思考は理屈だがコンセプチュアル思考は経験といってもいいだろう。もちろん、もともとこのような思考アプローチが得意な人はいるし、またコンセプチュアル思考を意識することでその習得は早まることはあるだろう。

いろいろと書いたが要素分解的アプローチ、アナリティカル思考は必要だし基本動作ではあるがそれだけでは不十分であり、それの対になるコンセプチュアル思考というアプローチがあることは認識しておくべきだろう。状況に応じてそれらを意識的にギアチェンジしながら両者を使いこなすべきなのである。

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