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track 02 「いろいろと拗らせてたんですよ」

 言わばクラウドを指向してひとがたへの変化を仕向ける最後の一押し。

 自らが音叉となり対象に、即ち彼の邪気に陰性思念をぶつけて刺激し、加速、増幅を促し強制的に形を持たせる、果たして自らの領域内に引き摺り込んだ末に滅ぼそうという算段。

 登校中の時間を利用し、閉鎖後しばらく放置されているらしき雰囲気の廃ビルに立ち寄り、二階の嘗ては託児所として使用されていたと思しい一室を吹き溜まりとする彼の邪気に監視の目を向け、同時に便所の壁に落書きをするみたいに心中で遠慮のない罵詈雑言を浴びせ続けて三週間目。今日の放課後辺りが収穫の頃合だろうと、六神円将ロクガミエンショウはそのように判断した。

 果たして廃ビルを後にし、線路沿いのなだらかな上り坂を駅へ向かい進むと、おそらくはどこぞの会社の新人研修の一環なのだろう、初々しいスーツ姿の男女数名のグループが駅前に整列し、昨日までの反省点と今日からの抱負などを順繰りに大声で発表している姿があり、これを横目にしながら東口から西口へと、駅舎を通り抜ける。途端に、東口までは疎らだった同じ制服姿の少年少女らの数が増える。彼らを点として線で繋げばそれが市立宝町高校に続く通学路、そこを往く列に紛れながらもしかし、笛吹きが奏でる旋律に合わせて踊るみたいに軽やかな足取りの周囲の、矢鱈滅鱈な明るさと、世界は自分たちを中心に回っていると言うみたいな振る舞いからは、自分は断絶して在らねばならないと円将は考える。だからイヤホンと、聴覚を殴り殺すような大音量で再生される音楽がマイケル・マイヤーズに於ける白塗りのハロウィンマスクに相当する。

 背後に気配が迫り、かと思うと右肩を叩かれた。イヤホンを外しながら顔を振り向けると、同級の千葉今日太チバキョウタが駄菓子屋でココアシガレットをまとめ買いする時みたいな表情を浮かべて立っていた。入学初日、厄介もの認定を受けクラス内で孤立する目的の一芝居に利用して以降は特段の関わりもない相手、そんな彼が朝の挨拶の後になにか、呼び止めた理由らしき事を喋っていた。

「ああ、どうも」

 と答えて円将は、興味が湧かない彼の言葉を撥ね返すように直ぐにまたイヤホンを耳に突っ込み、紛れる気もなく然りとて往かざるを得ない笛の音に踊る通学路に戻った。

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track 02 「いろいろと拗らせてたんですよ」


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 市立宝町高校、一年A組。

 廊下側最後尾の自分の席に鞄を置き、無邪気に朝の挨拶を飛ばしてくるクラスメイトに対し愛想好く返事をしながら教室を見回した円将、果たして目当ての相手を見付けると、教室内の皆に聞かせるような音量でその彼女の名前を呼んだ。

「昨日の告白の返事、即答させて呉れなかったから今ここではっきりと断らせてもらうよ。人を馬鹿にするのも大概にしろよ」

 すわ降り懸かる突然の公開処刑、対して、クラス一の美少女の呼び声に対し謙遜も否定もない図太い神経の持ち主たる彼女は、友人らとのお喋りの場から引き剥がされ地に叩き付けられるに等しい事態にただ、表情を引き攣らせて固まってしまう。彼女のその戸惑いが伝播し、教室内にざわめきが拡がると円将がほくそ笑み、しっかりと嫌味に見えるように肩ほどまで届く長髪を気障にかき上げる。

「散々、他愛ない失恋話で同情を乞うたあんたの事だ、付き合ったりすればきっと今度は被害者面でありもしない権利を主張して愛情を強請るに違いないんだ。挫折を嫌い予防線を張り保険を掛け不安を解消し、安寧を得る、だけどそんな情態が真に無事である筈がなく非生産的な自慰行為も同然、幾ら繰り返したところで独りぼっちのまんまなんだよ、あんたは。そんな事も分からずに、そしてそんな事の為に、他者に生贄になって呉れだなんてよくも言えたもんだな、この恥知らずが」

 彼女の頬の紅潮は、羞恥と憤りと悔しさとがない交ぜとなり起こった感情の爆発、瞳の潤みは自動的に発動する装置、乞う迄もなく周囲に同情心を抱かせるべくの。

「なんだ、意外と言葉が通じるか。だったら言わせてもらうけどさ」

 それら彼女に見られる反応を、計算通りに事が運んだしるしと捉え、とどめとするべくの一言を放つ。

「その外見に生まれた事が呪いだと自分で理解が出来ていないのならあんた、いつか心が死ぬよ」

 即ち、誰も俺に近寄るなという宣言。

 結果円将は、入学初日の失敗をようやく取り返した。

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 三週間前。

 厭世観を以て斜に構えた態度も誰とも共有し得ない孤独の訴えに過ぎないと、今日太の連れである三塚松理ミツヅカマツリに見透かされた。更に、松理に紹介された上級生の小龍包虫男ショウロンパオムシオ、通称小虫コムシには、頑冥不霊を脱け出さなければいずれ負け戦だと諭された。

