「今日、大野を巣立つ君へ」プロジェクトについて

福井県北東部にある人口3万強のまち、大野市。
その大野市と、県庁所在地である福井市のあいだには、JR西日本の単線、越美北線(九頭竜線)がはしっています。
2020年3月末、大学のない大野市から市外、県外へ、多くの若者が引っ越していくタイミング。
越美北線車内と越前大野駅に、かつて大野を出た元若者たちから、この春大野を出る若者にむけ「今日、大野を巣立つ君へ」と題した、応援メッセージポスターが掲出されました。
このnoteでの投稿を、クラウドファンディングにご支援いただいた方々へのリターン「実施報告書(noteでの報告。サンクスメールにURLを添付)」とさせていただきます。

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ポスターについて書く前に|東京912とは

東京912と申します。東京に住み働く大野人のあつまりです。(ここでの「大野人」の定義:福井県大野市出身者を中心に大野に興味関心やゆかりがある人)現在は、7,8人のメンバーを中心に、年末に大野市で開くいつ来ていつ帰ってもいい投げ銭制の「世代を越える忘年会」や、東京に住んでいる大野出身者へのインタビュー記事「大野人in東京」やその他、プロジェクトベースで活動しています。

この集まりが始まったきっかけは、2011年に立ち上げメンバーが経験した「大野出身」という共通点だけで心のハードルがぐっと下がる、という発見でした。最初は大きな飲み会を開催。達成感はあったものの、準備に疲れ果てて、なんやかんやで6年ほどお休み。大野市の施策「大野へかえろう」をやっていた日下さんから、大阪から転勤してきた若い大野人 早川さんを紹介してもらい、それじゃあもう一回やってみるかと、2018年に現在のような活動体として動き始めました。そのときにきめたことはシンプルに3つ

明るく
オープン
つづける

「故郷のため」、「誰かのため」はキツい

活動を再開するため、3人で集まって話したとき、「大野のために」「大野の発展のために」「大野に住む人たちのために」など、「故郷のため」という意味の言葉を使うことに嘘っぽさを感じました。

自分たちは本当にそんなことを考えているのだろうか。そんなことを考えるほど自分たちは素晴らしい人間なのか。そもそも自分たちの東京での生活が精一杯なのに大野のことを考えることなんてできるのか。というか、大野って誰のことだっけ。

いろんな人たちと話し、考えた結果、「大野」という共通点で集まるが、誰かのためではなく、自分たちのために何ができるか、を考えることにしました。まずは、そのために1年目は、年に4回、大野人が集まれるオープンな機会を作ってみることにしました。

東京912なのに、東京の大野人をあまり知らない現実

活動再開2年目の2019年の夏、とあるプロジェクトを立ち上げました。東京在住の大野出身者の子どもを対象にした「お父さん、お母さんのルーツを探るサマーキャンプ」。企画としては、いい話、な感じですが、結果は参加者が誰一人集まらずに断念。東京912といっておきながら、単純に東京にいる大野人(1000人くらい?)の顔が見えていない、ということに気が付きました。

それから、東京912の活動の重心を「東京の大野人同士をつなぐ」ことに変えました。自分たちの東京での生活の質の向上には、たしかに「心のハードルが下がる」仲間とつながっていることはプラスになりそうだ、という発想です。

応援メッセージを越美北線に掲出することを思いつく

「東京の大野人同士をつなぐ」ことを活動の重心におく、と決めたとたんに浮かんできた課題は、毎年恒例になりつつある年末12/30夕方開催の「世代を越える忘年会」に帰省中の大野人in東京をどうやったら呼べるだろうか、ということでした。自分たちの経験から、帰省時には最終的に越美北線にのって大野へたどり着くことが多いことは知っていまいた。であれば、忘年会のお知らせを越美北線車内に掲出すればいいのではないか?

