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高橋の道

(高橋だ・・)

たまたま乗り換えで降りたターミナル駅で会社の後輩だった高橋を見掛けた。

偶然と言えばすごい偶然で、たまたま今日は会社指定の研修で県外まで行っていたのだ。

妻と子供が好きなドーナツチェーンのドーナツを買って帰ろうと思って、あえて乗換口をスルーして、普段は使わないターミナル駅を移動していたのだから、やはり偶然な気がする。

研修日が今日じゃなかったら、ドーナツを買おうと思い立たなかったら、高橋がここに居なかったら。更に言うと、俺が道を間違えてなかったら、多分高橋には会っていない。

ドーナツチェーンは駅のすぐ横の総合スーパーの中にあることはスマホで調べたのだが、その総合スーパーの場所については大体の把握で移動していたので、間違えて駅構内の地下深くまで来てしまっていた。一度地上に出ようと、地上目指してエスカレーターを乗り継いでいたところで高橋を見掛けた。おそらく本来なら通らなくて良かった地下通路で高橋を見掛けたのだ。世の中は偶然の積み重ねで今があると誰かが言っていたような気がするが、誰も言っていなかったような気もする。


そして実のところ高橋を見掛けたときには、左に行くべきか直進するべきかで迷っていた。駅構内のエスカレーターを上がりきったところで、左か直進かで逡巡していたときに目の前を高橋が横切って行った。

壁のサインは左が「C」、直進方向は「JR・市営バス」と書いてある。

(どちらに行くべきか・・)

迷っていると、高橋はCの通路へ進んでいった。高橋も不慣れな様子で少し迷いつつという感が見て取れた。

瞬間的に直進方向を選んで進む。直進のほうがとりあえず地上に出られそうな予感がしたのもあるが、何となく高橋と同じ道には行きたくなかった。


高橋は会社の後輩だった。だったというのは、高橋が既に退職しているからだ。

俺より1年下だったが、会社の花形部署である不動産開発部に配属されて、都心の新しいピカピカのビルを計画するビッグプロジェクトに抜擢されていた。

そこまで親しくなかったのもあり、具体的に何が優れていたのかはよく分からない。でも、話していて極めて理論的に会話ができるし、愛嬌もあった。

片や俺は、会社で地獄と言われるくらいに激務な工事部門に配属されて、日夜工事現場と会社を往復して、文字通り右往左往する毎日だった。

そんな高橋だが、8年目くらいでスパッと退職した。そして、業界でナンバーワンと言われる不動産会社に転職していった。文字通りステップアップしていったし、そのアップ具合は常人ではなかなか達成できないレベルだった。

何故なら、その不動産会社は同業界からは中途採用をしないことで有名だったからだ。その会社に同業界から転職を果たした高橋はやはり有能だったのだろう。

俺は今も同じ会社に居続けている。激務に疲れて転職を考えることもあるが、結局他にやりたいことも見つからず、転職サイトを眺める程度で終わっている。

仕事は切れ間なく忙しいものの、新卒から長年やっているとそれなりに手も抜けるし、意外と好きな部分も出てくる。

何より、次が今より良いという保証はない。更なる地獄の可能性も否定できない。家族もいる。踏み切るには色々と荷物を持ちすぎている感がある。


直進を選んで更にエスカレーターで上がっていくと、ようやく地上に出れた。

(ここは、どこだ・・・)

地下をぐるぐるすると方向感覚を失う。ましてや使い慣れていない駅なら尚更だ。

残暑厳しい9月の夕日を受けつつ、駅と歩道の間から周囲を見渡すと目当ての総合スーパーの看板を見つけた。

横断歩道を2本わたって、入口にたどり着く。館内に入ってまずは案内板を確認すると目当てのドーナツチェーンは地下1階にあるとのこと。

エスカレーターで一つ下の階に降りると、ぐるりと店内を見渡した。見える範囲にドーナツチェーンは無い。奥まったところにあるのだろうと思い、店内へ歩き出す。

ぐるっと1周回ってみたが、ドーナツ店は無い。フロアマップを確認すると一区画だけ表記の無いところがある。

(閉店しちゃったのかな・・)

しかし、さっきスマホで調べたときには出てきたしな・・・と思い、改めてスマホで調べるとやはりまだ営業していそうである。

もう一度館内案内を見る。ドーナツチェーン、地下1階。ここで見ている案内板の1階部分だけが背景が赤色になっている。どうやらここは1階ということらしい。

ようやく理解できたのだが、俺が入ってきたのは道路からすぐに入れるフロアだったものの、どうやらそこは2階で、この店は坂道に建っているらしく、2階の入口と1階の入口それぞれが道路に面しているらしい。そういえば、さっき入ってきた入口の横の道は急な坂道だったなと回想する。

