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「美術の領域を超えて生まれる絵本」クヴィエタ・パツォウスカー『マッチ売りの少女』

 色とりどりのマッチの頭を擦りつけたような、パステルの跡が並ぶ表紙。これは、国際アンデルセン賞受賞画家、チェコのクヴィエタ・パツォウスカー(1928〜2023)が描いた、『マッチ売りの少女』(ほるぷ出版 2006年)。物語のパツォウスカー的解釈とも言える絵本です。

 誰にもマッチを買ってもらえず、少女が裸足で寒い街をさ迷う一日。場面は、リトグラフの色面や鉛筆画等、異なる技法が生む、異なる「黒」で構成されます。落胆した少女がマッチを擦って幻想を見る場面では、抽象的な色の世界が展開し、最後に残りのマッチを全部擦って、おばあさんが現れる場面は鮮烈な「赤」。

 「パツォウスカー・レッド」と呼びたくなる特有の赤に、補色の青緑等を組み合わせた鮮やかな色彩。さらに「全ての色を含んでいる色だから一番好き」と画家が語る黒。自在に走る線。大小や遠近等、既成概念に縛られることなくさまざまなものが自在に構成された画面には、読者を驚かせ、楽しませ、読者が自由に想像を膨らませられる力があります。

 旧チェコスロヴァキア共和国に、オペラ歌手の父、外国語教師をしていた母のもと、パツォウスカーは恵まれた環境に生まれ育ちます。けれど、ナチスの台頭で、彼女が13歳の時にユダヤ人の父親は強制収容所に連行され、二度と会うことはできませんでした。母親がチェコ人であったことから強制収容所こそ免れましたが、17歳まで学校へ通うことが許されず、そんな少女時代の慰めは、本や音楽に囲まれ楽しかった幼い頃の思い出だったと後に語りました。その記憶と経験が、子どもの本の仕事へも繋がります。

 戦後、ようやく勉強ができるようになって、選んだのは美術学校。プラハ応用美術大学で、チェコキュビズムを代表する画家で彫刻家のエミール・フィラのもとで学びます。けれど、当時の母国は、旧ソビエト影響下、自由な表現は認められず、彼女は比較的制約の少ない子どもの本の世界で自分の表現をつづけました。自分のやりたい創作活動ができるようになるのは、1989年のビロード革命後。彼女自身もデモに参加して勝ち取った表現の自由です。この時、画家61歳。以降、今年の2月に95歳で亡くなるまで、グラフィックアート、立体やインスタレーション等の現代美術、ブックデザイン、そして絵本等、異なる領域を縦横に行き来しながら旺盛な創作を行いました。

 安曇野ちひろ美術館がある公園には彼女の作品、深さ20センチの水の底に赤と黒二つのタイル絵が広がる池と大きな岩のオブジェがあります。1997年、開館前にその制作のために来日した彼女、制作を終えた後、「私は今日やれることは明日に残さないの」と、はにかんだ笑顔を見せながら、私たちのキャプション作りを手伝ってくれました。

「自分に残された時間は全て創作に充てたい」とも語っていた彼女は、その言葉通りに生き、旅立ちました。

『マッチ売りの少女』
H・C・アンデルセン 文
クヴィエタ・パツォウスカー 絵
掛川恭子 訳
初版2006年
ほるぷ出版 刊

文:竹迫祐子(たけさこ ゆうこ)
いわさきちひろ記念事業団理事。同学芸員。これまでに、学芸員として数多くの館内外の展覧会企画を担当。財団では、絵本文化支援事業を担い、欧米のほか、韓国、中国、台湾、ベトナム等、アジアの国々での国際交流を展開。絵本画家いわさきちひろの紹介・普及、絵本文化の育成支援の活動を担う。著書に、『ちひろの昭和』『初山滋:永遠のモダニスト』(ともに河出書房新社)、『ちひろを訪ねる旅』(新日本出版社)などがある。

(徳間書店児童書編集部機関紙「子どもの本だより」
 2023年5月/6月号より)


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