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不動産オーナー探訪記 第6話 長岡不動産

テーマは温故知新です。

今は無き・・・というかあの頃の「長岡」は無くなってしまった、そう長岡不動産のお話です。

長岡不動産。知っている人は「バブル期」を乗り越えた不動産屋さんか「リーマンショック」で最後の疾走をみた方々かなと思いますが、東京駅東側には大変なじみが深い社名です。

ちなみに一時期は八丁堀から茅場町にかけて数多くの〇〇長岡ビルを持っていました。現在でもその名前は残っており、そのビルたちの数々が長岡不動産の持ち物でした。

長岡不動産と創業者

長岡不動産の創業者は群馬県の西南部、甘楽郡に属する町「甘楽町」出身です。甘楽町公式ホームページ

この甘楽町の名誉市民である長岡今朝吉氏がこのバブル期を乗り越えた名ビル(ある種 迷ビル)の長岡不動産創業者です。

長岡今朝吉氏は、大正 7 年 新屋村造石に農家の次男として生まれました。14 歳の時に上京。昼間は働き夜間中学校に通っていました。その後19 歳で長岡不動産・長岡建設の前身となる「長岡工務店」を創業します。

工務店の仕事が評価され(と書いてある)仕事が増え、個人商店から企業へと大きく飛躍していきます。昭和36 年には第一長岡ビルを建設し、以来50棟を超えるビルを所有するという一大企業に成長するのです。

・長岡不動産
・長岡建設
・長岡組

母体となった長岡組は、代表者である長岡今朝吉によって昭和十五年に発足し、昭和二十二年に中央区八丁堀に土地を取得し移転、これをもって創業とする建設会社
その後、社名を長岡建設株式会社に改め、昭和三十六年の第一長岡ビル及び、第二長岡ビルの完成を機に建設業の請負工事の合間を見て、中央区を中心に土地を取得、自社ビルを建設し続けて参りました。

長岡今朝吉氏と甘楽町

バブル期までの長岡不動産の運営手法はすさまじく、バブル絶頂期には社長である長岡氏も多くの資産をもっていました。

それらの貴重品や骨とう品、絵画など収集したものは故郷である甘楽町に数多く寄贈しているのです。なのでそういった功績も認められて故郷でしっかり錦を飾ってます。

長岡今朝吉記念ギャラリー

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名誉町民である長岡今朝吉氏により寄贈された絵画や人間国宝・須田賢司氏の作品の展示、小幡陣屋内模型、喫茶コーナー、甘楽町検定クイズなど皆さんの安らぎの場となっています。

長岡不動産と成長の反動

長岡不動産のオフィスビルは築地・茅場町・八丁堀に固まっていますが、その後は高田馬場や五反田などにもいくつかビルを運営していました。しかし長岡不動産もバブル期以降はかなり苦しかった模様です。

八丁堀・京橋・八重洲・茅場町・日本橋・築地のほか、五反田、三田、高田馬場にも進出

急成長と急拡大により多くのビルを建設したので、物件の多くには多額の抵当がついておりました。資金繰りが厳しくなりリーマン前から少しづつ物件売却されて財務体質を改善しようとしていましたが、厳しかった。

創業者無き今では会社そのものも解体され、かろうじて名前だけは残っていますが、すでに運営母体が変わってしまっております。

リーマン後、物件のほとんどはこのタイミングで売却されています。いまある長岡ビルは新しい所有者による貸しビルです。

オフィスビル経営やリーシングの手法

さて長岡不動産の当時やっていた手法は、新しいオフィスビルが少ないエリアで新しいビルをたくさん建てて古いビルの企業を誘致するオーソドックスなやり方です。

しかし、そのビルの多くが「有効面積を最大限契約面積に含める」(グロス超キツイ)という手法でした。たしかトイレ、給湯室、エレベータホール、柱などすべてを貸室面積に含まれます。

募集面積100坪、実際の貸室70坪というようなモノが同社の主戦ビルでした。グロス率30%越え

この手法なのですが、インターネットが始まる前まではグレードが高いビルを安く借りれる(実効面積が狭いのに坪単価は下げて見せられるから)だったのですが、平成中期以降は新築オフィスも増えて競争が激化、そして情報がネットで得られるようになるにつれて、この手法は厳しくなってしまい空室が多くなった印象でした。

そもそものビルへの根抵当・抵当も大きかったので空室リスクはかなり高かったです。時代の流れが読み切れなかった事と経営手腕と言えばそれまでですが、それほど大胆なビルの募集手法でした。

ちなみに案件を成約した際のお礼として渡される広告費ADはとても高かったように記憶しています。

2000年中期頃 長岡不動産の状況

2000年代には恒常的に空室が出ていてがんばっていたのですが、ビルは数棟売却して約55棟くらいを募集していた気がします

長岡不動産当時

今ではこれらのビルのほとんどは売却されて次のオーナーが運営しています。長岡不動産の名残はもう、ビル名だけなのかもしれません。

懐かしの長岡不動産でのパーティーや成約時のよく分からない海の幸の盛り合わせと多額の広告料も今となっては良い思い出です。

企業概要

企業名: 長岡不動産株式会社 (当時)
創立 :昭和34年6月
所在地 :東京都中央区八丁堀2-13-8 (当時)
代表者 :長岡 今朝吉(当時)
業種  :貸ビル業

主な賃貸オフィス:第一長岡ビル、第二長岡ビル、第三長岡ビル、茅場町長岡ビル 他

主にオフィスに関する不動産知識や趣味で短文小説を書いています。第1作目のツボ売り、それ以外も不動産界隈の話を書いていければ良いなと思っています。 サポート貰えると記事を書いてる励みになります。いいねをしてくれるだけでも読者がいる実感が持ててやる気が出ます