見出し画像

最後の時間を一緒に過ごしてくれた友人たち

最近自分の部屋を片付けていたら過去のスケジュール帳が出てきた。2005年・2006年のものを開いてみると、かなり頻繁に故郷のあった場所に足を運んでいた様子。実際にダムに水が貯められる試験湛水開始が2006年秋だったので、特にその年の夏は実家にじっくりと滞在しており、連日のように村の名前が予定に書き込まれている。

当時私は車の運転ができなかったので、故郷に行く際にはほぼ父親の車で連れていってもらっていた。私(と友人)を送り届けると父は我々が飽きるまで、日がな一日、村を一人歩いたり昼寝をしたりして気長に待っていてくれて、思う存分時間を堪能することができた。
あの時は当たり前のように頼っていたけれど、娘の異常な故郷への執着によくぞこんなにとことん付き合ってくれたものだと、寡黙な亡き父のことを思い出す。あの夏のガソリン代はかなりのものだったと思う。

予定の中には、友人・知人の名前が日を変え何人も書いてある。
私は村の水没前、いろいろな友人たちに故郷のダムの話をよくしていて、みんな優しくそれに耳を傾けてくれた。中にはそれに興味を持ってくれる人もあり、水没前に行ってみたい、と何人も、忙しい中で遠路はるばる、時間を作ってやって来てくれていたのだ。

画像4

かつてあった村の面影は、私の記憶の中の話か、村を記録した写真集、時々やってきて話しかけてくる元村民のおじちゃん達の会話にしかない中、友人たちは観たかった風景が観られただろうか?体験したかった時間を過ごせただろうか? 思った以上に跡形もない、ただの山奥の草が繁茂している場所、ということに内心戸惑ったりしたかもしれない。
でも皆それぞれに、山の中で楽しく一緒に時間を過ごしてくれて(まあ嫌だと思っても自力では帰れない場所だけど!)、もうすぐ水の底に沈んでしまう場所の最後の時間を味わおうとしてくれた。
山に入っていろいろなものを観察したり山菜やキノコを採ったり、川に入って泳いで遊んだり、メンバーによっては何泊かのキャンプをしたりもした。あの世とこの世の狭間のような真っ暗闇の中になおも見える漆黒の山の稜線や、早朝しらじらと霧の中に明けてくる真っ白な川辺の空気をひたすら味わうなどという一期一会な心動く時間を過ごすこともできた。

そんなことをして過ごしながら、かつてこんな場所があったことを友人たちの体験という記憶の中に入れてもらえたという喜びが、当時の私の心の空洞を埋めてくれた。また、友人らの客観的な視点で見えるもの感じることを聞くことがものすごく栄養になった。

土と灰

そんないくつかの時間の中で、学校のあった場所に造成工事が入っていて、重機が山肌を崩しているところに遭遇したことがあった。学校の裏山の斜面には粘土質の土が出る場所があって、昔から私たち子どもの遊びの材料になっていたのを思い出し、怒られるのを覚悟で現場に近寄り、粘土を掘って少し持ち帰ることにした。
また、ある時には、生家の庭の柿の木が切り倒され玉切りになっているのを見つけたこともあった。これはまさしく我が家のいろいろな時間が内包されている木だと感じて救出し、その一部を焚き火で一晩燃やして灰にした。ちょうど何かで草木灰が釉薬の材料になると知ったばかりだったから、粘土質の土とこの灰で何かできそうな期待があった。
故郷での最後の夏を終え、秋になって落ち着いてから、親しくさせてもらっていた窯元に相談したところ、滞在制作を受け入れていただいた。何も分からない私に、通常業務のお忙しい中で土や灰の精製、粘土の扱いや釉薬の調合、焼成についてとても親身にサポートしていただいた。

画像1

私の心は、粘土をこねるその手触りや、焼きあがってガラス質に変身する釉薬の美しさをうっとり眺める事ですっかり満足してしまい、まとまった作品群として発表できるレベルのものは完成しなかった。村の川の大岩のスケッチを元にしたオブジェ、生まれ育った家、を作った後は、満足して半分夢を見ているような状態で、思いつくままに器とかタイル、風鈴とか陶琴にする板といった音の出るものを作ったりした(叩くとキンととても透明感のある音が出た)。
当時、大仰に素材を持ち込んで全面的に協力していただいたというのに何かしらの発表までこぎつけることもなく、プロジェクトとしては中途半端になってしまったので、受け入れ先の窯元の皆さんには本当に申し訳ない気持ちがあったけれど、私自身はこの一連の「第三者の手を借り、故郷のかけらを自分の手で、より自分へ手繰り寄せてくるという”時間”を味わう」という体験がしたかったのだなと、今となっては思う。

画像2

画像3

-       -      -      -      - 
いろいろな形で、最後の時間に付き合ってくれたり私の村への思いに力を貸してくれた友人たちや家族にはいくら感謝しても足りない。話を聞いてくれた人も入れると、たくさんの顔が思い浮かぶ。いろいろな友人の持つその人ならではの視点・感性や能力などを借りることで、より豊かに、村での時間をいろいろな角度から五感で味わうことができた。
もしこのテキストを読んでくれているそんな友がいたら、改めて、あの時は本当に本当にありがとうございました。

また、忙しかった仕事の締め切りや交通費をやりくりして、しつこくしつこく、思い出にとどまらせないリアルな体感にこだわって、なりふり構わずジタバタしていた当時の自分を褒めておきたい。あの時間があったからこそ、今につながるたくさんのことを身体中にダウンロードすることができ、後悔というものは残さず済んだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?