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「オレらのプロポ」  「オートマティック外伝」の前に


1.

「おっと、記事欄がちがうと、なんだか雰囲気もちがうな。異空間に来たみたいだ。
 ところで鉄、さっき飲みかけていたスクリュードライバー、夏みかん風味マシマシはどこいったんだ」

「ブラウン管テレビの上にのっけていったんじゃないすか」

「あー、そうかそうか。そうっだったな。まだ薄型テレビが買えなくても、ブラウン管は上にのせる幅が広いから、こんなとき便利さ。バカやろ。恥ずかしいじゃないか。思わず平成のときでもやらない、古いギャグをいわせやがって、などと」

「そうでもないすよ」

「そうなの。ところで鉄、またあいかわらず YouTube やってんのか。それ、極道ユーチューバーのやつだな」


「これ、オレのコメントのやつです」

「あっそう。どれどれ。

 “業界大手山口組、8年目の襲名式

 田岡一雄死して8年後、
  山口組5代目渡辺芳則襲名、
 その8年後、宅見勝暗殺され若頭不在
 その8年後、山口組6代目司忍(弘道会初代)襲名
 その8年後、高山清司(弘道会)2代目襲名
 その8年後(2013)、竹内照明(弘道会)3代目襲名

 そして今年の8年目は風邪ウィルスで、何かと自粛しているとか。
 これからさき、八の末広がりになって行くんでしょうか。それとも、絶頂は崩壊の始まりともいわれている。それは誰にもわからない。
 山口組の、明日はどっちだ。”」



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2.

「なるほど、大手になればなるほど大変ってものよ。表社会と同じで大変さ、アメリカみたいに。

 世間のひと様は何かというとオレたちを毛嫌いするけど、表社会の現実はオレたち裏社会の反映というか、表裏一体なんだ。表社会を見るためには、裏社会を見るとよくわかるってものさ。

 そんな外面的社会と同じように、内面世界も同じ。けっして、じぶんをじぶんで見れない、何かを介さないと見れない。鏡を見ないとみれないように、虚像とか虚構(フィクション)を通してしか見れない、というか有効なんだ。

 たとえば鉄、じぶんの顔を見るとき、どうする」

「鏡を見ますね」

「そう、いまいったように鏡を見る。ないときは水面なんか見て、じぶんの顔が見れる。けっしてじぶんをじぶんで見れない、じぶんでじぶんを語れないように。
 じぶんを見るとき、常に鏡を通して、鏡に映る虚像を通して初めてじぶんを見れるんだ。また内面を見て語るとき、同じようにじぶんでじぶんを語るより、虚構(フィクション)を通して語ることが大いに有効なんだ。わかる。

 人工的に創造する、つまり芸術することが間接的に、じぶんとは何か、私を含めて人間とは何かを表しているのさ。創造したものから、うかがいしるのさ」

「じっさい、そうですよね。女性はウソは嫌い、ウソつく人はもっと嫌いといいながら、歌番組やドラマはよく見るし、小説は女性がいなければ絶滅するといっているぐらいだから。タレントを見たら、きゃあ。人気作家を見たら、とってもすごい、なんていってやがる。いやいやっといいながら、男を誘っているし、ウソが大好きなんですよね」

「この前、嫁さんの手を握りしめたら、イヤッといわれて殴られちゃった」

「作家気取りじゃないんですか。わたしのイヤッをちゃんと読みとってほしい、言外の意味を読みとってほしいなんてね」


「それはともかく、note の読者は品がよくておしとやかだから、オレたちなんかは肌があわないんだろうよ。

 オレたちも何回か、「オレらの親分」に出させてもらっているけど、面白いのかどうか不安だ。栄太郎さんにいろいろ気を使ってもらって、登場記事の1と2と3をまとめてもらったり、それに今回「オートマティック外伝」に抜擢されちゃって、びっくりしちゃった。

 張り切って表現しているから、みなさんも読んでね、と宣伝して、ひとまずここはおひらきだ」


「鉄も出ているよ、読んでね」

















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