渡韓日記

 昨年、2023年の9月に10日ほど韓国へ行ってきた。最後へ韓国へ行ったのは2016年の秋にナムジュン・パイクの没後10年のエキシビジョンへ行って以来なので、7年ぶりとなる。前回の旅行で韓国の物価は日本より1~2割安い感覚だったが、今回は1ドル150円の円安の影響で、日本より1~2割高くなっていた。1万円に対する韓国ウォンの両替レートはもっとも良いところで9万ウォンだったので、あらゆる物価が日本の15%増しくらいで迫ってくる。海外旅行の魅力の上位に物価の安さがあるため、出てゆく金を惜しむ旅でもあった。いずれ書こうと思っているうちに、時間がどんどん過ぎてしまう。先のカンボジア旅行でも痛感したが、なるべくリアルタイムで記しておくのが良いようにも思った。

【下関まで】
 今回の旅の目的のひとつに下関から釜山までの韓釜フェリー利用があった。韓国へは飛行機だとあっという間に着いてしまうので、少し時間をかけて向かうのも良いと思ったのだ。
 韓釜フェリーは青春18きっぷの利用期間に二等船室が通常9000円のところ半額の4500円になるキャンペーンを行っている。事前予約とともに、18きっぷを窓口で提示すれば半額となる。ただし、これは旅客運賃のみで、ほかに燃油サーチャージ1400円と下関国際ターミナルの利用にかかる国際観光旅客税1000円が課されるため、総計で6900円となる。下関までの移動時間、料金、宿泊費を勘案すれば、LCCの方が安いだろう。
 18きっぷは東京を朝一番に出れば、その日のうちに下関まで到達できる。ただし、フェリーの時間には間に合わないので宿泊が必要になる。さらに下関まではずっと電車に乗りっぱなしとなってしまう。
 そのため、まず岡山で一泊し、博多まで足を伸ばして二泊、下関に戻り三泊した。博多まで行ったのはキャナルシティで常設展示されているナムジュン・パイクの作品《Fuku/Luck,Fuku=Luck,Matrix》を見るためだ。180台のブラウン管テレビにランダムに映像が表示されてゆくもので、修復を経て再生した。約1時間の上映を通して眺めたが、最後まで映像がつかないテレビがあったのだが、これが本当に壊れているのか、そういう場所を用意したのか判断がつきかねるものだった。
 博多の思い出は、290円で博多ラーメンを提供するチェーン店で、はかたやの値上げをしない宣言に感銘を受けた。あらためて物価高騰を理由にちょくちょく値上げを繰り返す東京のラーメン屋に対する不満が沸き起こる。はかたやは290円だからといって「マズイ」わけではない。290円でも十分うまいラーメンだ。博多のとんこつラーメンは背脂ギトギトではなく、透き通ったさっぱりスープなので朝一番はじめいつでも食えるし、ハシゴも可能だ。博多到着は夜遅かったが、まず有名店のラーメン海鳴でラーメンと炙り替え玉食した後、はかたやへ寄りもう1杯食えた。それくらいのスマートさがあるラーメンだ。
 深夜の博多到着のち、中洲をラーメン散策のち、明け方に眠り11時チェックアウト。荷物を預け、キャナルシティでパイクの作品を眺めたのち、下関へ引き返す。小倉経由で関門海峡を超えて下関へ到達する。駅直結のスーパーがあったので、ボイルふぐの身や、ふぐ酒など特産品を買い込む。
 宿泊した宿はボロ宿であり、定款に15時まで宿泊料金の30%を払えば滞在できるとあったので、フェリーの時間に合わせた設定がなされているのかとも思った。フロントに問い合わせると、スタッフはその事実は承知しておらず、11時まで1000円、12時まで2000円というので、通常どおり10時チェックアウトを申し出る。
 翌日は出港時刻までレンタルサイクルで市内各地をめぐる。途中、今後の取材のためにある人文書を入手する必要が生じる。電子書籍も存在するがやはり付箋を貼りながら読んでいくのがベストな本だ。図書館への所蔵はなかった。ならば関門海峡を超えて北九州まで行かねばならないかと思ったが、下関駅前のくまざわ書店に売られていた。2年前に刊行された人文書をきちっと扱う書店の姿勢に感銘を受ける。さらに、書店では佐藤優や池上彰などの本は流行書の棚に並べ、きちっと人文、社会科学の棚が独立してある。小熊英二の『民主と愛国』(新曜社)まで並んでいた。熱心が書店員がいるのだろうか。
 
