笛吹き道中記 音楽歴03
わたしの音楽歴の続き第3回目のメルマガです。
音楽高校へ入学し、週1の個人レッスンが始まりました。
あるレッスンで忘れられない思い出があります。
わたしの先生は小久見豊子先生で、
非常に優れた指導者としても有名な方でした。
また、学校一怖い?ともいわれてしまうほど、
厳しい方でした。
それはエチュード(練習曲)のレッスンでした。
その曲のはじめてのレッスンです。
吹き終わると先生が一言。
「もう帰りなさい」
・・・え?
もう一度先生がおっしゃいます。
「もう帰りなさい。もう見ません」
理由がわからずに固まっていると、
何回吹いたの?と尋ねられました。
そのエチュードには日に1時間程度の練習でしたので、
7日間ですから、7時間、一度吹くのに何分だから・・・
なんて計算し始めて、
具体的な回数を問われているのでないことに、
混乱した頭でもようやく気づきましたが、
結局固まったまま。
黙ってしまった私に先生は
何度も帰りなさい、とおっしゃいましたが、
ここで帰ってしまったら、
明日から私はどうなるのか、想像もつかず、
じっと動けないでいました。
やがて、
根負けして理由を話してくれました。
1か所、8分音符を別の音符と読み間違えていたのでした。
正直、え?これだけ・・・と思いましたけど、
凡ミスを絶対に許さない、という先生の姿勢が伝わりました。
楽譜の読み方が不注意だったのです。
そうはいっても、
わたしは真面目な生徒でしたので、
思い込みで読み間違いをしたものを次に防げるのか、
不安を感じました。
委縮してしまって質問もできなくなってしまいましたが、
(自分の性格が原因でもありますが)
委縮は習得には良くないと感じ、
わたしの現在の指導法の反面教師になっていますが、
「注意深く譜面を読む」という指示は
とても大切だと思います。
拍子の数え方も、先生から教わった方法が、
大変理に適っていて、
仮に間違えた場合でも、
自分で気づくことが出来る優れたものだ、
と後に他のジャンルのミュージシャンたちと
交流するようになってからわかりました。
拍子の取り方なんて、
拍が取れればいいように思われるかもしれませんが
ちょっとした方法を知るか知らないかで、
大きく変わります。
知識は、自らその方法を編み出すまでの数年、ものによっては数十年を
一気に飛び越えさせてくれます。
私は、習ったものがいつの間にか当たり前のものになっていて、、
これが伝えるべき知識だということすら、
気付いていない時期がありました。
それらは随分後になってからですが、
篠笛の教則本*を執筆することになり、
編集者から、
「当たり前だと思っていることをすべて言語化してください」
と言われ、何度も何度も添削をされるうち、
気付いたことです。
その教則本は独学する人向け(もちろん直に師事できたら一番いい)
に書かれたものでしたので、
懇切丁寧に、当たり前すぎてこんなことまで言って、
紙面を取らなくていいんじゃないか、と思うことまで、
言語化する、という方針でした。
先生から受けたレッスンをこの執筆の経験でもう一度フィードバックしてアウトプットするという繰り返しに繋がり、このことが指導するときに、
大変貴重なものとなっています。
*「音符で学ぶやさしい篠笛教本」(ATN)
思いっきり本のご紹介にもなってしまいましたが、
本を作っている編集者の方がフルートの先生とかぶるほど、
厳しく、つい思い出してしまいました。(笑)
次回も音楽高校のお話し、まだしばらくお付き合いください。
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