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日々53

最近思うのは、社会や世間といったものの変化や風潮には、自分が合わせていくしかないんだろうな、ということだ。
創発、という言葉がある。これは、例えば、なにもない岩場で、岩がくずれて石になり、砂になって、そこに水分や、有機物などが飛んできて、苔やシダが生えて、小さい草や木が生えて、それらが大きい草や木になり、森になる、といったものだ。何が原因というわけではなく、いろいろな要素が重なり合って、自然とそのような形になっている。一つ一つの要素そのものは、確率的なもの、偶然でしかない。
社会の変化や時代の風潮というものも、創発のように、もともと、何が原因でそうなったと特定できるものではなく、様々な要素が重なり合って、自然と今の形になった、と考えるほうが妥当だろう。もちろん、各研究分野では、その視点から見た時の分析は、日々、行われている。納得のいく説明もあれば、的外れだなというものもある。ただ、メディアや身の回りを見た時に、それらは、あまり役に立たない。AだからBという因果論は、あくまで条件付きで成り立つものだからだ。僕は、基本的には、確率的な事象として、社会や世間をとらえたほうが、わかりやすいように思う。

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