【韓国のはじまり】
 韓釜フェリーは、韓国船と日本船が相互に行き来している。『ディープコリア』だったと思うが根本敬の本に、最初に日本船か韓国船を選ぶかで旅の気分が違うみたいな記述があったので、迷わず韓国船を選ぶ。韓国船の中には韓国のコンビニである「GS25」が入っており日本円のほか韓国ウォンで買い物が出来る。値段は国内と変わらない。
 雑魚寝の2等船室に入ると、すでに2人の先客がおり両端を陣取っている。私が真中のポジションを取ると、もう1人入ってきた。言葉を交わしていないので、韓国人なのか日本人なのかはっきりとはわからない。満員8人の部屋に男4人が微妙なポジションを取りながら寝転がる。コンセントは部屋の入口に連座で2つ付いているだけなので分け合う。旅の交流みたいなものは生じない。
 船のカウンターで食堂のチケットを買う。こちらも、日韓双方のお金が使え1000円もしくは10000ウォンだった。前回の旅で余ったウォンで払ったが、ここはレート調整がなされていないので、日本円で払った方が100円ほどお得だった。食堂は激混みかと思いきや、こぢんまりとしている。米とスープとキムチ、何品かのおかずをステンレスのプレートにセルフで盛り付ける。ほかの乗客は船内コンビニでカップラーメンを買っている人が多かった。
 船はしばらく山口県の日本海側に沿って進んでゆく。出港後2時間くらいまでは電波が入り、海岸線沿いを走る救急車の光も目にできた。電波が通じなくなるくらいのタイミングから本格的な外洋へ出たためか揺れが激しくなる。ネット情報では本も読めないとあったがまさにそうした感覚となる。ひたすら横になって時間をやりすごすしかない。
 夜行フェリーは以前、神戸から北九州の新門司港までの便を利用したが、大きな揺れもなく穏やかに航行していた。さらにテレビの電波も、広島、愛媛、山口と地方局のそれを次々と拾ってゆく。クリスマスの夜だったので「明石屋サンタ」が流れていたが、明け方まで楽しめた。瀬戸内の海は穏やかであるが、玄界灘の流れはこんなにも厳しいものかと思わせる。とにかく横になって寝ようと努力するしかない。

