日々51

去年、親族が3人亡くなったが、いずれも高齢だった。彼ら、彼女らが高齢まで生きたのは、たまたまであり、なにか特段の理由があったわけではないだろう。医学的な理由を探しても、人間の体については、未だわからない部分がほとんどなので、わからないだろう。

そもそも、寿命という言葉というのはおかしなものだ。自然死であれ、事故死であれ、病死であれ、自死であれ、死んだときがその人の寿命だったと、後からわかるものでしかない。それを、あたかも、あらかじめ決まっているかのような言説は、自分自身でも控えたいと思う。

とはいえ、医療の発展によって、昔なら死んでいたであろう人が、それ以上に生きるということは実際に起こっていることだ。しかし、それがいいことなのか悪いことなのかは、簡単に判断できない。大病を患って、そこから生き続けるということは、それだけお金がかかるということだ。そのお金は、本人のものかもしれないし、家族のものかもしれない。本人が生きていることをよしとするか、苦しいだけだと感じるかどうかはともかく、とりあえず、生きている以上、お金はかかるのだ。これから、ますます医療が高度化するにつれ、誰がそのお金を払うのかは問題にならざるを得ないだろう。

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