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「プロポー」  われわれの生きる道


 それいにしえとうとんで今を卑しむは、学者の流なり 
 (荘子、第26) 


昔は、よかったな
現在ばかりでなく古代中国の荘子のときでさえ、
一般大衆のみならず
すでに学者やえらい先生たちに共通した態度だったらしい

学者でさえそうだから、
古代中国やローマの歴史物語を
したり顔でものがたる現在の作家はさもありなん

昔のことは饒舌に語るのに、
いま起こっている政治状況に関しては高みの見物、
関係ないね、と思っているらしい
興味がないみたいで、
むしろ政治に関わると品がない、
高尚じゃないと思っているらしい

高いところ、
屋根の上からごゆっくり、ご見物なさっています
それでいて、
なんとか状況が落ち着き、
結果がつくとやおら出てきて、
えらそうに能書きを垂れるのです

歴史小説を書いている作家で、
現在社会状況のなか、
身体を引き受けて闘っている人はどれだけいるだろうか
むしろ、くだらないと思っている無関心な作家ばかりだ

歴史は現在の積み重ねであるのに

でも作家にいうのも酷な話
人は自分に似たものを好む、とかいいます


じつのところ新聞社やテレビ局、作家が
どうのこうのいうのではなくて、
よく考えてみれば、われわれ大衆や読者の気持ちの反映にすぎなかった

じっさいマスコミも作家も、
われわれ大衆に支持されないことには成り立たない
いくら正しいと思っても状況で、
新聞社やテレビ局が反体制であったり
支持していると思われたら
新聞もとってもらえない、
不謹慎だと思われるし、
そんな非国民なテレビ局は見ないといわれる

新聞社やテレビ局
イザとなったら、
最終的に、戦前のマスコミと同じように
会社を守るために日和見になって、
権力者や警察の言いなり、
そんなこんなで身が危険になったりしたら状況が落ちつくまで
都合よく、何も考えずに無の気持ちでお使えして、
ただの広報機関になるのは毎度のことで仕方なかった
そしていつも最後にいう経営者の言葉は、文句ある記者はやめてください


でも、いくらマスコミがえらそうに振る舞っているように見えても、
じっさいは刹那的な大衆社会にあって、
いいときばかりの調子のいい、われわれ一般ピープウのご機嫌しだい

状況しだいでコロコロ変わる、
気分しだいの強い方の見方である一般ピープウの、われわれしだい

作家がいくら自分が正しいと思っても、
危険をかけて、
見苦しい態度を見せて、
どうなるのかわからないのに危なくてやってられない

そう、
なんだかんだいっても常に強い方について行く、
王朝、幕府と政治体制が変わっても、
常に勝ったほうについて行く
太古の歴史始まっていらい、なんら変わらない
弱い小市民が生きていく処世術の、生活の知恵だった

これが、
いくら卑怯な奴らだとか日和見だとかいわれても、
ひとりでは弱いくせに団体多数になったら、その他大勢の匿名の陰に隠れ、
えらそうに攻撃している汚い奴らだ、といわれても
しようがないじゃん
だって怖いもん
それに、そうそう、家族があるし、気軽な身じゃないんですよ


マスコミも、
そんなわれわれの気持ちを反映して、まねしているわけだから、
あまり批判できない

そんなわれわれ大衆に似て、
新聞社やテレビ局が、警察や権力者とナアナアといわれても、インポテンツな作家といわれても、いまいったようにわれわれ一般大衆の気持ちを反映しているのだから、文句があるならわれわれ一般小市民にいってください

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