【釜山1】
 途中、何度も覚醒を繰り返しながら朝、プサン港へ到着する。パソコンもスマホも充電が減っていたが、もう出なければならない。入国時はスタンプではなくシールが張られる仕様になっていた。夜中のうちに入れ替えていた格安SIMカードは作動している。香港製のため、この時、同地で起こっていた洪水情報がスマホに次々と流れてくる。
 釜山港国際ターミナルから釜山駅を目指して歩く。地図上だと近いが、周りの風景がトラックが走りコンテナが立ち並ぶ実に殺風景なものなので、かなり寂しい気分になる。旅の始まりの高揚感が湧き上がってこない。線路下の通路を抜けてコンセントを備えたカフェがあったので3800ウォンのマンゴースムージーを飲みながら充電する。ピーター・バラカンのラジオ番組を聴きながらなので、もう日本の続きのような感覚だ。カフェを出て地下通路を歩いていると、チョングッチャンを出す食堂があったので入る。チョングッチャンは発酵させた大豆を使ったスープ料理で、韓国版納豆というべきものだ。高野秀行の『謎のアジア納豆:そして帰ってきた<日本納豆>』(新潮社)で存在を知り、7年前の旅行でも食べた。ソウルの食堂で注文すると「何でそんなものを食べるのだ」といった反応をされる。外国人が食べるには珍しいのだろう。
 食堂を出て、釜山駅から地下鉄で西面(スミョン)へ移動する。交通カードの「T-moneyカード」のチャージは1000円分ほどがそのまま残っていた。国や都市によっては長期間利用がないとリブートが必要になる場合もあるが、韓国のカードにはそうしためんどうくさい作業がないのが良い。
 西面へ到着し宿探しを始める。この街には7年前に1泊した。ボロい宿で、鍵が壊れたので、スタッフのおばちゃんに伝えると、取り出した包丁でドアをこじあけ「これでいいでしょ」と去って行った。鍵がないのが不安で、あまり遠出は出来なかった記憶がある。宿のすぐ近くにコンビニの「GS25」があってといくつかの記憶を頼りに街中を歩いてみるが見つからない。そもそも「GS25」は本当にどこにでもあるので目印にはならない。どの宿も何となく高そうな雰囲気を漂わせている。
 街の中心部から少し離れると国鉄の線路があり、その脇にボロい町並みが広がっている。一軒の宿に入るが、宿泊を断られる。韓国の安宿はパスポードチェックはない。単に言葉の通じない外国人を泊めるとめんどうくさいとかそういうものだろう。次にそこそこボロい外見の宿に入るも、内部はカードキーが完備された立派な作りだった。40000ウォンを提示されるが、現在のレートだと4400円ほどだ。相応な作りだが、もう少し安い宿に泊まりたい思いもよぎる。
 宿を出て近くの市場でレートの良さに評判がある両替屋へ。10000円が90000ウォンになる。前に両替をしていたグループは香港ドルを出していた。次いで繁華街の中にあるCD店へ。メインに据えられているのはK-POPだ。CD本体だけでなくオマケ扱いの写真集(むしろこちらがメインだろう)や、ジャケットに凝るのが現在の流儀のようで、さまざまな形がある。ほか韓国版演歌であるトロットのCDがいくつかと、洋楽のCDが並ぶ。子供向けのカセットテープ2本組が6500ウォンで売られていたので買う。
 地下鉄で学生街が広がる釜山大学へ向かう。ところが駅を乗り過ごしてしまった。日本の場合、そうした時は反対側のホームへ移動できるが韓国の場合は階段がなく、一旦改札を出る構造になっているので、チケットを買い直す必要がある。せっかくだからと駅の外へ出て街中を歩く。街といっても山のふもとに小さく開けた住宅が点在する場所で、幹線道路の下を通るトンネルを抜けると虫の音を聞く。情景が日本とそっくりなので、外国へ来た感慨が沸かない。帰りのホームでおじさんに話しかけられるが、言葉はわからないと手を振ると「アア、イルボン(日本の意味)」とすぐさま了解される。顔つきが似ているのに言葉がわからないならば、日本人だとすぐわかるのだろう。
 目的の釜山大学周辺を歩くが、こちらもこぢんまりとしている。安い焼肉が食べられると『地球の歩き方』へ出ていたが一人で入るには憚れるような店だったので、ロッテリアでサイダーを飲みながら充電と作業をする。宿のある街へ戻り、コンビニでビールやチキン棒など買い込んで戻る。

【釜山2】
 同じ宿に連泊を申し出る。40000ウォンを支払うが、ドアをノックされ今日は金曜日なので50000ウォンと言われる。さらに明日の土曜日は60000だという。カレンダーで料金が変動していく様子まで日本と同じなのかと思う。今から宿探しをしても、どこも似たり寄ったりだろうと思い追加で10000ウォンを支払う。
 宿近くの市場にある食堂でビビンパを食すが、こちらは7000ウォン。日本円で770円ほどだが、日本の韓国料理店ランチの方が安いなとやはり比べてしまう。
 地下鉄の中央駅へ。地下にショッピングモールまで高尚ではない庶民的な商店が並び、懐中電灯やラジオなどが売られている。大量の音楽をSDカードに収録したポンチャックマシーンも買おうと思っていたので店へ入るが、おじいさんがいくつか話しかけてくるが、こちらが理解していないと知ると、言葉がわからないなら帰れみたいな態度を取られる。仕方ないとはいえ、切ない気分となる。近くの店ではカセットやCDが並んでおり、店員が少し英語を話すので、1つ1000ウォンのカセットテープを9つ買う。こちらもポンチャックっぽいものはなく、子供向けの英語学習テープなど、解釈としてキッチュが成り立つものを買う。
 その後、釜山近現代歴史館を経て、宝水洞(ポスドン)の古本通りへ。釜山最大の古本屋街で、細い坂道の両脇に古書店が並ぶ。その一角に子供向けの書籍を並べている店があり、その中にナムジュン・パイクの本を見つける。パイクは日本だと現代美術家の扱いだが、韓国の評価は歴史上の偉人であり、子供向けの伝記本に取り上げられている。良いものを見つけたと舞い上がるが、会計しようとすると「これはセット売りだ」と言われる。さすがに何十冊も持ち運ぶわけにはいかず諦める。
 その後、大きな川の中洲に位置する釜山現代美術館へバスへ向かう。金曜は21時までやっているとあったが、なぜかほかの曜日に同じく18時閉館。美術館の駐車場脇に寝転がり飛行機を眺めながらだらつく。