 黒革の、大判の眼帯で覆っているのは右の目と頬。学校指定のブレザーではなく詰襟を、腕を通さず肩に掛けて羽織った格好はただの横着か或いは欠損した左腕を誤魔化す為か。上背があってそこに、全方位に向いた盲滅法な反抗心が上乗せされると或る種異様な存在感を醸した。声は見た目の印象通り、低く落ち着いているがなにかに急かされているように早口で喋り出すと若干甲高くなり、そして語られる言葉は卑近ながら不思議な説得力を持って響いた、或いは上辺なぞりのままただ過ぎた。

 小虫と、顔見知りになるという事は即ち、直線型校舎の三階、南端に位置する音楽室を溜まり場として授業時間以外の大部分をそこに屯して過ごす連中、その人脈と繋がりを持つという事であり、それは或いは呼ばれていないダンスパーティーに参加をして終わりまで過ごさねばならぬようなものと覚悟をしていた高校生活が、また違ったものになる予感に等しかった。

 故に三週間前に、松理に連れられて足を踏み入れた音楽室で小虫と面談をしている間は、自分がなにかに見出されたような気持ちの高揚を覚えていた。しかしその直後、小虫の参謀か或いは表裏一体かのような存在、神代国見カミシロクニミによって失望がもたらされた。それは円将が、これまでに幾度となく味わった世界から拒絶を言い渡される瞬間、即ち。

「およそ全うな勤め人として平均的な社会生活を築く事には興味を持たないような不適合者の、或いは、責任を逃れ気ままに生き約束も果たさず身勝手に去っていく碌でもない連中の集まりだと思ってくれれば話は、ま、早いんだけどさ、そうした奴らが実社会で零れ落ちずに済む方法を、俺が若輩なりに考えて出した解答が」

 携帯電話の電波はおろか外来語も届かない山奥の孤児院出身者をその主な構成員とする、音楽室に屯する連中は、男子は一棟借りしたアパートで、女子は一軒家で共同生活を送る仲間であると同時に、一つの目標の下に団結した共同体なのだと言う。

「トレーラーハウスパーク設置計画、相互扶助を基本とする集落の形成でありその試行運転の、ま、段階が現状という訳だ」

 その目標達成に向けた具体的施策、資金を作る為の最良の形が詰まり、飽く迄も学生生活に軸足を置きながら個々に稼ぎ口を確保してもらい、その収支を一括の下に管理する体制なのだと言う。

 国見に代わり小虫が付け加える。

「働かざるもの食うべからず、銭金をかすがいとする俺たちは詰まりが即物的集団という訳だがその理念はしかし齟齬を来たし難く、故に、関係性が如何なるかは、へっへっへっ、言うまでもねえよな」

 出資や参画を求められた訳ではなかった。国見もただ実態を事務的に、小虫も敢えて露悪的に、言葉にしているに過ぎないとも判断出来ていた。しかしやはり渾名を授けて呉れたその代金を請求されているような気持ちが生じ、射し込んだものと思った光の束も細くなり最終的に、閉ざした扉の内側に常にとぐろを巻いて在る諦念の存在感が増しただけだった。

「無策に等しいと言った小虫の言葉からとって俺たちは、ま、その口座を便宜的にエム資金と呼んでいる訳さ」

 爾来、円将は、松理や今日太から二度か三度か誘われもしたがこれを固辞し、音楽室から遠ざかっていた。

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 フルーツパフェが好きか問われたとして敢えて否定する気もない、しかし自ら進んで注文した事もない、やはり自分には日向を歩いてよしとする許可は下りない。

 いずれ彼の邪気に陰性思念を向けている時間こそが心を平穏に保つ為に必要不可欠、それは経験に照らせば自明な通りに。

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 しかもそれは依頼仕事ではなかったから実態は、罪滅ぼしを装った自慰行為、欺瞞に満ちた奉仕活動、果たした後に無為無能な自らの存在を明瞭に認識し得る格好の機会、SNS、或いはアプリを利用して金で買った女と待ち合わせる時と同様の興奮をもたらしてくれるもの、故に放課後、昇降口で靴を履き替えながら円将は、漫画に登場する悪魔が持つような翼を肩甲骨の辺りから広げている自分の姿を想像し、痴れていた。

 そんな場面にまたぞろ。

「なんか今朝は、誰とも話したくないみたいなタイミングで声を掛けちゃったなら謝ろうかと思って。でもああいう態度は感じ悪いし、お互いに得をしないから止めた方がいいと思うんだよ」

 純情も過ぎる今日太の容喙を食らい、謂れなく飴ちゃんを分配して呉れる年配女性よろしくの傍若無人な態度で素朴さを手渡されそうになる。気分を害され、湧いた悪感情に駆られるままに円将が返す。

「感じ好く君と話をする気が俺には毛頭ないし、俺に懐いたところで君になんの得もないよ。端的に言って鬱陶しいから邪険にしてんだよ、そろそろ気付いてくれないかな。ね、お願いしますよ、千葉くん」

 或いは自ら公衆浴場に出向きながら脱衣を拒むような矛盾を指摘されたも同然と感じ、円将は、せめて逃走と悟られぬよう全力で悪魔の翼を羽搏かせた。

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 可視化不能な現象を再現性を持たない条件下に炙り出し制御しようとする瞞着行為こそを邪気祓いなどと称し稼業とする家系に生まれ、故に、事の内情と外見の懸隔に関し敏感にならざるを得ない円将はその報いとしていつしか、その時々の身の振り方を損得尽くで行う傾向を身に付けていた。詰まり方程式を理解した上で不正解を選ぶという処世術、利得を呼び得る場合は気配を殺して素早く立ち去り、損失を被る場面では黙って受け容れ、そのいずれでもない時にだけその状況に相応しい常套句を用い上っ面な会話を成り立たせて楽しむという、悪趣味。

