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些細な「後ろめたさ」と「負い目」を無くすことが、心を軽くする。

生活する中であちこちに隠れている「後ろめたさ」と「負い目」

洗濯物が溜まりっぱなし。
食器を洗わなければいけない。
メールの返事を返さなきゃ。
部屋も散らかりっぱなし。

一見大したことがないように感じる小さな小さな雑事達。
小さいからこそやってしまうのが ”後回し” である。

後でやろう
この悪魔の囁きが全ての悪循環の始まりだ。
家事ならばやらなければ生活が回らないので、何とか頑張れる瞬間もあるが、
目を通さなければいけない市役所から来た書類の処理や、結婚式の招待状を郵便ポストに入れることなど、少し(それも本当に少し)面倒なこととなれば、
帰宅後にやろうとしても結局「寝る前にやろう。」となり、「明日の朝やろう。」
「週末こそ。」「月の初めには、、、!」

極め付けは「年末の大掃除で!!」である。
結婚の招待をしたのに大掃除として処理されてはたまったものではない。

上に記したように、当人の頭の中には、常に雑事が残っている。やもすれば、年末まで頭のどこかに残っているのだ。

さらに厄介なことに、未処理の雑事が残るだけでなく、そいつは最も悪い影響を放つものを生む。

それは「早くやらなきゃな」や「今は本当はこれをやっている場合ではないのにな」という”後ろめたさ”と、「こんなこともまだやれていない私なんて」という”負い目” 、言うなれば自己嫌悪を生むのだ。

脳科学的にもわかっているらしいのだが、どんなに些細なことであっても、未処理のタスクが残っていることは、頭の中でどんどん膨れ上がり、キャパシティを押しやり、ストレスを増幅させるらしい。当然、それらがあれば、仕事の生産性はもちろん、私生活の充実、もっと言えば、睡眠や食事にも悪影響が出ることは自明のことである。

とんでもなく厄介なことでありながら、当人が”後ろめたさ”を感じてしまったら、そうなってしまうのだから、日々の生活のあちこちで見出してしまう、あるいは感じてしまうわけである。これは早急に解決するべきことである。


日々の生活に、「些細な後ろめたさ即座滅却」という意識を持つこと。

そうとわかれば話はシンプルで、それら些細な雑事をすぐにやっつけて、”後ろめたさ”や”負い目””自己嫌悪”を未然に防ぐ、あるいは重症化する前に食い止めてしまえばいい。

日々の雑事は、よくよく見てみれば5分、早くて2分あれば相当片付くものがほとんどである。市役所など、家から出なければいけない場合には、帰りに近くのカフェで美味しいケーキセットを頼むなどして、報酬を故意に結びつければ良い。

実際に意識してやってみると、なるほど、本当に頭が軽くなる。
最近意識して行っているジャーナリング(これもまた別で記事にしようと思うが)も相まって、頭の中のモヤモヤが晴れ、心も頭も、さらには体まで軽くなり、風通しが良くなったかのようだ。

頭が軽くなると、何事においても初動が速く、活力もみなぎる。なぜなら、もう私の頭にも心にも「あれやっておかなきゃなぁ」「今はこれやってる場合じゃないなぁ」というダサい雑念が湧かないからだ。

快活溢れる人生を送る、小さな小さなコツとは、日常に溢れている小さな小さな雑事をやっつけ、小さな小さな雑念を生まないことであると思う。

それら小さな小さな工夫が、やがて大きな大きな幸せとなるのだ。

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