【釜山3/順天1】
 昼に宿をチェックアウトし、西面の隣の釜田(プジョン)へ。ここから半島の南部を横断する慶全線に乗り順天(スジョン)へ向かう。釜田は、西面から一駅離れると、こうも空気が違うのかと驚くばかりの庶民的な場所だ。安そうなボロ宿もある。初めからここへ来ればよかったかもしれないとも思う。鉄道はまさかの満席でスタンディングチケットを買う。
 列車の出発まで時間があったので駅周辺をめぐる。屋台で売られていたかぼちゃ粥を3000ウォンで買う。思ったより、甘みも塩気もなく、うまくなかった。
 列車は機関車を客車2両が引っ張るもので、ゆっくりと立てる場所がない。さらに空席も目立つ。これは満席と言っても、発券システム上のものだろう。湘南新宿ラインが宇都宮から熱海まで走るとして、その途中、横浜大船間で誰かがチケットを抑えれば、ほかの区間もすべて満席扱いになってしまう。そうした仕様なのだろう。改善を求めたい部分だ。
 3時間ほどで順天へ到着する。駅の造りは豪華だが、駅前は閑散としている。駅前の食堂でウドンを食す。発音は日本と一緒だ。さらに小皿メニューはセルフで取り放題で中にコンビーフがあったのは良かった。この店は、伝票に希望メニューを記入する方式だが、すべてハングル表記なのでまったく読めない。
 7年前の渡航で読んだ関川夏央の『ソウルの練習問題』(集英社文庫)で「文盲」とはどういうことかを体験したければ隣国の韓国へ行けば良いといった記述があった。日本人は英語のアルファベットは読める。高校卒業までにおよそ3000字の漢字を学習する。その知識と情報を援用し、中国語の簡体字は無理でも、台湾や香港で用いられる繁体字はおおよそ読めるだろう。ハングルにはそれが通用しない。日本語と韓国語は似ている部分もあるし、中にはまったく同じ響きと意味を持つものもあるが、文字の羅列には太刀打ちできないため、言葉で伝える(ただ、韓国の次に訪れたベトナム、カンボジア、タイ旅行ではGoogleの写真翻訳機能を使うとこの問題がある程度は解消できるとわかった)。
 駅から少し歩いた場所に安宿街がある。とりわけボロそうな宿に入ろうとしたが、宿泊できないと言われる。次に中くらいのボロさの宿に入ると、こちらは25000ウオンだった。部屋内にはウォーターサーバーもある。途中で水が無くなったが、この安さで替えてくれと言うのも何だと思い、水道水を投入する。韓国は水道水が飲める国だが(ここも日本と一緒だ)、やたらウォーターサーバーが普及している。いつでも冷たい水、もしくはお湯が飲めるのは良い環境ではある。
 この頃には手持ちの現金が少なくなってきたが、駅前の農協銀行のATMではクレジットカードのキャッシングが出来ない。調べると大手のウリ銀行なら可能と知り、地図で場所を確認する。2キロほど歩いて銀行へ着く。ATMには見知らぬ国の言語がいくつか表示さており、調べるとカンボジアとスリランカだった。アジアの各地から出稼ぎ労働者が来ているのだろう。
 銀行近くには市街地が栄えており、ギラギラとしたネオン街もあった。駅前が旧市街、このあたりが新市街と位置づけられるか。駅へ向かうバス路線もあった。すべてハングル表記だが、駅だけには英語が併記されている。別の駅前にあった食堂でカルビタンとビールを食し宿に戻る。

【順天2】
 朝起きて、宿の近くを流れる川沿いを歩く。こうした光景も日本のどこかにありそうなものだが、宿の値段も手頃となったこともあり、いつものアジア旅行の感覚が蘇ってくる。延泊処理。最初に入った駅前食堂でトンカスを食す。昨日の店でおじさんがナイフとフォークを器用に使ったカツレツのようなものを食しているのを目にし、調べると、日本のとんかつが併合時代に伝わり残っていると知る。安い肉を薄く伸ばし、厚い衣で包んで揚げる。たっぷりのソースがかかっており味わい深い。ほかにもオムライス(こちらも日本と発音は一緒)ほか、韓国式洋食メニューは豊富にあるようだ。
 バスで新市街へ出る。カフェで作業を行っていると遅い時間になってしまい、バスが無くなるので歩いて戻る。