 その快感に痴れ加減もせずに思った事をそのまま喋れば以後、必ず、相手から距離を置かれた。事態が好転する予感で気分が上向いている時にこそ裏切られた。即ち好事魔多し、と身を以て思い知るそうした経験が養分ならば育つ感情は、猜疑心と諦念。男女混合バンドの息の揃った演奏姿を目撃してメンバー全員が死ねばいいのにと呪詛している内はまだ蝕まれている自覚があり自らに対する不安もなかったが、大型連休初日に高速道路で起きた交通死亡事故のニュース映像を眺めながら染み染みと安らぎを感じていると気付いた時、己の人間性というものは既に修復不能な段階まで毀れていたのだと悟り、その腐蝕具合を客観的に把握出来ていなかった自分は今後、人並みの幸福を求める事は許されないのだと諦めた。

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 そうして程好くささくれ立った状態に心を仕上げ、いよいよ邪気祓いに臨んだ。

 市立宝町高校の最寄り駅にほど近い廃ビルの二階、嘗ては託児所が置かれていたと思しき一室に、円将は居た。

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 昨晩。

 連れ込み旅館の一室、事後の気だるい肉体を寝台に投げ出し天井に貼られた蓄光クロスの星空に星座を探しながら円将は、件の彼女、クラス一の美少女からの電話を受けていた。

 一年半に亘り交際していた学習塾のアルバイト講師に中学卒業のタイミングで切り捨てられた、それはそれは大恋愛であり故に大失恋であった、そうした内容を、当人が要所と考える部分は念入りに詳細に、即ち同意を求めるように話すものだから円将からすれば的の方から当たりにくるダーツのようなもの、実に相槌を打ち易く、欲しがっている言葉を間違う事なく呉れてやった。果たして。

「やっぱり六神くんに話して良かったかも。きっと人の気持ちが分かってあげられる優しい人なんだろうなって、最初に見た時にあたしそう思ったんだ」

 金子の絡む交接相手が湯浴み場から戻り、円将の陰茎を足の指で弄び始める。そのタイミングでクラス一の美少女から交際を申し込まれた。

「返事は今直ぐって訳じゃなくていいの、だって、あたし六神くんの優しさに甘えてついつい自分の事ばかり話しちゃったけど、六神くんの事ももっと知りたいなって思うし」

 彼女の言葉により結ばれた己の虚像、それが常套手段を用いるばかりの陳腐で安直で面白味のない男であったと判った瞬間、それを無念極まる結果と受け止め落胆した。厳しい倹約が目に見えているのに浪費してしまった後みたいな暗澹たる気持ちが生じた。適当に通話を終わらせ、そして上体を起こした円将は、金子の絡む交接相手に真剣な眼差しを向けた。

「俺、もう買春は卒業する。だから浜音さんとも今日で最後にしたい」

 応えて、食べ飽きた献立を前にした小学生みたいに気乗りしない訳ではないが盛り上がってもない様子で生返事をした金子の絡む交接相手は、次に円将の陰茎の根元辺りを軽く右手で握り竿を咥え込んだ。

「決定権、私にはないのにそういう訊き方するんだ」

 名は浜音ハマネ、歳は三十二歳。最初のメッセージに記されていたその必要最小限のプロフィールが彼女に関する登録情報の全て、一度の上書き修正もされないまま、待ち合わせをし、食事をし、その後に肉体を重ね金を渡すだけの逢瀬を二年近く、月二回ほどのペースで繰り返した。彼女の包容力の前では裏も表も同じ側、裸になり全てを曝け出す事も極自然な流れで行えたなら後ろ暗さも忘れられた。

 原則、一度買った相手とはそれきりと決めていたが例外が二人、その内の一人に対し訣別を宣言し、居心地の好い場所から離脱しようというのだから円将からすれば非常に大きな、前向きな決断をした筈だった。

「違くて、我慢して日向歩くのも止めようと思って、それならそのストレスを発散する必要もなくなるじゃん、て」

 歓迎され、そして評価をされて然るべき覚悟を決めたものとだと高揚したが、浜音の態度は期待していたものとは正反対だった。

「まぁまぁ失礼な、思慮分別に欠いた事言ってるよ」

 ふと、金子の絡む関係性についての小虫の言葉が思い出された。浜音との逢瀬は金では買えない得難い時間、それが金で買える現状に感謝を忘れるどころか、今、酷い言い様で以て自ら侮辱したのだと彼女の言葉に気付かされた。

「御免なさい」

 言葉が口を衝いて出る。しかしそれが謝罪でも、或いは慰めでもいずれ不躾、円将の浅薄皮相を浜音が真正面から見詰め返す。

「反省しな。詰まらない人間になってしまった事を」

 浜音が、今までと同じやり方で陰茎に避妊具を被せてくれた、しかし彼女の心の中に自分はもう存在していない事を円将は悟った。後から再現を試みてもきっと本質には届き得ぬ豊かな時間、それを自分は二度と手にする事が叶わないのだと思うと激しく感情が昂ぶり、只、快楽をひたぶるに貪った。

