日々雑記、あるいは文章練習として。2
・なんであれ楽しみ続ける為には努力がいりますし、より楽しむ為には苦しい時間をくぐり抜ける必要があるのでしょう。
スポーツであれば想像しやすい。
絵や音楽、文章を書くのも同じ事。
ゲームであっても、苦行と表現されるような地道な作業は存在します。
人を楽しませる為のゲームでさえ。
努力を努力と思わず、苦しみさえ楽しめるのは才能の一つの型。
芥川龍之介は大学時代、書けない書けないとと昼寝の内にも涙を流す友の姿を見て、そんなに辛いなら書く事など辞めてしまえと念じながら自らも泣いたと作品の中で語っていました。
もっとも、作品名は忘れましたし細部は違っているかもしれませんが。
苦しみ抜ける、という事もまた才能でしょうか。
いかなる型であれ、才能と呼べるものを持ち合わせていない凡人が。
それでも書く事で楽しみを得たいと。
その場限りではなく、生涯を通して遊びたいと望むなら。
自ら楽しむ術を理解するべきなのでしょう。
・競馬を例えにしてみましょう。
競馬は言うまでもなく賭け事です。
賭け事であるからには、賭けて勝つのが楽しいの常道。
しかしながら、賭けずとも馬や騎手・調教師・ファン自身。
競馬に関わる全ての人にドラマを見いだして楽しむ人もいるし、競馬場の空気感を愛する人もいるでしょう。
ドラマを楽しむコツはきっと、知ること。
それと想像力…妄想力と言い換えても良い。
馬の血統を調べ、生い立ちを知り、関係性を探り、エピソードに親しむ。
いわゆる『解像度』を上げる事だと思います。
ただレースの展開を予想するだけでなく。
勝負に関係のないレベルにまで没頭して感情移入して知識を深め、ついにはただ一勝に落涙する程の感動を。
常識的に必要の無い深みまで、楽しみを求めて自らを沈めていく。
快とは楽とはつまるところ、狂気に似ているのかもしれません。
正気を平均的な状態と定義して。
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