【順天3/光州1】
 朝起きて光州へ向かう。列車は機関車に客車2両の編成だが今回はガラガラだ。光州松汀(クァンジュソンジョン)駅へ到着し、駅前のタイ料理屋へ入ると「コンタイ?(タイ人か?)」とタイ語で訊かれるので「イープン(日本)」と返す。あんかけ麺のラートナーを注文する。通常はバミー(中華麺)の揚げたものを使うのだが、出てきたものはセンレック(細麺)の乾麺を使った、創作タイ料理というべきもの。さらに乾麺は店の棚に並ぶタイ食材からそのまま取り出していた。米も注文して11000ウォンだったので、日本のタイ料理店と変わらない。店主は韓国人で、妻がタイ人であるという。ここは英語で話す。
 地下鉄に乗って8年前に1泊した宿を探そうとする。ロッテデパートの近くにあった記憶がある。デパートそばに地下道があり、そこを通ると、光州事件ほか民主化運動の写真が掲示されている。記憶が蘇ってくる。地下道の先に安宿街がしっかりとあった。かつて泊まった宿は人の気配がなかったので、別の宿へ入ると、20000ウォンを提示され、この旅最安値を記録する。冷蔵庫はないが部屋には専用のウォーターサーバーが設置されているので、良い条件だ。屋上スペースがあるが手すりなしなので、おそるおそる登る。少し休んで書店へ向かいパイク関連本探すが特になし。近くのホットサンドとオレンジジュース飲むが、ものすごく胃もたれした。

【光州2】
 この日、延泊処理のち帰りの航空券を予約する。日本と韓国の間にはLCCが多数飛んでいるが、これは仁川国際空港へ着く。もう一つの金浦空港の出国後の制限エリア内に期間限定でナムジュン・パイクの作品が展示されていると知り、ここへは行きたいため、金浦で航空券を探していたがなかなか良いものがなかった。片道なのに3万円代なので躊躇していると、さらに値上がりを始めた。そのため成田へ直接戻らず、関空行のチェジュ航空を利用した。大阪へ1泊し、新幹線で戻る。宿泊費や新幹線代を加味すると、成田まで戻るのと大して変わらないのだが、より面白そうな方法を選ぶ。航空運賃は諸経費込で57800ウォン、日本円だと7600円だった。
 その後、地下鉄で国立アジア文化殿堂(アジアカルチャーセンター)へ。かつてこの機関が発行した、カンボジア音楽に関する展示とカタログがあり、どこかで閲覧できないかと考えていた。図書館があり、英語でOPACを検索するも所蔵はない様子だった。どこかで入手できないだろうか。

 図書館に並ぶ本の中では『Made in North Korea』が気にかかる。北朝鮮を旅行した人が、お菓子の包み紙からタバコのパッケージ、ホテルのメモ帳にいたるまで、あらゆるエフェメラを収集したものだ。1960年代〜70年代テイストのレトロなデザインなのだが、実際の渡航時期は2010年ごろというから驚く(この本はのちに購入代行で入手できた)。施設が閉まったのち、光州の書店をめぐるがパイク関連本はない。

【光州3/龍山/ソウル】
 朝起きてバスで光州駅へ移動し、ソウル行のきっぷを買う。新幹線のKTXではなく在来線特急のセマウル号を買う。韓国は新幹線も在来線も線路幅が同じであり、新幹線は途中で専用軌道を通る。ソウルまではおよそ4時間ほど。出発まで時間があったので、駅前の食堂で卵入りの辛ラーメンと米を食す。食堂ではもっとも安い組み合わせだが、これでも6500ウォンなので、韓国の格安旅行は難しい。
 途中で雨が降り出し、終点の龍山(ヨンサン)では本格的なものになる。7年前の旅で、この街に2泊し、DMZを訪れた経験がある。龍山にはかつて巨大な米軍基地があり、周辺には歓楽街が広がっていた。基地はなくなり再開発が進み、巨大なビルやマンションが立ち並びつつある。7年前は、再開発から取り残された28000万ウォンのボロ宿に泊まった。その場所がまだ残っていないかと雨合羽を着て1時間ほど周辺をうろつくが最後まで見つからない。諦めて、前回の旅行で泊まったソウル駅の裏手の安宿群を目指す。最初の宿はちょっと高そうな感じにリノベーションされていたので、もう一つの場所へ。7年前は、機器の故障でwifiの速度が激遅であり、チェックインを取りやめたところだ。常温のマッコルリを飲みながら弁当を食うおじさんがおり、40000ウォンと言われるので泊まる。雨が止むのを待って地下鉄で明洞(ミョンドン)へ。すでに24時近くだが、キャラクターグッズショップはまだ開いており、あちこちから日本語が聞こえてくる。この街のはずれに24時間対応の自動両替機があるとネット情報が出てきたのだが、向かうとやはり閉鎖されている。近くの24時間営業の東大門市場へ歩いて向かうが、こちらも両替所はなく、ATMで現金を調達する。ソウル駅の上に跨線橋があるので、宿のある裏手へは簡単にアクセスできる。宿近くの24時間食堂でポッサムを食す。豚を湯がいたもので、キムチやオキアミなど塩気の強いものと合わせて食す。この旅で初めて韓国焼酎(ソジュ)を飲む。