 クリアピンクの太セルボストン眼鏡、ロングスカートはボタニカル柄。そうした地味めな格好を好んだが故、最寄り駅まで並んで歩いている間は確かだった浜音の存在も、改札付近で人込みに吸い込まれると直ぐにそこに同化してしまった。僅かに逡巡した後に文字会話アプリでメッセージを送ったが、既読が付く事はなかった。

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 そうした不甲斐ない自分自身の言わば分身を、路地裏に放置され錆びの浮いた空き缶に溜まった雨水みたいな陰性思念を素材にして捏ね上げて、最後に唾を垂らして生命を吹き込んで、成した筈だった。

 即ち、憎しみを叫ぶ為に実体化した邪気がその衝動を先ず向ける先として円将を見定めて、嗤う、円将は自分自身を無価値な存在と再確認して自嘲する、そういう、遅く、重く、出口のない暗闇を表すような劇伴が似つかわしい陰惨な畜生残害ばかりが予感される場面が展開されるところが、しかし実際には演芸会へ向かうちんどん屋を先頭にした行列が明るく楽しく紙吹雪を撒き散らす様子を描写したような楽曲が相応しい雰囲気を、それは醸し出していた。

 それ、詰まり実体化した邪気は、円将が定義する通りにおぼろげな輪郭がその内側に黒いもやを留めたような見た目をしてはいたが、形状を捉えて見ると円将のイメージとは程遠く、どうやら、河童だった。

 人間の児童くらいの体格をし、皿を頭に乗せ、甲羅を背負い、手の、指と指の間には水掻きを持ちそして円将には興味がないようにまるで目も呉れずにいる、河童だった。

 それ、詰まり実体化した邪気に、河童の姿をとらせていたものはどうやら。

「あれ、円将、くんじゃん。なんでこんなとこに居んの」

 今日太だった。

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 何故この場所にこの瞬間に居合わせているのか、訊きたいのはむしろこちらの方だという旨を反射的に円将が口にすると、対して今日太が実に納得のいく返事を言って寄越したのだが、それが。

「てゆーか、こんなとこに居て平気なのかと思うんだけど」

 円将がこれまでに聞いたどんなジョークよりも突飛で不発で圏外でそして。

「俺、実は霊感があって、どうもここにもなにかが棲み付いてる気配を感じてたんだよ」

 大胆不敵で単純明快で問答無用で厚顔無恥だった。

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「姿が見えるとか声が聞こえるとか話が出来るとかそこまで強いものではなくて、薄ぼんやりと存在を感じるって程度なんだけど」

 だから男だとか女だとか大人だとか子供だとか、そんなふうに具体的にその正体を判ずる事も、彼の事情を酌む事も出来ないが、存在を感じる以上はなにか成仏をしてもらう為の手伝いが出来る筈だと模索し、結果、彼らの存在を肯定する証として物語を語って聞かせる事を自分に出来る事として選択したのだと、今日太は言った。

「そんで、その方法を考えてくれたのが俺の姉ちゃんでさ。俺と違って俺の姉ちゃんは優しいからさ。いつも俺の事をバカバカって言うけどさ、本当は心配とかしてくれてんだよね」

 稼業であると同時に自らの武器であり、大袈裟に言えば生きる術たる邪気祓いなる理屈も大概、身勝手なものだと思うが、今日太の言う優しさもまたえらく一方的なものだと思う。自身の悪趣味も然る事ながら、クラスで一番の美少女の自信も余程のものだと思う。

「あ、でも駄目だぜ、うちの姉ちゃんはもう中学の頃から松理一筋だから、だから口説くのとかそーゆーのは駄目だぜ」

 そうして今日太が、さいころの形をした玩具だかクッションだかを腰掛代わりにして座り、薄ぼんやりとその存在を感じるというなにかに向けて念仏代わりの物語を一くさり、披露した。中学時代、野球部員だった彼が公式戦を数日後に控えた折に嘗て小学生の頃に仲間だった連中に喧嘩を吹っ掛けられ、しかしその際、松理が代役を務めてくれたお蔭で問題が解決した、という内容だった。

「俺、バカだから、作り話なんてとてもじゃないけど無理だからさ、実際の出来事とかを話すようにしてるんだよ、姉ちゃんはそれでもいいんじゃないかって言ってくれるからさ。話の内容が重要な訳じゃないからって言ってさ」

 壁に貼られた五十音表を眺めている方が余程有意義と思えるような。

「そう言えば俺の姉ちゃん、漫画とか描くんだぜ。ちゃんと雑誌に載ったりもしてるんだぜ」

 当事者以外にはまるで重要ではなく他愛ないその逸話を今日太が語っている間、河童は、胡瓜欲しさに今日太のズボンのポケットに手を突っ込んだところ確かに胡瓜に形は似ているが全く別のなにかを思い切り握ってしまってじょーだんじゃないよ、だとか、尻子玉を抜き取ろうとしてちょうど小振りの西瓜程度の玉を握ったような形にした右手を今日太の尻を目掛けて突き上げたところうっかり突き指をしてしまった上に何の気なしにその指先を匂ってみたらこれが非常に爆弾のようにコマネチ、だとか、そういった、表彰台に呼ばれたコメディアンが照れ隠しにする余計なパフォーマンスみたいな動作を、延々と繰り返していたのだった。