それを思いついたときには、もう12月頭で、制作期間などを考えると残り時間が現実的ではありませんでした。ただし、越美北線の車内にポスターを掲出することには可能性を感じていました。年末がだめなら、年度末は?と考えると、東京912メンバーそれぞれが上京をしたときを思い出し、それぞれが何らかの思い出があることに気が付きました。
そこで、すでに東京にきている大野人in東京ではなく、これから東京に来る若い大野人に向けて、大野の外にも仲間がいることを伝えるのはどうだろう。それによって、東京912の存在を知ってもらえれば、「東京の大野人同士をつなぐ」ことにつながるだろう、と。

クラウドファンディングをやってみる

応援メッセージポスターの制作を決めてすぐにクラウドファンディングの実施もきまったのは、クラウドファンディングがもつ2つの効果から考えて、自然な流れでした。

1.【仲間・支援者を見つけられる】クラウドファンディングをやることで、共通の感覚をもっている、未知の大野人in東京に出会える可能性がある。
2.【資金を集められる】東京912メンバーの自腹では、ちょっと厳しいなぁという金額も、目的を共有できてお金をだしてくれる人がいれば、準備できるかもしれない。

はじめての経験のため、設定や審査などで四苦八苦しながら、2020年1月26日に開始したクラウドファンディング。結果としては、目標の20万円を大きくこえる304,620円もの支援をいただきました。

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特に、10万円に設定した、ポスターに出演できるリターン。まさか10万円を払う人はいないだろうと、半分冗談(半分は本気でした)で1枠限定でつくったのですが、有り難いことに支援者が表れました。メールでのやりとりにはじまり、実際にお会いしての取材でも、丁寧且つ熱く対応いただき、とてもいいお話を伺えました。10万円のリターンを設定したおかげで巡り合えた出会いでした。

そして掲出まで

クラウドファンディングでの目標金額到達がみえてきたところで、いよいよ具体的な制作、掲出先の決定に移ります。事前に越美北線や、越前大野駅にポスターを掲出できる枠があること、法人格でない東京912も出稿できることはJR西日本コミュニケーションズ(Jコミ)さんのウェブサイトで確認していました。少額の扱いにも関わらず、丁寧に対応していただいたJコミのご担当者さんには、大変お世話になりました。

また、紙面の作成は、これまで大野人in東京で取材をしていた方々や東京912のメンバー、そしてクラウドファンディングで支援いただいた方などを取材し、思いfacebookのメッセンジャー上でああだこうだいいながら、作り上げました。

できあがったポスターは、最終的に2020年3月23日(月)〜29(日)の一週間、越美北線車内のまど上枠に1枚(各編成ごとに1枚)、越前大野駅の待合室に2枚、を掲出することになりました。

掲出のようす

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掲出ポスター

越美北線(九頭竜線)車内 まど上 B3ワイド

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越前大野駅 待合室 B1

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今日、
大野を巣立つ
君へ。

君たちは井の中の蛙。
そう言われてわたしたちも巣立った。

大野を後にしたら一心不乱に仕事して、寝る間も惜しんで勉強して、
クタクタになるまで遊んで、心が張り裂けるような恋をしたり、
いろいろなものに直に触れるような体験を、たくさんしてください。

きっと、緊張するし、落ち込むし、後悔もあるね(あったあった)。
納得できない怒りとか、どうにもならない寂しさとか、笑い飛ばして
そんないろいろのことをドキドキしながら全身で楽しんでください。

こんがらかったら、ちょっと大野へ帰るのもいいと思う。
越美北線に乗って大野へどんどん近づいていくと、
自分の濃度が濃くなるような気がするから(個人差ありますが)。
きっと自分が何者で、何で出来ているのか を感じるから。
そうやってたまに大野をチャージするのもいいと思う。

冬にカラリと晴れ渡る空をみて、冬らしくなってきたなぁなどと
大野人らしくないことを思うようになった頃
それでも、その冬の朝の冷えた空気にふと、雪の匂いを感じたら
やっぱり君たちは井の中の蛙。私と同じ井の中の蛙。

一足先に東京に巣立った先輩蛙より。


越前大野駅 待合室 B1

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(ポスターから抜粋)井の中の蛙の上京物語:その①

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田中哲也
TANAKA Tetsuya
1973年生まれ。大野市出身。埼玉県在住。

