『遠い言葉』に魅せられて/『少年少女世界文学全集19 ドイツ編(2) グリム童話』/文:櫛田理絵
5歳のとき、祖父が亡くなった。私にとっては、身近な人がいなくなるはじめての経験で、悲しいのと同じぐらい、不思議な感じがした。
その後、祖母は叔父夫婦の家に引っ越すことになり、その手伝いで、母といっしょに一週間ほど祖母の家で過ごしたときのことだ。叔父の家に送る荷物の中に、古い子どもの本を見つけた。中を開くと、字がぎっしりつまっていて、目次には、お話の題名がずらりと並んでいた。「知らないお話がいっぱい!」私は、宝物を掘り当てたみたいにうれしくなって、わくわくしながら読みはじめた。だが、知らない漢字や言葉にはばまれて、なかなか意味が取れない。それでも、その未知のお話の世界に入りたくて、忙しい大人たちの横で、何度もその本—『グリム童話集』—を開いた。
なかでも、いちばん印象に残ったお話が、「こわがることをおぼえようと旅に出た男の話」。物語の中で男は、「ぞっとしたいなあ」というセリフを何度も口にするのだが、当時、私は「ぞっとする」という言葉になじみがなく、まさに主人公といっしょになって、「ぞっとする」とはどういうことか、感じ取ろうとしていた。
数年たち、小学生になってから、叔父の家に行くと、この本と装丁の似た本がいくつも本棚に並んでいた。それは、母たちきょうだいが子ども時代に買ってもらった『少年少女世界文学全集』で、『グリム童話集』はその一冊だったとわかった。
あらためて読んでみると、今度は難なく意味が取れて、うれしかったのを覚えている。それでも、「ぞっとする」という言葉だけは、ふだん自分が使わないからか、やっぱり遠い言葉のように感じられた。
遠い言葉—これを、今も英語の本を読んでいて、たまに感じる。独特な言い回しや、感覚的になじみのない表現—日本語に置きかえてみても、やっぱりどことなく遠い気がする。でも、その遠さが、ちがう世界を感じさせ、読んでいるとわくわくしてくるのだ。もしかすると、この感覚が好きで、翻訳をやりたいと思ったのかもしれない。
それにしても、なぜ、数あるグリムのお話の中で、この「こわがることをおぼえようと旅に出た男の話」が印象に残ったのか。きっと私はこの、物語の一文であるかのような長い題名、題名からもうお話が始まっているような題名に惹かれたのだ。
10年ほど前、叔父の家に残っていた『少年少女世界文学全集』をすべて譲ってもらった。しばらく我が家の本棚に収めていたが、本が増えて棚が足りなくなり、長いこと奥にしまいこんであった。
つい先日、久々に出してきて読んでみた。幼かったあの日、「遠く」感じた「ぞっとする」という言葉は、半世紀近くを経て、なじみのある言葉へと変わっていたが、あのとき抱いた感覚は、心がまだ覚えていた。
言葉への好奇心を目覚めさせ、翻訳の仕事へと導いてくれた本。その思い出の本の横で、今日もまた、「遠い言葉」との出会いを楽しみ、新たな本を開く—。
『少年少女世界文学全集19 ドイツ編(2) グリム童話集』
グリム兄弟 作
植田敏郎 訳
初版1959年
講談社 刊
(徳間書店児童書編集部機関紙「子どもの本だより」2023年9月/10月号より)