 今日太の思惑と河童の願いは、全く以て掛け離れていたのだった。

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 眼前で繰り広げられているそれは目を覆わんばかりの茶番劇。自分だけの居場所の筈が、無邪気なるの蹂躙に晒されすっかりとその景色を変えられてしまっているという、大惨事。

 敗北を受け入れ倒れてしまった方が楽になれると理解しながら辛うじて立っている拳闘士のように、酷い目眩にふらふらになりながら。

 俺がどれだけの犠牲を払って。

 と、怒りを。

 俺がどれだけの時間を割いて。

 と、偏狭で粘着した怒りを。

 俺がどれだけの我慢を重ねどれだけの屈辱に耐えてそして。

 と、動機となり得るほどに偏狭で粘着した怒りを円将は。

 どれだけ誠実に向き合って、嘘を、成立させてきたと思ってるんだ手前ら。

 と、腹の奥底で沸々と滾らせる。

 世界は減点法に律される。その事実に対する認識もなく、或いは覚悟や確信もなく盲目的に、前向きなものの考え方を推進、推奨する輩どものお仕着せに対する反抗が既に減点法を前提にしなければ成立し得ないものならば身を投じた時点から負け戦、公衆浴場に自ら出向き脱衣を拒む如き愚行。

 傍に寄り添う者のないお前の人生などはがらくたほどの価値もないと詩う浅薄で無神経な流行歌手を八つ裂きに処す手段を講ずるが畢生の課題、しかし一方、クラス一の美少女に向けた断罪の言葉が本当は誰の如何なる状態を指したものであるか、他者に指摘されるまでもなく分かっていた。

 腹がぐらぐらして頭はふらふらした状態で見る眼前の光景は、無論、無慈悲な減点法ではなく、然りとて無邪気な加点法でもなかった。表題を与え棚に収め一篇の物語とするには円将の理解が足らなかったが、肩肘を張って対抗する事が徒爾だと確信を持った。

 今日太と河童によるちぐはぐな戯れはまだ、続いていた。

 ぐらぐらした感情をふらふらした理屈で料理した結果が、口を衝いて出た。

「馬っ鹿じゃないの」

 と、誰に預ける事も叶わず自分でも持て余してしまう感情を馴致し、自家薬籠中の物とすべきところをしかし至らずにいる立場から、それを出鱈目にも成している者の姿を目の当たりにした嘆きの表れとして、円将のその声は見事なまでに裏返った。

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 冷静沈着、或いは根暗で愛想がないという印象を円将に対し抱いていた今日太は、彼のその素っ頓狂な調子を意外なものとして驚き、真ん丸く目を見開いてそして、言った。

「バカって言うなよ、それは本当の事だからバカって言うなよ」

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 思い出したように、脇に置いていた学校指定のナイロンバッグからアーモンドチョコレートを取り出して口の中に放った今日太が、それを一粒、円将に差し出す。

「霊と話をした後って、気持ちなのか頭なのか分かんないんだけど身体じゃないどこかが凄く疲れるんだよ。だから甘いものが欠かせなくてさ」

「ああ、どうもありがとう」

 片割れがコカイン使用で逮捕された事により個人活動に於いても自粛を余儀なくされ、連帯責任として謝罪を要求する世間の声に対しても沈黙を貫いていたミュージシャンが、今朝、容疑者と、というキャプションと共に保釈された相棒と肩を組んで破顔している写真をSNSで公開した。

 また音楽室に誘って欲しいという気持ちは驚くほど自然に言葉になった。間違った地図を頼りに、知っているようで知らない町並みの中を目的地に向かって歩くみたいに、他者と打ち解ける事は頭痛がするほど難しく、やはり自分には向かない事だと、円将は改めてそう思った。

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 翌朝、始業前、今日太と円将が音楽室に顔を出すと、それを待っていたように、教室の唯一の出入り口とその対角に置かれたグランドピアノを結ぶ線上のちょうど中間辺りの席で、映画「ガン・ホー」の魅力を熱弁する松理に耳を貸していた小虫が、人差し指に巻いた釣り糸で巻き上げるみたいにして今日太を呼び寄せる。

「なんスか、なんスかなんスか」

 がっついた様子の今日太に向けて小虫が、画面を上にした自身の携帯を机の上に滑らせて、問う。

「答えろ、こいつは一体どういう暗号だ」

 携帯の画面を覗き込んで直ぐ様、軽口を叩く調子で今日太が答える。

「違うっスよこれ暗号じゃないっス、まんまの意味っス」

「まんまの意味ってそりゃあ、へっ、どういう意味だ」

 小虫の表情に微かに苛立ちが滲む。対して覚えた不安が、今日太の語尾に表れる。

「え、や、ですからまんまの意味っス、けど」

「だったらよ、こんなにも他愛のない事を特別な通信手段を用いて俺に訊いたその了見を聞かせてくれよ」

「え、や、了見て事もないってゆーか」

「了見もなしに仕掛けやがったのかこの野郎」

 小虫が声を荒げる。室内の其処此処に咲いていた会話の花が一斉に萎れ、殺伐とした沈黙が訪れる。

「返答次第じゃぶち殺すぞこの野郎」

「え。いやー。いやー、えー」

 興奮する小虫と混乱する今日太、その二人を交互に見ながら松理が、彼らの横から手を伸ばして問題の携帯を自身の方へ引き寄せる。そして画面を見るや、今日太がなにを遣らかし、小虫がどこに引っ掛かっているのかを理解する。そうしてほとほと呆れ果てた松理が思わずという具合に天を仰ぐと、右手側、教室の出入り口方向からわざとらしい咳払いが届く。釣られて見遣ると、なんらかの書類と思しきを挟んで座る共に三年生の男女、清渚水流セイショミズル、通称清流セイリュウ波乃上花澄ナミノウエカスミ、通称花乃ハナノと視線がぶつかる。