決断をしたすべての人を応援します。
大野を離れる決断をした人も、残る決断をした人も、戻る決断をした人も。

私が最初に大野を離れたのは、大野高校に進学してすぐのころ。
家庭の事情で、大野から福井に引っ越しました。
毎朝、福井から大野へ、越美北線に乗って通う珍しい学生でした。
決して楽ではない生活の中でも、子どもに余計な心配をさせないでいてくれた両親。
今から思えば、馬鹿なことばっかりやっていた自分を、厳しくも愛情たっぷりに叱ってくれた先生。

今日、大野を巣立つ「決断をした」君へ。
その決断を下したあなたを、影から支えてくれた人がいたはずです。いつかは、あなた自身が誰かの決断を応援する人になってください。

最後に、あなたの人生の応援団長は、他の誰でもなく、あなた自身です。大野で育ったという自信と誇りを持って、大きく羽ばたいてください。


(ポスターから抜粋)井の中の蛙の上京物語:その②

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下山哲人
SHIMOYAMA Tetsuto
1998年生まれ。大野市出身。東京都在住。

いつか帰るその日まで、東京でしかできないチャレンジを続けたい。

ちょうど3年前、私は両親が運転するクルマに乗り、新生活を送ることになる東京の寮に向かっていました。念願だった東京の大学への進学が実現し、ワクワクしっぱなしの上京でした。
住んだのは、県内出身学生が住む明倫学舎。大野出身の先輩だけでなく、他市の出身者も、他大に通う人もいる、まさに、大きな東京のなかの小さな福井。
東京生活は、東京でなければ出会えなかった人たち、知れなかった話題がいっぱいで刺激的。寮に帰ると、小さな福井が待っていてくれる、というありがたい環境でした。
1年後は、大学を卒業し、いよいよ東京での社会人生活(の予定)。東京での新たなチャレンジにワクワクしています。

今日、大野を巣立つ「チャレンジ精神旺盛な」君へ。
いましかできない、そこでしかできないチャレンジを続けてみてください。そして、どこにいっても同郷の仲間がいるありがたさを忘れないでください。


(ポスターから抜粋)井の中の蛙の上京物語:その③

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足利昌俊
ASHIKAGA Masatoshi
1980年生まれ。大野市出身。東京都在住。

生まれてから大学卒業まで、大野や福井ののびのびした教育環境に育てられました。

理科のノートを見た先生に「博士みたいだね」と褒めてもらえた小学生のころから、好きなことを突き詰めていたら、20年後、本当に博士になっていました。
高校卒業後、実家から通う約束で福井大学に進学したものの、越美北線の終電の早さに屈し、友人宅を転々とする生活。そんな生活を送りながらも、学部、大学院と研究を続けるうち、東京大学で移動ロボットに載せる人工知能の研究を行うことに。ロボット工学から、生物学、脳科学まで幅広く学び、出した博士論文は「コオロギの社会性について」。
研究の過程で理科教育の重要性を感じ、いまは、理科教材やシステムの開発を行い、テクノロジーで教育現場を支える仕事をしています。

今日、大野を巣立つ「のびのび育った」君へ。
まだ気がついていないかもしれませんが、あなたがのびのび、自由に育った環境はとても貴重なものです。そして、その環境で育った我々だからこそ、できることがあるはずです。一緒に、大野の未来、日本の未来をつくっていきましょう。


(ポスターから抜粋)井の中の蛙の上京物語:その④

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廣瀬鮎美
HIROSE Ayumi
1988年生まれ。大野市出身。東京都在住。

大野と東京。両方に居場所があることで、自分らしくいられる。

大野に閉塞感を感じ、なんとなく東京の大学にいくことを決めていた高3の冬。校長先生からの突然の呼び出しで、東大を受験することに。先生方の特別な支援のおかげもあり無事合格。それ以来、東京に住んでいます。
東京には、本当に多くの人、生き方、考え方がありました。たくさんの選択肢に圧倒されて、不安や戸惑いもありました。それら全てがなくなったわけではないですが、色とりどりの出会いがあったからこそ、「自分らしく生きればいいんだ」ということに気がつきました。

それからの大野は、閉塞感を感じる場所から、「大野成分」を取り込んで、心をリセットする場所に。親からの「福井まで迎えにいこうか?」を断り、越美北線に乗り、花山峠から広がる大野盆地をみたとき。小さなころ、父と鮎釣りをした真名川に戻ってきたとき。

