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日々56

40代半ばくらいから、多くのことに対して、まあ仕方がないな~、と思うことが増えてきた。それは、自分と身の回りのことに対してもそうだし、もう少し広い世の中のことに対してもそうだ。
例えば、学生時代は勉強しながらストリートダンスをやっていて、それはもちろん体力があったということなのだろう。仕事を始めて、うつ病になった後も、体力をつけようと思って毎日ジムに通って筋トレをしていた時期もあった。今は、ジムに行く体力もないので、ストレッチと5分程度の散歩とちょっとした筋トレをする、というところに落ち着いている。歳をとるにしたがって、明らかに体力が落ちている。
体力だけではなく、物事を認識したり分析したりする、ということについても省エネになってきた。振り返ってみると、あの時の自分はそういう判断をするしかなかったな~、と思うことが多い。過去のだいたいのことは、その時その時に、自分が置かれた状況で判断したことであって、もし違う選択をしていたら、と考えることに意味はない。認識も判断も、ケースバイケースなのだから、一貫した判断など、そもそも無理なのだ。
体調を維持したり、たまに詩を書いたり、といった今やっていることに関しても、今は今の状況での自分の判断でやっていることなので、後々のことを考えすぎても仕方がない。多分、大抵のことは、仕方がないよな、ということなのだろう。それは、自分のことだけではなく、広い世の中のことであっても、それぞれの現場でそれぞれの人間がその時の状況で判断した結果として今の状況がある。それを、すべて考慮して分析することはできないし、できたとしても、それを操作することはできないのだろう。

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