【ソウル2】
 今日はソウル郊外のナムジュン・パイクアートセンターへ行く。ソウル駅へ出て窓口にしばし並び、水原(スウォン)までの急行切符を買おうとしたら、夕方まですべての便が埋まっているというので、各駅停車の盆唐(プンダン)線へ移動するのだが、途中、ずっと人が乗っている。盆唐線はソウルのターミナル駅の往十里(ワンシムニ)から、水原までを大回りで結ぶ。さらに水原から先は仁川まで乗り入れも行っている。さながら武蔵野線のような形状なのだが、その間、常に人がびっしりと乗っている。ソウルの都市集中の凄まじさを知る。乗車したのは平日の昼間だが、これが通勤や通学の時間帯や週末となれば、さらに混むのではないか。
 目的地への最寄りとなる器興(キフン)にはペクナムジュンアートセンターの副題が付いているが、施設へは川沿いの道を15分ほど歩く。7年前に立ち寄った駅のそばにあるおでんとたい焼きの屋台はまだあった。韓国式おでんは、巨大な棒に縦長の練り物を差し込んだもので食べごたえがある。おでんは3つで2000ウォン、たい焼きは2つで1000ウォンだった。
 以前はいくらか払った記憶があるのだが、アートセンターの入場は無料。図書館スペースがなくなっており、2階にあった売店が1階に移りカフェが併設されていた。かつては売店に地元の京畿道の物産品なんかも売られていたが、今はパイク関連商品に特化している。Tシャツのほか、ポストカードを揃えで買ったら非売品の1枚を付けてくれた。2階にはパイクのニューヨークのアトリエも再現されている。あっという間に閉館時間を迎えたので裏山へ。屋外でもパイクの作品が期間限定で展示されていた。
 再びソウル市内へ戻り東大門市場の書店へ向かう。その後、近くのウズベキスタン料理店へ入る。ソウルにはかねてよりウズベキスタンはじめ中央アジアの出稼ぎ労働者が集まる街がある。
 かつて、ソ連のスターリンが朝鮮半島周辺に住む朝鮮族を、日本のスパイと見なし(理由は「顔つきが似ている」くらいのものだったようだ)20万人ほどが強制移住させられた。同地に住む朝鮮族の子孫は高麗(こうらい)人と呼ばれ韓国政府は海外同胞と見なしている。7年前も5000ウォンの巨大羊肉ケバブを食し美味だったので今回もと思ったが、注文がタッチパネルになっており、なおかつ時間が遅かったためかケバブは売り切れだった。ケバブライスと緑茶を頼むと159000ウォンと、けっこう値段が張る。
 ロッテリアでサイダー飲みながら作業のち、ほぼ終電で戻る。ソウルの中心部は終電が0時40分〜50分くらいなので、コロナ前の日本の光景を思い起こし懐かしくなる。目的の駅を1つ乗り過ごしてしまい、歩いて戻る。静かなソウルの路地裏の光景は良い。気付くとSIMカードの有効期限が切れている。12時きっかりに止まっていたのだろう。今回、滞在日数が未定だったのでもう1枚SIMカードを購入していたが、残りの滞在日数は実質2日なので、宿と街中のフリーWIFIを利用することに。韓国はあちこちにWIFIの電波が飛んでいる。

