笛吹き道中記 音楽歴02
音楽高校の授業では全体の3分の1が音楽関係でした。
週に一度、専攻の先生が校外からいらして、
1時間の個人レッスンを週に一度受けます。
師事する先生は決まっていて、高校の3年間で変わることはありません。
さらに副科として、ピアノ専攻以外の学生はピアノを習います。
(ピアノ専攻は声楽が副科)
入学試験の実技試験にピアノ項目はあるので、すべての学生がピアノはやらなければなりません。
これも個人レッスンです。
学外からの専門の先生につきます。
こういった個人レッスンのほか、
・新曲視唱
はじめてみる楽譜を数分間、黙視したのち歌う、という内容。
短い時間で、楽譜から曲を分析、解釈するという力をつけるためのクラスです。
大抵は調性が崩壊していて、訳の分からんメロディでした。
先生が作曲していました(わざと音の取りにくいメロディにしている)
・聴音
先生の弾くピアノを決められた回数で、楽譜に記していく。
小節数、調性、拍子はあらかじめ指示されるので、
先に楽譜に最低限の情報を書き記す。
わたしはこれがとても苦手で、
聴音の時間はやることなくて、ヒマ(笑)でした。
先生が両手でパラパラと弾かれるメロディを
右手と左手の旋律をいっぺんに楽譜にカリカリカリカリと
凄い勢いで書いていくクラスメートの姿を
すっかり感心して眺めていました。
絶対音感のある学生がクラスの半分以上でしたが、
全員が聴音を正解するとは限りませんでした。
堀川の聴音は難しいというので有名だったようです。
遅くから楽器をはじめた管楽器や声楽専攻の学生は
絶対音感のない人が多かったですね。
相対音感は必ず必要ですが、
堀川の聴音は調性を指定しておきながら、
調性感のないものを出題してきていたので、
わたしなぞは、いきなり道に迷ったっきり・・・という事態でした。
・音楽理論や西洋音楽史
実技とは別に音楽の理論を学ぶ授業。
このように音楽に特化した授業が多く、
国語や数学、英語、社会といった普通科目もありましたが、
学生たちは普通科の授業中も、机の上で、指の練習をしていたりと
音楽だけに集中しているような学生生活でした。
お昼休みは120名の学生の数には対応していない限られた防音室の争奪戦。
我こそは!と一斉にダッシュ!
昼休みのわずかな時間も練習できることになったラッキーな学生と、
部屋でオーケストラのスコア譜を眺めながら音源を聴く学生などなど
色々。
私のクラスでは防音室を取らずに、みんなのいる部屋で練習することに決めたクラスメートがいて、
彼女のヴァイオリンを毎日聴かされました。
ピッチが安定せず、気持ちが悪く、
悪いピッチを出すたびに
その場の全員から
「低い~!」
とか「高い~」とかツッコミが入ります。
彼女はケラケラ笑いながら、
「あ、そう?こうかな~?」とかいって、アドバイスを素直に受け入れるので、
徐々にみんな表現がどうだこうだ、とてんでにアドバイスし始めるようになっていました。
こうして、優れた学生たちから、アドバイスを受け続けた彼女は
最終的に最難関の音楽大学に合格。
こういってはなんですが、まさか彼女が・・・と思ったものです。
今思うと彼女の練習法は、素晴らしいですね。
アドバイスをすべて素直に受け取るという姿勢は、
アドバイスする側からすると、もっと言ってあげようという気持ちになるものです。
しかし、自己肯定感が低いとアドバイスを受け入れにくいです。
自己肯定感の低い人は、
出来ない自分=ダメな自分、と思っているのでと素直に聞けません。
彼女は自己肯定感が高かったのでしょう。
出来ない自分と自分の本来の価値は関係ありませんし、
彼女はその区別が出来る人だったんだろうと思います。
逆に、出来る自分=価値が高い、というわけでもありません。
そう思っている限り、練習は自己肯定感を上げるものになり、
いくらでも上には上がいる世界ですから、苦しいでしょう。
出来ない自分も肯定しつつ、上達したいから練習する、という状態になれれば
いいですね。
さて、まだ、音楽高校の話は続きます。
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