オーストラリアの闇から感じた世代交代へのいぶき


まさか滞在8ヶ月でこんな内容を書くことになるとは思いもしませんでした。

東京にいる頃の私は、本当に殻にこもっていて、距離をとってあまり関わらないというのが、寂しくもあるけど楽でした。


でも私はいろんな知り合いがいて、良くも悪くもいろんな情報が入ってきてしまうのです。

こちらはオープンな方も多いし、日本人コミュニティは小さい、距離も近いので、いろんなことを話すことになります。何かを伝えるのにも必ず理由が必要で言い逃れできないし、(こちらはこちらでも本音と建前みたいのはあるのですが)それでも距離が近いなぁと思います。

人と関わるのは、疲れもしますね。


こちらの闇というのは、

オーストラリアに移住してきた人々の闇です。

色々な人種が混ざり合っていて、こんな国が成り立つんだ、素晴らしいと思っていたのですが、酒やドラッグ、言いたくないのですが、悪いセックス習慣に溺れている人たちもたくさんいることを知りました。


ボートピープルの子孫が多いというのもあって、自身の育ち、先祖に自信が持てない人もいるようです。そして、酒に呑まれて自嘲するのだそうです。そして自分を抑え切れず、DVや危険なセックスが横行してというのも、事実のようです。それが何パーセントぐらいなのかはもちろんわかりません。それはとてもナイーブな話なので、容易く話される内容の話ではないのです。真実というものは隠されているのものですよね。


オーストラリアの様々な人種の人たちをコミュニケーションをしていると、

「あなたの国はどう?」

と聞かれることがあります。

しかし私は、日本を代表してるわけでもありませんし、日本は1億2千万人もいて、それぞれいろんな意見を持っているとは思います。

それを感じた上で、自分はこう思うと意見を述べています。


「あなたの世代はどう?」

とも聞かれます。

これはこれで、先の質問より答えやすい気がしました。

そこで、そうか、時代で区切るのねと、妙に納得もしました。


オーストラリアにいる様々な人種の人たちと話すことでわかったのは、

おじいさんおばあさんの伝統的な世代

それを打破する新しい世代

に分かれているということです。


おじいさんおばあさん、つまり私たち世代の親世代は、さまざまな宗教に凝り固まっていて、それのみを信じて生涯を終えようとしている人が多いことに気付きました。そういう人たちは、自分たちの宗教以外の人とは関わろうともしなかったり、深く考えなかったりして、多角的な視野、さまざまな価値観、ダイバーシティと掲げられている今の世代の対極におられます。


私たちの世代は、その親に育てられ、殻を破ろうともがいているようにも感じます。苦しんでいるようにも感じます。


私の家庭は熱心な信者ではありませんでした。家に仏壇はありましたが、大人になるまで、浄土真宗とは知りませんでした。でも念仏を唱えるお坊さんも来ました。お墓参りも行きました。

私の母は、宗教というより、いろいろな迷信を信じる人でした。

ある友達のお母さんは、風水を信じる方だそうです。

ある友達のお母さんは、天理教の熱心な信者だそうです。

ある友達のお母さんは、ロシア正教徒の信者だそうです。

ある友達のお母さんは、イスラム教の信者だそうです。

ある友達のお母さんは、とても厳しい人だったそうです。

(以上の話は国籍バラバラです)

でもこの上記にあげた友達は、皆無宗教と言えると言っていました。

私は大学がそうだったこともあり、子供向けの牧師さんのお話が好きで、プロテスタント教会に子供と通ったこともありますが、洗礼は受けていませんし、よくはわかっていないと思います。そして浄土真宗を信じているわけではないので、無宗教とも言えるでしょう。

新しい宗教をつくりたいわけでもありません。もちろん私の友達も皆そうだと思います。

しかし、時代も不安定なこともあり、声が大きい人の意見に惑わされたり、全体的に揺らいでいるのも事実だと思います。


私は学生時代、好きな四字熟語を書かされたりした時から
(なんか無理矢理書かされた記憶が…)
「天衣無縫」という四字熟語のように生きたいと思っていました。


その後、社会人になりヨガを習ったことがあり、

(お教室は、続かない人間。ヨガ教室1→ヨガ教室2→ピラティス、全て一年弱)

ヨガを習ってよかったと思うことがあります。それはヨガマインドが身についたことです。

ヨガはそこにいる人たちと競争はしません。

私は幼少時器械体操をしていたので、自分がどれだけ柔らかいか、美しいかを、やはりライバルと競い合っていました。

でもヨガ教室では、たくさんの人がいるんだけれども、薄暗くてアロマのいい香りの中で、先生は自分に集中して促してくれるので、自分が心地よいところでよいのです。決めるのは全て自分です。ポージングが上手くいかなくてぐらついたって、なんだっていいのです。私は自分と対話をすることが習慣になり、いつも自分らしくいられるようになりました。


私はいろんな人の意見を聞きます。

YouTubeも見ます。

本もたまには読みます。

雑誌もたまに読みます。(優秀な図書館アプリがあり、日本のさまざまな雑誌が無料で見れます)

ニュースはあまり見ません。

(実家は朝からずーっとテレビがつけっぱなしになっているような家でしたが、我が家はほとんどつきません。東京にいるとき地震があると、NHKの地震速報はパッとつけてました。そういえば東京の私の周りって、そんなにニュースをだらだら観てる人がいませんでした。私の周りだけかもしれませんが。)

身近なコロナのニュースは、車のラジオと、子供のクラスママのワッツアップから仕入れています(笑)

求めなくても勝手に入ってきてしまう〜。まあまあ、7割くらいはありがたいと思ってます。


マスコミはコロコロ変わることも知っています。

例)脱炭素脱炭素、かと思ったら、エコノミスト題名で、脱炭素の落とし穴、日豪首脳会談では脱炭素…


私のおじさんがダイヤモンド社に勤めていました。

おじさんは、いつでもたくさん勉強していました。若い時は世界各国に足で情報を得にいっていました。おじさんは悪くない。仕事を全うしていただけです。情報を追いかけていたのです。


だからこそ、情報を鵜呑みにして流されてばかりではいけないと思います。仕入れた後に、自分で考えて、答えを出すことが、心の健康につながると思います。


私も私の友達も皆苦しくてもがいた時期があったようです。

でもいつか視界は晴れると思うのです。

人間は醜くて、動物と変わらない、いまだにどこも男尊女卑の世の中で問題は山積みでもあるけれど、それでも生きていくんだと気づいた時に、私は強くなれました。


時代の変革期に来ているような気もしますが、

とりま、明るく生きていきましょう!


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