 その佇まいに気品が漂っているように感じるのは彼らが生徒会長と副会長であるという先入観からか、とまれ、殊に花乃がその表情で以て松理に情報の共有を求める。小虫と同じ孤児院出身、その上現在も皆が男子寮と呼ぶ一棟借りしたアパートの住人である清流は、疾うに事情を承知しているように微笑んでいる。ならば問題はないと判断し、椅子から身を乗り出すようにしながら松理が、花乃に小虫の携帯を手渡す。問題となっている画面を見るややはり花乃も、即座に事情を理解し、呆れたという言葉の代わりの溜め息を零した。

 そうして旅に出た小虫の携帯が、そこに屯している連中の手から手に渡り音楽室を一周し、松理の元に戻ったタイミングに、国見が入室してくる。彼は二つの、一目瞭然たる普段との相違に対し、先ずは爪楊枝で引っ掻いたような糸目からの目配せで円将に対する挨拶を済ませ、次に松理の傍まで行き適当な椅子を引き寄せて着席しながら質問する。

「それで、今度は、ま、なにを遣らかしたんだ今日太は」

 身分証を掲げる捜査官みたいに松理が、国見に対して小虫の携帯の画面を向ける。そこに、今日太が昨晩に文字会話アプリを通じて小虫に送信したメッセージが読めた。

 即ち。

『こんばんわ~ 小虫さんいまヒマですか~ 自分はヒマ過ぎて一時間も風呂に入っちゃいました~(笑)』

 これはなるほど大惨事、見通しが良過ぎる交差点で起こるべくして起きた正面衝突事故であると国見は理解する。即ち現代風俗に疎い小虫にとってそれは特別な手順が踏まれ不透明な技術領域を通過して届いた文字情報であり、そこに特段の意味を見出そうとした推察も必然、しかし実際には無自覚な思い付きの垂れ流しに過ぎず、結果一方的に嘲弄される格好、そしてその齟齬は感覚的部分に根幹がある為に当人同士の感情に折り合いがつかない道理、果たして小虫が殺気立つも今日太が戸惑うも当然であり、傍からすれば口を挟んだところでそれが骨折り損となる事態、故に最早、自然災害にも似た手出し無用の事象であるという判断こそが妥当。

 端的に言えば拱手傍観が最善策という訳だ。

「俺が手隙かどうかとお前の入浴時間になんの因果があるんだこの野郎」

「いやないっスね、ないっスはい」

「だったら俺はなにを訊かれたんだ馬鹿野郎」

「それははい、なんかすみませんでした本当に」

「だから謝れっつってんじゃねえんだよ、了見を聞かせろっつってんだよ」

「それはもう本当に、勘弁してくださいすいません」

「お前がなんで被害者面してんだ馬鹿野郎。ぶち殺すぞこの野郎」

 或いは、思い込みが激しい妻と事勿れ主義の旦那の痴話喧嘩、犬も食わないようなものとして眼前のこれを理解して仕舞う、そうしたような理屈の働き、思考の流れを松理は、国見の横顔から読み取る。時に具体的な言葉としては表出しない真意を、時に謎掛けのように言外に仄めかされる本音を、正確に翻訳して当の小虫に代わって伝える彼の理解者であるところの国見が、匙を投げたとなれば、やはりこの事態に対しては傍観を最善とするしかない、そのように松理も納得しかけたまさにその時、小虫の携帯が震えてメッセージの受信を報せた。

 平行線のまま始業時間にぶった切られる形で結末を迎えるといった既定路線を避ける材料となり得るものかどうか、ともあれ松理が、そのメッセージの送信者を見遣って窓側の席を振り向く。小柄で、実年齢よりも幼い見た目を持ち、その上で更に、頭の両脇にこさえた黒髪の束が彼女の動きを追って跳ね回ればその様子がまさに小動物、彼女の名前はるる、松理の双子の妹。

 るるのその得意そうな、満面の笑みは或る種の暴力でありそして暴力は時に、非常に有用だ。

 逮捕状を突き付ける刑事みたいに、松理が、確信を以て小虫に携帯を向ける。

「なんだちびすけ、邪魔立てする気か」

「ほれLINEだよ、デカブツ」

「緑の、無料で話せるやつだったか」

「緑の、表面的で無為なる繋がりを世間に蔓延らせる一因たるやつだ」

 るるが小虫に宛てたメッセージが、曰く。

『おはようございます。る。るるは今朝はバナナトーストを食べたのよ。る。それからヨーグルトも食べたのよ。る。松理さんはいつも朝ごはんを食べないけどるるはちゃんと食べるようにしているのです。る。だからいっつも元気なのよ。くまー』