【ソウル3】
 朝起きて、目星を付けていた別の宿へ向かう。昨日、ソウル駅裏手の路地をぐねぐねと進んだ場所にボロい宿を見つけていた。おばちゃんが出てくるが英語は通じず、WIFIがあるかも不明だったので宿替えは諦める。今の宿は週末料金を取らないようなので、3泊目を支払う。
 雨が止むのを待って市内にあるナムジュン・パイク記念館へ。こちらは昨日訪れたアートセンターとは別に、パイクの生家が小さな博物館になっている。こぢんまりとはしているが、机の上のノートをめくると、スポットライトから映像が流れるペーパームービーなど見ごたえがある。大学生の社会科見学のような団体客もいた。
 パイク記念館から歩いて東廟(トンミョ)市場へ。古着やレコードのほか蚤の市が並ぶ。白人観光客も多い。ポンチャックマシーンを売る店があったのでカードと本体のセットで20000ウォン。カード単体10000ウォンを2セット買う。マイクロSDカードの中に数千曲が入っている。「ポンチャック」の単語はおばちゃんに通じた。Wikipediaには「ポンチャックは蔑称ともみなされている」と記述があるが、特に問題はなさそうだ。ポンチャックマシーンはカードよりも、マルチスピーカーの機能性や大きさによって値段が異なる。ポンチャックマシーンを売る店は大繁盛で、韓国人のおじいさんがちょくちょくと立ち寄っていた。
 蚕室(チャムシル)へ移動してソウル本宝庫(チェクポゴ)へ。ソウル市が運営する古本屋集合モールで、カフェもある。すべての在庫がデータベース化されているようで、店員にパイク関連本を探してもらう。伝記本など5冊で8000ウォンとかなり廉価だ。昨日に続いて東大門へ向かい、昨日歩いている中で見つけたモンゴル料理のフードコートへ。羊肉の麺と羊肉スープ、モンゴリアンミルクティーの3点で18000ウォン。1000ウォンのミルクティーは甘みよりも塩気が強く、チベット文化圏で飲まれるバター茶と同じものだ。
 その後、ソウル市内の大型書店を2つめぐる。光州で見つけた北朝鮮本は見つからず、パイク関連の絵本が13000ウォンで売られていたので買う。宿まで歩いて戻る。窓の外から虫の音が聞こえてくる。ソウルは東京よりも2週間くらい秋が進んでいる。

【ソウル4/大阪】
 朝起きて、ソウル駅から空港鉄道で金浦空港へと向かう。ザックの計量は制限内のジャスト15キロだった。昨日買った本はサブバッグに詰め込む。イミグレーション内のパイク作品は4つのテレビが並ぶあっけないものだったが、少し時間が経つと稼働を始める。パイク作品のテレビはブラウン管を使っており、動かし続けていると故障し、修理が必要となる。動く時間帯に立ち会えたのは良かった。
 ソウルを発った飛行機は1時間半で関空へ到着する。本当にあっという間だ。関空ではLCCの専用ターミナルへ着いたが、荷物が大きかったためか税関職員から「どこかの国を経由して最後に韓国へ立ち寄ったのか」と訊かれる。陸路移動の旅を韓国から始める人もいるが、韓国で終える人もいるのだろう。メインのザックをファミリーマートから宅急便で送り、南海でなんばへ出る。今日は週末のため、新今宮の安宿はすべて埋まっている。範囲を拡大したら大正区の宿が一つ出てきた。沖縄出身者が多く住み、沖縄に特化したデイリーヤマザキもある。アクセスは不便なようでいて、なんばからは直通バスがある。スーパーでオリオンビールを買い、蓬莱551の肉まんと焼売で食す。あまりにも近いため、ソウルも大阪も地続きのような感覚がある。
 今回の韓国旅行では、途中でLCCでの帰国を決めたため、荷物の重量制限が生じた。追加料金を払えばいくらでも持ち帰るのだが、けっこうな値段になってしまう。そのためレコードショップへも行けなかった。とはいっても東廟で見かけた韓国レコードの値段は、気軽に手が出せるものではない。時間がなく、若者街である弘大(ホンデ)にも行けなかった。フィッシュマンズの名をアルバム名を冠したイベントスペース「空中キャンプ」はまだあるのだろうか。かつてこの場所へ向かう途中に入った古本屋で李良枝の翻訳本があり、あれは買っておけば良かったなと思う。小さな後悔やひっかかりも多く、SIMカードも1枚残してきてしまったので、何か理由を付けて再び韓国へ行きたい気持ちも沸き起こる。

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