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「不惑」がやってくる

四十にして惑わず。

昔の先生がおっしゃったこの言葉が、何年も気になっていました。
「40歳になったら己の人生に迷いがなくなる」
はずだったのに、迷ったままここまできてしまいました。

2019年8月に40歳の誕生日を迎えます。

どうしたもんかと思っていたある日、知り合いの家の犬に噛まれました。
その犬はワクチンうってたらしいのですが、致死率100%の狂犬病という強いイメージによって、死ぬことをいつもより生々しく考えました。

僕には奥さんと二人の子供がいます。

自慢したいくらい素敵な家族と暮らしています。
死んだら悔いが残るのは家族のことで、今の日本なら餓死することはないだろうけど、辛い思いをさせるだろうな。死んじゃうのはどうしようもないとしたら何を残せるかな。それは、僕が死んだ後に助けてくれる人がいるようにすることだろうか。そんな繋がりを作れているだろうか。いや、そんな見返りを期待した関係ではなく、でも、家族が困ったときに助けてくれるような人がいてくれたら地縛霊にはならなくてすみそうだな。

そんなことを考えたてたときに、この不惑という言葉がやってきて、一足飛びで僕のやるべきことを示してくれた気がしたのです。

自分の持っているものを使って、社会に役立つことをする。

良い社会を作ることが自分の大切な人の人生を助けることになるんだから「迷ってないでやってみろ」そんな声が聞こえた気がして、自分の得意なことと、手の届く範囲の社会で求められていることの整理をしました。

地域の子供達にITのことを教える先生(40歳男性・兵庫県)

になろう。
迷いはなくならないけど、とりあえず迷うのやめて、やってみよう。

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