(わかるかよ・・・)

と心の中で呟きつつ、もう1階分フロアを下りる。

エスカレーターを降りた先には目当てのドーナツチェーンが見えた。


夕方の帰宅時ということもあり、主婦や会社員が10人くらい並んでいた。

このドーナツチェーンは安いし、家族へのお土産には最適なんだろうなと思いつつ、列に並ぶ。かく言う俺も、お土産を買い求める一人だ。

ショーケースに入ったドーナツを客が自分でトングを使って取るタイプなので、皆、ショーケースの扉を開け閉めしながら、ドーナツをトレーに載せている。

皆、けっこうな量を買っていくんだなーと最後尾からぼんやり列を眺めていると、先頭から二人目にさっき見た高橋の姿を認めた。

(2度目だな・・)そんなことを思いつつ、高橋のことをぼんやり見ていると、高橋はシナモンシュガーのドーナツばかり10個くらいトレーに載せていた。

色々な種類のドーナツがあるなかで、1種類しか買わないのも珍しい気がしたが、人それぞれの好みなので、よしとしよう。


高橋はすぐに会計を済ませると、こちらに気づくことも無く足早に去っていった。きっと忙しいのだろう。なんせ向こうは業界ナンバーワンの会社員だ。

高橋が去ってすぐにショーケースにたどり着いたので、ケースを開けてドーナツを選ぶことにした。

カラフルな新商品が目立つように手前に並べられている。

うちは3人家族だけど、明日の朝食分も含めると6個プラスアルファくらいか・・・と思いつつドーナツをトレーに載せていく。

この選択が、家族に称賛されるかどうかは分からない。忙しいせいもあるが、あまり家族の好みまでは把握しきれていない自分を少し恥じる。

もう一つチョコのドーナツを買うべきかどうかで悩んでいると、列が進んでしまい、結局追加のチョコドーナツは取れなかった。


会計を済ませてスーパーの店内へ戻ると、顔を上げたその先に、帰りの電車への乗り口を示すサインを見つけた。どうやら地下で繋がっているらしい。

近道になりそうだなと思うと同時に、研修で疲れた体が近道に少し喜ぶのを感じて、サインの方向へ歩き始めた。

サインを見やりつつ、更に10mほど歩くと、そこに「C」のサインが登場した。

振り返りつつ、現在地を確認すると、そこは先ほど、左か直進かで悩んだ場所だった。

なんてことはない、ドーナツ屋に行きたければ、左に行けばよかったのだ。

ものすごく損した気分になりつつ、帰りの改札口を目指して、エスカレーターを降りる。

長いエスカレーターの途中ではたと気づいた。

高橋は迷いつつもC方向を選んで、ドーナツ屋に俺より先に辿り着ていたのだという事実に気付いてしまった。

俺もあの時、左を選んでいれば、苦も無くドーナツ屋に辿り着けたのだ。しかし、色々な想いから左を選ばなかった。

高橋が選んだ道を俺は選ばなかった。その事実は、少しだけ俺の気持ちを暗いものにしてくれたけれども、とりあえずドーナツは大量に持っているしな、と訳の分からない慰めの気持ちを持ちつつ帰路についた。


帰宅すると、さっそくドーナツの箱を開けた子供に、チョコドーナツが一つしか無いことをなじられた。

「僕はチョコドーナツが一番好きだから、忘れないでね!」と子供に諭すように子供に言われつつ、夕食を家族で囲み、早めに就寝することにした。


早めに寝たせいなのだろう、深夜3時に目が覚めてしまった。

小腹が空いたので、冷蔵庫に入れてあったドーナツの箱を取り出して、箱を開けた。

妻と子供に不人気だったシナモンシュガーのドーナツを手に取る。

ドーナツを皿に乗せて、ダイニングに移動してテーブルに皿を置く、一口かじると、口の中の水分を持っていかれる感じがして、

ドーナツを皿に戻すと、飲み物を取りに、冷蔵庫を再度覗いた。

牛乳をコップに注いで席に戻ると、一口かじられたドーナツはちょうど「C」の形をしていた。


夕方の出来事を思いだす。

「C」の道を選んでドーナツ屋に難なく辿り着いた高橋と、迷って遠回りしてフロアを間違えてようやくたどり着いた俺。

その対比は、業界ナンバーワンにさらっと転職できた高橋と同じ会社で働き続けている自分の生き方を示しているようで暗くなる。


でも俺も、そしておそらく高橋も甘いドーナツを頬張れたことには変わりないのだ。過程は問わない。

最終的にドーナツを齧れることが大事なのだと思いなおして、残りのドーナツを平らげると、俺は再び眠りについた。

口の中に甘いシナモンシュガーの香りが広がっている。

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