見出し画像

旅ログ063 武蔵大和〜所沢

武蔵大和の駅から、北へ向かってぐんぐん坂を上った。
そして降った。

多摩川の向こうの山の国からはだいぶ離れたけれど、起伏の激しい土地のようだ。
のどかで、小学校の敷地からは水泳の授業ではしゃぐ声が聞こえてくる。
小さいけれどきれいな川に行き当たったので、川沿いを下流へ進むことにした。

鯉が泳いでいた。
川沿いで見つけた掲示によると、1000年以上前に人が住んでいた跡が残っている土地らしい。

水が豊かな証だ。
小さな踏切をわたると、その向こうは森になっていた。

ここより北へ行くには、東西に伸びる「八国山(はちこくやま)」を越えなければいけないらしい。
よし、山越えだ。
覚悟した私は、暑さで捲り上げていたズボンの裾を下ろした。
ヘビや虫に噛まれないように。

いくつか分かれ道があり、迷いそうな本格的な山道だったが、尾根道に出たあとは安心して歩けた。
「八国山」の名前は「かつて上野・下野・常陸・安房・相模・駿河・信濃・甲斐の8つの国を望むことができたことに由来する」らしい。
しかし尾根道からどちらを見わたしても、360度森だ。
幹と枝と葉しか見えない。
標高もあまり高くないようだし、本当に8つの国など見えたのだろうか。
30分ほど歩くと「将軍塚」と書かれた碑があった。

案内文によると、新田義貞(にったよしさだ)という武将が北の国から南の国へ攻め入るときの拠点にしたらしい。
新田…?
あの人か!
旅ログ032で分倍河原(ぶばいがわら)駅前に像が立っていた!

歩く旅人の私にとっては、ここから分倍河原は相当遠い。
馬に乗っていくとどのくらいかかるのだろう。
彼が出発した北の国や、目指した南の国を思うと、また世界の広さにくらくらした。
将軍塚を過ぎると、尾根道の左手に大きな町が見え、そこが八国山の東の端だった。

アスファルトの道に出た私は、その町を目指して北へ進んだ。
近づいてみるとかなり賑やかそうな町だ。
「所沢(ところざわ)」の鉄道駅で旅のログを終えた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?