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川と身体とのつながり

私の村は川に沿ってあったので、生活の基調音として常に川の流れる音があった。毎日そこにいるとその音は無音として捉えられていたが、11歳で村を出て、町に建て直した新しい家で初めて寝た夜、あまりの静けさに寝られず、そういえば村には川が流れていたんだったな、ということを思い出した。

夏の暑い日は午後になると、先生が授業を変更して川に連れて行ってくれた。
私たちの分校にはプールはなく、川の特定の場所が昔から水泳場とされていた。集落内にある川の中でも川原があり浅瀬があり、また大岩と淵もあって泳ぎやすい場所が選ばれていた。とはいえ上流なので川幅も狭く流れはどちらかというと早く、泳法をじっくりと学ぶような環境ではなかった。苔でヌルヌルしている川底の石に足を取られず川に溺れず、流されないように泳ぎきる、みたいなスキルが必要とされた。

私は小さな頃にお風呂で溺れたからなのか水が怖く、泳ぎが苦手だった。
人より泳げるようになるのが遅かったので、年の離れた姉兄がふざけて「メダカを飲まされるぞ」「大岩から投げ込まれるぞ」とからかうのであった。「メダカを飲まされる」というのは、泳げるようになるおまじないみたいなもので、実際、9つ上の姉は大人から勧められ川で泳いでいるメダカを掬って生きたまま飲まされた、と少し恨めしげに昔のことを話すし、6つ上の兄の時代にはいつまでも怖がって泳げない男子は大岩から深いところに投げ込まれた(すると自然に泳げるようになったらしい)、と話してくれた。(どれも昔だから許されたことだ)

幸い、そんなスパルタは私の頃にはもうなかったが、「泳げなくても構わないけど、泳ぎたければ自力で頑張れ」という厳しさはあった。
いつまでも泳げない私は、泳ぎ渡って向こう岸で遊んだり、深い淵に潜って魚たちと戯れたり、大岩から豪快に飛び込んだり楽しそうにしている上級生や仲間を恨めしそうに眺めながら、いつまでも浅瀬でワニさん泳ぎで顔を水に漬ける練習をしたり、その辺の浅瀬にいるオタマジャクシやヤゴをずっと見たり、川原で石ころを拾うしかなかったのだった。
悔しさに一念発起して3年生くらいでやっと、顔を水につけなければ犬かきや平泳ぎで足のつかない場所へも泳いでいけるようになった。
真夏でも川の上流だから水がとても冷たかったのだが、口が紫になって鳥肌でブツブツになるまで水の中にいて、川から上がると陽に照らされて熱々になった大岩にへばりついて体を温める、ということを繰り返した。

村から離れて町の学校に通うようになって、プールを初めて見た。流れもないたっぷりとした心持ち温かな水が湛えられた鮮やかな水色の世界は、川で育った私には(塩素の香りさえ)「おしゃれ」に見えてときめいた。川はどちらかというと川藻の色、緑色の世界であり、冷たい水が絶えず体を押し流そうとする厳しい世界だから、対照的だった。
前述の通り泳法の練習などしてこなかった私は、プールの授業ではすごく苦労した。他の子らは当たり前のようにクロールで何往復もできる中、私は端っこの方でビート板を使ったバタ足の練習をするという恥ずかしい時間を過ごしていた。苦痛な時間をやり過ごすことに終始して、結局クロールを習得することはできず、自分に「カナヅチ」というレッテルを強烈に貼り付けて大人になって、泳ぐことを避けるようになっていた。

閉村後、まるで別れを惜しむ猶予のように長い月日があったが、時々、村を訪れることもよくあった。家々の跡がなく当時の村の面影をたどりづらくなると、自然にあの水泳場に足が向いた。しかし、閉村し住民がいなくなった後、川にある岩で美しいものは他所の誰かが持ち去ってしまったようで、水泳場の上流の美しい青岩もなくなってしまったことで水の流れが変わり、川原がすっかりなくなってしまっていた。だからかつてのようにそこに降りて記憶をたどることもできなかった。
いよいよダムの建設も終盤、あと数年で湛水が始まる、という時になって、水泳場が再び当時の姿を現してくれるという奇跡がおこった。
その頃にはすっかり大人になっていた私は水泳場に降りていき、そこの象徴でもある大岩に対峙した。一瞬、頭で「これどうやってのぼるんだっけな」と思うのもつかの間、身体はしっかりと子供の頃に登り慣れた岩肌を覚えており、何も考えなくても何も見なくても、手足が岩の凸凹を捉えていともたやすくするすると登ったのだった。自分の身体なのに、その時はまるで意識が別の乗り物に乗っているかのような「別々感」があり、驚きで思わず、わぁ!と声を上げるほどだった。
また、「大人になった私の意識」下では筋金入りのカナヅチなはずの私の身体は川の水に入りたがった。もうこうなったら身体の気持ちに任せよう、という思い切った気分になってこわごわと飛び込んでみると、足がつかないような深い場所でも沈むことはなかった。まるで川の流れが浮くことをサポートしてくれているようだった。安心してその流れに身を委ねるとぷかんと浮いてすーっと川に流され、また少し泳ぐとその場にとどまったりできた。さらに欲求にまかせて川の中に潜って魚の群れを見たりもした。大岩の時と同じように別の身体を手に入れたような自由な感覚で、まるで川の魚にでもなったかのような錯覚を覚え、疲れるまで川と戯れた。
じっと押し黙っていた「身体」自体の意思が、十数年ぶりの水の原風景に置かれた時に「意識」のコントロールから解き放たれて、喜びいっぱいにその場所を味わっていた。私の意識はただただそれに驚いて、そして心の底から幸福感に包まれた。
ザーーーーーーーーーーーという絶え間ない川の流れる音、川藻の匂い、おおらかに見守ってくれているかのような大岩、下流に向かって吹き続ける風、太陽の光に照らされて様々に光る水面、目に映る色々な緑色たち、冷たい水の肌ざわり、素早く動く魚影、などなど、五感からいくつもの要素が揃って入ってきたことで、「身体」の細胞たちの記憶がはっきりと目覚めて、唯一無二の「場」と奇跡の再会を喜び合っているような時間だった。

あれほどの幸福感というものが、この先どのくらい経験できるのだろう。皮膚に包まれ外界と分けられている「個」ではなくて、そんな自意識を超えて境界がとっぱらわれ私の中身が「場」に溶け出し、大きなものと一体となる感覚。もしかすると村で生きてきた人間の中で連綿と受け継がれてきたDNAの持つ長い長い時間の記憶の方に大きくアクセスしていたのかもしれない。村と離れる前に、自然の力で水泳場が再現されて、その体験をさせてもらえたことは、まったく奇跡でしかない。

意識とか脳の記憶とはまったく別の次元で展開される、身体の細胞に刻み込まれた命の喜びのようなものが存在するということを教えられた出来事だったし、こうやって書きながら実はもっともっと大切な根源的なことが隠されているような気もしてきた。

そして、私はどうやらカナヅチではなかった。


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