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タイ移住10年を振り返って思うこと Vol.1

サワディー・クラップときつるです。皆さんはお元気でしょうか⁈
まあ、どうでもいいんですけど。

今回は、少々重い話になってしました。
2013年にタイに移住して早10年が過ぎました。
当然ですが、10才年を取りました。555
気が付けば、そろそろ定年退職も視野に入ってきた感じです。

正直、あっという間の10年でした。
結果的には、今のところタイに移住して本当に良かったと思っております。
今回はそんな気持ちの移り変わりをBlogに残しておこうと思います。

最後までご覧いただければ、幸いです。
では、早速行ってみましょう!


1.2013年タイ移住

・プチ移住

タイに移住してきたのは、忘れもしない2013年の3月末です。
一度、2013年の1月に1か月間、プチ移住を経験しました。
お試し移住というよりは、タイに移住する時の準備期間でした。
住む場所の確保や、タイ語学校の入学手続きなどです。

それまでに仕事でタイには数回来たことがありました。
出張レベルなので、約1週間の滞在を数回味わった程度です。
仕事で来たときは、同僚と一緒でしたし、仕事関係のタイ人がサポートしてくれたので、何不自由なく滞在しておりました。

しかし、今回は話が違います。まずは、日本で1週間分のホテルを予約しました。場所はBTSサラデーンから徒歩10分程度の場所です。
今思えば、超不便な場所でしたね。サラデーンエリアは繁華街なのですが、
開けていない方向に徒歩10分でしたので。555

日本からは夜便に乗ったので、バンコク・スワナプームには朝早い時間に
到着しました。まだ、ホテルにチェックインが出来ないので、マックなどで時間をつぶしていましたが、眠さの限界を感じてホテルに向かいます。
今からチェックインできるか聞いたところ確か当時のレートで3000円程度かかると言われました。1泊6000円くらいのホテルでしたが、仕方なく3000円を払って部屋に入ることにしました。

当時、タイを含めた東南アジアは、とても危険というイメージがありました。というのもフィリピンにも仕事で、何回か行っていたのですが、マカティという街を歩いていると30分に1度くらいのペースで声をかけられます。
声をかけられる内容は、様々なのですが結局は金です!
会社からも安全マニュアルなどをもらっていて、こんな行動はするなみたいなことがたくさん書いてありました。といったこともあり、一人タイ旅行は警戒心の塊でしたね。

・タイ語学校を訪問

時間を無駄には出来ないので2日目は、早速タイ語学校を訪問しました。
学校といってもスタッフが10人程度(先生も含む)の民間の会社ですね。
場所や料金はネットで調べていたので、内容の確認が主な目的です。

タイ語学校に入る理由は2個ありました。
一つはもちろんタイ語を覚えることです。私の英語力は中学生以下ですからタイに移住した際には言葉が話せないとどうしようもないですからね。

タイ語学校のイメージ

もう一つは、タイ語学校に入るとEDビザを1年間もらえることができます。
(学校にもよりますが、EDビザを出してくれる学校もたくさんあります。)
授業料は確か月7000THBくらいだったと思います。今のレートで言えば、30000円弱です。タイのビザをもらえて言葉も覚えられれば、一石二鳥です。

・アパート探し

タイ語学校の登録は、すんなり完了しました。かなり好調なスタートです。
アパートの情報もタイ語学校で聞くことができました。
コスパ的には、BTSビクトリーモニュメントあたりが良いのではないかと言われました。ということで、早速BTSビクトリーモニュメントへ出発です。

ホテルからBTSをサイアムで乗り換えて15分程度で到着しました。
BTSビクトリーモニュメント駅は、タイ語でアヌサワリー【戦勝記念塔】というそうです。まず、駅を降りて戦勝記念塔付近に行ってみました。

まずは、人の多さにビックリ!あたりを見渡してもアパートらしきものが見当たりません。あたりを1時間程度歩いてみましたが、暑さと人の多さで
思考停止状態です。駅近くのショッピングセンターに入ってネットで探すことにしました。