今日、大野を巣立つ「自分らしさを探している」君へ。
たくさんの選択肢がある都会は、自分を相対化でき、自分らしさに気がつける場所です。でもその刺激に疲れたら、「大野成分」を取り込みに、越美北線に揺られるのもいいかもしれません。


(ポスターから抜粋)井の中の蛙の上京物語:その⑤

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羽根田洋
HANEDA Hiroshi
1977年生まれ。大野市出身。神奈川県在住。

一度、大野の外にでることで、もっと面白い人になれる。そのまま突っ走れ!

大野高校を卒業して、群馬大学に入学するときに、大野を出ました。群馬のアパートまでついてきてくれた母が、去り際、泣いていた記憶があります。だけど、僕は大野の外に出て、これから始まる一人暮らしや未知の学校生活に、とても興奮していました(笑)。その感覚は大学院を卒業するまで6年間続きましたが、卒業後は地元に帰る決断をしました。
福井の企業に就職して、実家に戻って暮らし始めた途端、半年で東京支社に転勤。それからずっと東京で働いています。

最近、大野で活動する2、30代の若い人たちと出会い感じるのは、いまの大野には面白い若者が本当に多いこと。彼らの多くは、一度、なんらかのカタチで大野を出ている人たちだそう。

100% 楽しみばかりで不安のない、昔の自分のような君へ。
一度、大野の外に出てみることで、今よりももっと面白い自分になれると思います。その後、大野に帰るにせよ、帰らないにせよ。僕のように、帰ったはずがまた出ていくことになったにせよ。もっと面白いあなたになってください。


(ポスターから抜粋)井の中の蛙の上京物語:その⑥

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藤田博也
FUJITA Hiroya
1986年生まれ。大野市出身。東京都在住。

帰る場所があれば、何度でもチャレンジできる。その存在に気がつくチャンスを得たことを祝福します。

高校卒業後、大野で1年間、浪人生活をおくりました。
都会から帰省してくる同級生がキラキラして見え、「大野を離れたい」という思いが強まる一方の、暗黒の1年でした(笑)。
建築家になりたかった僕は、建築の専門学校卒業後、フランス留学を決めました。留学資金を貯めるため、実家に戻り、工場で働き、フランスに渡ったものの、資金が尽き、再び大野へ。
東京の著名な建築家に手紙を書き、アシスタントとしてのポストを得ました。
東京にでる資金を貯めるため、実家に戻り、工場で働き、東京へと移り住みました。
その後、がむしゃらに働き、自信と実力を少しずつ身につけ、いまは一級建築士としてマンションやホテルなどの建築設計・デザインをやっています。

今日、大野を巣立つ「大野を離れたい一心の」君へ。
おめでとうございます。
大野を離れたあなたは、大野を外から感じられるチャンスを得ました。
大野にはこれがないとか、ここが嫌というマイナス面だけではなく、大野にはあれがあった、ここが良かったというプラス面にもいつか目を向けるのも良いと思います。

このメッセージを一緒につくった先輩蛙たち

田中孝志
太田賢志
仲井賢二
片瀬靖規
CROP
早川光
長谷川和俊
マツモトキミヒ
東京奥越経済同友会
竹中あゆみ
2001年 大野高校卒業生より
皆藤昌利
金森太郎
嵐かぶら
飯田圭佑
田中哲也
木勢峰之
烝徳信康@横浜
永川 日出
くわまん
青木直人
ともこ
山田将章
平鍋健児
嶋田多江子
下山哲人
羽根田友香
『だいすき大野』
石丸靖洋
匿名
足利昌俊
葉月
大里学
植村倫明
藤田博也
新進印刷株式会社
(敬称略、支援してくださった順)



東京912は福井県大野市出身のボランティアメンバーで運営しており、「大野人 in 東京」に出ていただく方々にも無償でインタビューを受けていただいています。が、多少の経費はかかっていたり、年に数回開催するイベントは基本赤字です笑 サポートいただけるようでしたら、大変ありがたいです。