 味気なく見える文字の羅列にいろどりと楽しさを添えるイラスト、詰まりがるるが多用するスタンプの作成者は、今日太の姉である明日美アスミ

『る』

 そうして果たして最終的に小虫は。

「なるほど合点がいった」

 全てを感覚的に。

「自ら熊の檻に押し込み怪我を負ったとしてそれで動物園を訴えるなんざ、へっ、さもしさも極致という訳か」

 理解し、そして今日太に対して謝意を述べた。

「悪かったな、今日太。ぶち殺すのはまた今度だ」

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 再び、室内の其処此処に会話の花が咲き、そうして一段落着いたところで円将が小虫と相見える。

「よう円将、今日は何用だ」

 円将からすればそこには三週間分の距離がある筈、しかし気にしていないような小虫の様子に無意識に身構えていたほどの緊張も和らぐ。果たして落ち着いて面すると、意思として固まる以前の剥き出しの感情そのもの、詰まり端的に言えば混沌たるに思えた小虫の存在感が、今は、三週間前と違って果てしなく空虚なものに感じられた。深渕から覗き返されてぎょっとするみたいに円将の口から質問が零れた。

「誰か、いつか幸福になってるかどうかを確かめたい相手とか、居ないんですか」

 応え、その頬に歪な、挑発的な笑みを小虫が浮かべる。

「それはでも、絶対に叶わないんですよ」

「そりゃあ、へっ、免罪符となんらかの切っ掛けとどっちをお前が探してるって話だよ」

 問われて円将が、きっと嘘を吐こうする時以上に真摯な面持ちで顎を引き視線を俯け、自らの内面と向き合う。その様子に強く興味を示した者が小虫以外にも、或いは当人以外にも在った。小虫が座る席の幾らか後方で、高速でページをスワイプしながらタブレット端末でなにをか真剣に読み耽っていた一年生、小柄な体格と短く刈った猫っ毛の黒髪が見る者に大人しそうな印象を与える彼の名は、死屍毒郎シカバネドクロウ、通称死郎シニロウといった。

「或いはそのどちらもだと思います」

 と、湖の底からやっと水面に顔を出したみたいに円将が、小虫を見据えながら答えると、死郎が密かに、甚だ凄惨な交通死亡事故の原因を想像して面白がるみたいに昏く笑んだのだった。

「そりゃまた随分な無茶に挑もうかって話だが、だったら」

 そこまで言って一旦、口を噤んで、睨み付けるような視線を円将に向けて思案を巡らせた小虫が、果たして吐き捨てるように言う。

「せめて我意を貫き果せねえとな」

 その、どこか頑愚な態度と苦々しい表情に円将は、小虫をここに在らしめている通奏低音を聴いたように感じた。

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 昨日、廃ビルを立ち去る際、成仏させられた筈の河童がすっかりと懐いたように今日太の後にくっ付いて歩く姿を見て、どうやらそういう事らしいと思ったのだが、やはりそういう事だったようだ。おぼろげな輪郭がその内側に黒いもやを留めたような、そんなものでしかなかった彼が一夜明けて風呂でも浴びたみたいに、一目瞭然に河童と判る外見を得、今も今日太の背後から、小虫に対し自らの存在をアピールするみたいに跳ねたり飛んだりしていた。しかし、今日太に言わせれば霊的な存在であるところの彼のその姿は、小虫にも誰にも見えてはいない様子だった。

 或いは、思い込みが激しい妻のヒステリーをなだめる好プレーを見せたるるは、きっとその褒美代わりに花乃に頭を撫でてもらいながら、空手家が拳を納めるみたいに胸の前に交差させた両腕を勢いよく腰に引いて、鼻の穴を膨らませている。

 甚だ暴力的に減点をすれば気安く無責任に加点もする、もしかしたら秩序も平等もないかもしれない、始業前の音楽室はそんなような空間だった。収拾のつかない状態こそを最良とする柔軟性を備えた自由な場所として円将の目には映った。

 昨日の朝、登校中に駅前でどこだかの新人研修と思しきを見掛けた際、自分のこれまでの反省点とこれからの課題を考えた。実体験に鑑みた上で果たして、無意識のまま妬み嫉みを動機としていた事を反省点とし、今後は意識的に妬み嫉みを動機としていく肚を決めた。

 邪気祓いに臨もうという時のささくれさえこの場所では自由かもしれなかった。

「だったらここにいる全員の不幸を、本気で願ってもいいですかね」

 無茶も承知だと、自罪を認識したと、言うみたいな円将のその表情を受けて。

「代表して回答するなんて立場は本当は、俺は御免被りたいんだけどよ」

 小虫が、吊り上げた唇で頬を醜く歪ませて、応えた。

「いずれ誰に訊いても返事はきっと違わねえ」

 その言葉の続きを小虫から目配せをされた松理が引き受ける。

「本気には本気で応えてやるよ。なにしろ俺たちは醒めてなんかねえからな」

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 絶対に叶わないなどと。

「つーかそもそもが醒めてる暇なんかねえんだけどな」

 彼は、彼らは、諦めたりなどしないのならば。

「だって、今日太あたりはご覧の通りただの馬鹿だしよ」

 その姿に学んで大罪を贖う術もまた見付けられるのかもしれないと。

「バカって言うなよ、それは本当の事だからバカって言うなよ」

 円将はそう思った。

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 そうしての下校時、校舎を出て程なくの辺りを独りで歩く円将の左隣に、ブレザー姿の女生徒が並んだ。