日系の不動産らしきものがありますが、相場は30000THB~がメインです。
無職の私には、到底無理な金額で愕然としました。
あまりにも無計画なことに今気が付きました。ひとまず、ホテルに戻ることにします。

小さなホテルでしたが、1Fにはカフェに毛が生えた程度のレストランが
ありました。ホテルの場所は少し不便な場所だったので、食事は初日から
このレストランを利用していました。
タイ料理が苦手だった私は、つまみの「から揚げとビール」を飲みながら
1~2時間ここでスマホを片手に今後どうしようか考える日が続きました。

・思わぬ展開へ

ホテルに宿泊して数日が過ぎたころいつものように食事をしていると
スタッフの子が話しかけてきました。年のころは、25才くらいでしょうか⁈
彼女の名前は「May」といいます。まだ、学校を卒業して間もない感じです。この店の客は私以外見たことがありません。いつ閉鎖されてもおかしくない感じです。

彼女は英語でたわいのない質問をたくさんしてきました。
また、自分のこともたくさん話をしてくれました。
将来、英語を生かした仕事がしたいこと。
家はスクンビットの外れで、両親は服を作っていることなどです。
もともとタイ人は話好きで、陽キャの子が多いですからね。
良い暇つぶしになりました。

彼女の陽気さに誘われて、私も現在の状況を話していました。
日本で会社を辞めてタイに移住したいこと。
今はアパートを探しているけど見つからないことなどです。

すると彼女は、次の休みにアパート探しを手伝ってくれるといいました。
とてもラッキーです。行き詰っていましたからね。

彼女の休みの日にお昼過ぎから一緒にアパートを探すことにしました。
途中、彼女の友達も合流して一緒にアパートを探してくれました。
因みにタイでのアパートの探し方は、街を歩いて気に入った物件を見つけたら直接アパートに入っていき空きがあるかを尋ねるというのが一般的です。
通常アパートには、スタッフが常駐しているので、部屋の空き状況、値段などを聞くことが出来ます。言葉のわからない私には、超ハードル高いですよね。

その日の夕方Mayちゃんのおかげで無事にアパートを見つけることが出来ました。部屋の価格は月5000THB(20000円)です。超安い!
エアポートリンクのラーチャプラロップから徒歩5分程度の場所にあります。因みにアパートの住民は50%がタイ人、ミヤンマー人、マレーシア人などがいて日本人は私ともう一人だけでした。

古いアパートのイメージ

2013年の1月でしたが、4月から住むということで3か月分の家賃を支払って契約は完了です。
後からわかるのですが、タイではアパートを契約すれば、その日からでも
入居できます。なので3か月分も部屋代を払ってキープする必要はなかったんですよね。でも住むところなしで、初めての海外移住は怖かったので、
仕方ありませんよね。今思えば、これも勉強でした。

2.タイ観光国内観光

Mayちゃんには、本当に感謝しています。
彼女と出会っていなければ、未だに住むところも見つかっていなかったかもしれません。日本に帰るまで、まだ2週間以上あったので、バンコク近郊でプチ旅行を楽しむことにしました。

タイを観光します

Mayちゃんには、休みの日にカオサン、旧市街などに連れて行ってもらいました。私は50歳目前でしたので彼女の倍ぐらいの年齢でしたが、親切に案内してくれました。

それ以外は、自力でバンセンビーチ、アユタヤなどネットで調べて小旅行をしました。今思えば、全然たいしたことないことですが、当時、英語、タイ語共に全然しゃべることができなかったので、まさに「初めてのお使い」
状態でしたね。

どこに行くにもバスやロットゥーに乗る必要があったので、
バスセンターに行き窓口でチケットを買わなければなりません。
チケットには何が書いてあるのかわからない上にどこにいつロットゥーが
来るのかもわからない状態です。
そうやって少しづつですが、タイでの生活に慣れていきました。

約2週間、タイでのプチ移住を楽しんだ後、一度日本に帰ることになります。約2か月かけて日本からタイに移住するための準備期間です。

この続きは、また書くことにします。
最後までご覧いただきありがとうございます。
また、次回のBlogでお会いしましょう!
バイバイ。











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