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終わりと出会って、始まった。

2021年、夏。

「ガン」との出会いは、突然でした。

神戸の路地にしゃがみ込む、

まさに呆然と。

ユーモア溢れる2歳の娘。

そんなに体力があるタイプではない妻。

この2人を残しては、まだ逝けない。

そう思いつつも、自分の人生の終わりを強く意識したことを今でも覚えています。

この記事では、31歳になる私がガンと出会い、人生を見つめ直し、今を、これからをどう生きようとしているのか、そんなお話ができたらと思います。

お時間が許す限り、ご覧ください。

右のこめかみの黒いヤツ

ある朝、

洗面台の鏡を見て思うこと、

「さすがに気になってきたなぁ...」

右のこめかみを触ると、

黒くてぷっくりしたデキモノがありました。

読書や仕事など、何かに集中する時

右のこめかみの黒いヤツを触ることが習慣になっていたのです。

最初は単なるシミだったけど、いつからか大きくなっていた黒いヤツ

さすがに気になってきたため、形成外科で切ってもらうことにしました。

「万に一つの確率だけど、一応出しておくね」

出しておく、とは、切り取った黒いヤツがガンかどうか確かめる検査のこと。

万に一つが当たるはずもないと、

この時は思っていました。

出会いは突然に

とても暑い夏の日、

午前中に仕事を終え、検査結果を聞きに行きました。

診察室に入った時、

先生が作った沈黙の間、

ほんの一瞬だったけど、

察しました。

「皮膚ガンでした。」

私は、

「あ、そうでしたか。」

というリアクションしかできませんでした。

他医療機関で精密検査をしていく必要があると説明を受け、

すぐに予約をとりました。

しかし、頭の中はぐるぐる。

「いやいや、何かの冗談かな」

「いやいや、まだ31歳だけど」

「いやいや、父親のこともあったし、少し覚悟はしていたけど早過ぎない?」

私の父親は50代の時、ガンで亡くなりました。

私がまだ、中学生の頃でした。

その頃から「自分も生きて50歳代までか」なんて考えていました。

それが31歳。

あまりにも突然の出会いでした。

妻に電話をし、報告。

妻もテンパる。

それはそうなる。

間違いない反応だ。

娘ができ、今後のキャリアを見直していた矢先の、ガンの告知だった。

正直、ショックだった。

終わりを悟ると考えが変わる

その後、精密検査を進め、

幸いにも転移はなかった。

少し安心した。

追加の皮膚切除も行い、

経過も良好であった。

皮膚ガンは切除が出来てしまえば、生存率も高い。

目に見える形で出会えたのも、まさしく不幸中の幸いというやつか。

とはいえ、告知を受けた時は、確実にどよめいた。

終わりを悟った。

経過が良好だとしても、自分の残り時間というものを強く意識するようになった。

残された時間で、自分に何ができるか。

よく考えた。

納得した人生を送れる人を増やしたい

私が出したひとつの答えは、キャリア支援ができる人間になること。

私は、理学療法士という専門職として、21歳から現場で働き始めた。

その後、3年目の時にプレイングマネジャーとなり、葛藤を抱えては打ち破りながら、経験を重ねていった。

結婚し、子供も授かり、キャリアデザインを通して人生について見直していた。

その最中での、終わりとの出会いだった。

自分は、自分の人生に納得しているのか。

この問いに「yes」と答えられる人生を歩みたいと強く思った。

そして、自分の人生に納得できる人を増やしたいと思った。

子供を授かる、ガンの告知を受ける。

生と死と、向き合うことができたこの出会い。

この出会いを活かし、キャリア支援をひとつのライフワークとしていくことを決めた。

このまま経過が良好であることを願いながら、

この出会いを始まりと捉え、

これからを生きていきたいと思う。

おわりに

頭に浮かんだ言葉を書き殴りましたので、拙い文章で申し訳ありません。

ですが、自分らしい生きた文章が書けました。

このエピソードが自分を強くしてくれると思い込むためにも、この記事を残します。

みなさんは、2021年どんな出会いがありましたか?

みなさんの健康を願うと共に、

納得した人生が送れるよう切に願っております。

最後までご覧頂きありがとうございました。

徳嶋慎太郎

いつも読んでくださりありがとうございます!サポート代は、面白い記事が書けるためにも勉強代に活用させて頂きます!(少しワインにゆくかもですw)