見出し画像

生きる(活きる)フィールド

村の春は4月中旬くらいからじわじわと来る。なぜかというと、昔から積雪が多いところで(近年は少なくなってきているようだが)、その雪が解けて地面が顔を出し植物が目を覚まし始めるのがそのくらいだからである。山菜のピークともなると5月連休明けくらいになる。
村に住んでいた頃、積雪は3メートルに及ぶような記録もあり、冬はだいたい1階は雪に埋まってしまっていて2階や屋根から飛び降りる遊びもあった。
深い雪に閉ざされた長く暗い冬がだんだんと終わり、日差しがよく届いて暖かくなると、雪が解けてポタポタ、チョロチョロ、という水の音がそこらじゅうから聞こえる。乾いた地面が見えてきている。残雪が丸く解けてきているのを覗くとフキノトウが顔を出し始めていたりする。私は小さな頃からその時期に外をうろつくのが特に大好きで、雪解けの時期の大気の、モクモクとたちのぼる水蒸気の独特な香りを嗅ぎながら、雪に埋まって目にすることのなかったものたち(人工物も自然物も色たちも)と「またちゃんと会えた」再会というものにワクワクとしていた。

画像1

春の山菜の時期は村の人たちの心踊る時期となる。離村後も何度も、両親と山菜を採りに出かけた。
冬のモノクロの世界に再び戻って来る色の世界が眩しく、普段淡々とした両親も口数が多くなる。コゴミならあそこにある、フキはこっちだ、アザミは向こうだ、とかつて田仕事・山仕事に通い詰めた山々の植生データベースを正確に読みだして、スタスタと歩き回る。

自然とともにあった生活が一変し、せいぜい移転先の新しい家の近隣にこしらえた家庭菜園を管理するくらいの時間しか土と触れ合うことができなくなった大人たち、特に多くのお年寄りたちの元気がなくなって、一気に老けてしまった。痴呆が進んで村の記憶すらあいまいになってしまったり、自死を選んでしまう大人もあったようだ。
時間の経過という要因も当然あるが、両親の歩き方や言動にも老いを感じ、私はそういう現象を耳にし目の当たりすることで「どの環境でどう生きるか」ということがその人の生きる力にダイレクトに影響するんだなあと考えさせられた。

画像2

そんな老いてきつつある両親が再び村を訪れ、かつてのフィールドに入った瞬間、みるみる光り輝くのである。
歩き回ることをしんどいと言うようになっていた母親が、記憶と戯れながら目的地目指して山道も早足でズンズンと登っていったり、腰の曲がり始めた父親が小川を前にどこからともなく丸太を運んできてそれを橋にしてひょいひょい軽々と向こう岸に渡ったりするのを私は目撃し、やっとの思いでついていきながら、内心その豹変ぶりに心底驚いた。普段は若い私の方が老いた彼らを気遣ってサポートするような立場だったはずなのに、そこでは逆に私が一番足を引っ張っていた。
小高いところにある場所に腰を下ろしておにぎりをニコニコと美味しそうに頬張りながら昔話をする両親と過ごしながら、まるでかつてこの村で活躍していた現役時代(20代・30代)の彼らに、タイムマシンを使って会いに来たのではないかというくらいの別の姿を見ているなあとしみじみと思った。
人間にも「生きる(活きる)フィールド」というものがある。そこに回帰した時、両親の身体全身が、時間を巻き戻して命が一番輝いていた状態に戻った、という現象だったのだろう。

ダムに伴う生活拠点の変化、という人々の体験の内側にいたことで、「本人の意志とは違うタイミングでその場から離れるという体験をすると、芽吹いた土地から引っこ抜かれてしまった植物のように、移植に耐えられず枯れたり弱ったりすることがある」ということを学んだ。人間でも、目には見えないが、その”土地”に根を張って生きているのだろう。
そこの土や水や空気、植物・動物・微生物らも一緒に、唯一無二のその場のエネルギーを形成していて、それとのハーモニーによって、人は自分らしく生きるエネルギーを発揮できるのかもしれない。

父とか母とかいう役割を超えたその人本来の命の輝きを目撃することができた、その幻のような春のひとときの体験。あの場の気づき・尊さを忘れないようにしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?