「あたしたち高校生が経験値の低さを誤魔化そうとするなんて、きっとそんな必要はないと思うの。開き直るって事じゃなくて、素直になる方が賢明って意味でね」

 無論気付きはしたものの、気に留めてはいないふうを装い歩く速度を落としもしない、円将のその拒絶を云うような態度にめげず、女生徒も喰らいつく。

「だから、後悔に縛られてるならそれは過去との向き合い方を間違えてるんだって、そういうふうに理解したらどうかな」

 その言わば負けん気を、円将が睥睨する。健康的な褐色の肌と、濡れたように見える大きな瞳、その瞳と同じ黒の、ショートヘアが印象的な彼女は、つい先ほど円将が音楽室で口にした、ここにいる全員、の中の一人だった。

「なんて、偉そうな事を言ってるあたしも、なにも準備をしないままで未来を歩こうとして失敗してるんだけどね、あははー」

 言って聞かせようなどと張り切った態度ではないが、どこか準備をしていたような明確な物言い、彼女のそれはあたかも、私はあなたを知っている、と言っているようにも聞こえた。

「ソープ嬢に説教するおっさんならぬ客に説教する売春婦って、それ、よく考えると逆切れですよね」

 二人の例外の内のもう一人は、円将の初めての買春相手。

 勝手が分からず醒めた振りをして黙って仰臥していたところに騎乗位の手解きを受けた、其方が無邪気に喜んでくれなければ此方の罪悪感も薄まらないと言って事前に渡した八万円の内の六万を事後に返された、その態度に感動し、直ぐにその場で次の予約を申し入れた。二度目は正常位を、三度目は後背位と、深入りを避ける為にこれで最後にしようと言い含められながら接吻を、教わった。一度買った相手とはそれきりにすると決めた原因だったかどうか、いずれその二万円の女こそが、今、左隣に並んでいる女生徒だ。

「ましろさん、でしたっけ」

「本名で売りとか、あたしも怖いもの知らずだよね」

 女生徒の名は楪真白ユズリハマシロ、市立宝町高校の二年生。

 三週間前の音楽室、一心不乱に正拳突きの練習をしている女生徒のアシストをしていたのが彼女であり、その場で円将も、脳内の抽斗から三度に亘っての逢瀬の記憶を取り出してはいたが敢えて答え合わせもしないでおいた。これは互いに青天の霹靂、しかし冷静に考えれば起こり得る偶然であり奇妙な形の紛う方なき再会。

「てゆーか初めての相手忘れてるとかあり得なくない」

「俺、初めてだってあの時言いましたっけ」

「言ってないかもだけどバレバレの態度だったじゃん」

 真夜中の墓地で多弁になるみたいな過剰な反応は照れ隠し。

「ひよこの雄雌鑑定士みたいな、やる気あるのかないのか分かんない顔で黙ってる癖にやたらとおっぱいに手を伸ばしてくるみたいなさ」

「いや、まぁ、いろいろと拗らせてたんですよ」

 或いはこの再会を円将は、拾った宝くじで高額当選をしたみたいな、後ろめたくありつつも相当な実入りが期待出来るものと考え、昂奮を覚えていた。

「そして今以て絶賛、拗らせ中なんですけどね」

 詰まり真白のこの。

「とにかくさ、昨日よりも明日よりも今日を楽しめばいいじゃん、て、それが言いたくってあたしは君を追い掛けてきた訳」

 日捲りカレンダーの300日目に書かれた格言みたいに空疎な言葉、普段ならば一笑に付す戯言を受けて、しかし、その向こう側に彼女自身の実感を垣間見て果たして、無責任な言葉には宿る筈のない説得力を感じたのだ。

 だからせめて張り合うみたいに。

「俺に営業かけても無駄ですよ、買春は昨日で卒業したんで」

 外方を向くように円将がそう言う。

「今も売りをやってるなんて、あたしそんな事言ったっけ」

 売られた喧嘩を買う気がないと、真白が往なす。

 そうして、ちょうど戸建て住宅の間を縫う路地から大通りへ出るところで人目を気にしてか、周囲を見回した後に真白が、円将の左肩に両手を置いて立ち止まらせて背伸びをして彼の耳元に、囁いた。

「もう、二十万円くれても二十円くれてもあたしを好きには出来ないんだよ」

「そりゃまた随分と」

 応えて口をへの字に曲げた円将のその表情が、きっと。

「高嶺の花になったもんですね」

 客観的に見れば上辺なぞりも極みのこの会話が、自分にとっては実に有意義で単純に楽しいものだと、云っていた。

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 負けん気、と理解した彼女の態度を、健気、と解釈すればそれが免罪符となった。

「けど気持ちの持ちようで、ひよこの雄雌鑑定士だって遣り甲斐のある仕事に化けると俺はそう思いますけどね」

 円将がそう言って挑発すると、真白が。

「あたしなんか独り善がりもするし我が侭も言うし欲張りにもなるけどね、女の子の特権として」

 応えてやはり、胸を反らせて見せるなどして虚勢を張る。

 詰まり咎人たる己がのうのうと、反省する事も忘れたように楽しく賑やかに学生生活を送っている理由は庇うべきを庇い護るべきを護る為に必要が故との言い訳が立つ、そういう都合の好い算段。

 それこそ笛吹きが奏でる旋律に合わせ自棄糞になって踊りながら呼ばれてもいないダンスパーティーに参加をするみたいに。


                              ('15.1.15)

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