鬼畜系の夏、告知3題

・夏コミ(C102)にて、2月16日に新宿ロフトプラスワンで行われたイベント「90年代サブカルチャー大総括:鬼畜系は何だったのか」の議事録を中心とした同人誌『鬼畜系サブカルの形成過程における制作者の役割に関する実証的研究』の頒布が行われる(B5/本文49頁/700円)。終了後は通販サイトや、委託販売も予定されている。
・私は監修者に名前を連ねているが、構成をはじめ編集実務は虫塚虫蔵が行った。イベント終了後、虫塚より同人誌作成の提案があり、ロフトの加藤梅造さんから「資料に残すべき内容」と嬉しいお言葉をいただき、各出演者、発言者の確認を経て作られている。イベントの第1部、2部の内容と、その後に行った反省会スペースの一部が収録されている(全編ならびに制作時間と分量の都合上カットされた予告編スペースは現在もアーカイブで聴取可能)。このほか私と虫塚による内容を補足する注釈やコラムも収録されており、総文字数は8万字を超える分量となった。
・イベントのタイトルに「総括」の文字が入っているものの、この同人誌が「決定版」でも「真実」でもない前提は確認しておきたい。90年代末から四半世紀を経ての中間総括であり、注釈などを充実させたのは資料/史料(集)としての方向性を強く意識したためだ。現在や未来に90年代の鬼畜系サブカルチャーに興味を持つ人間にとっての一つのガイドラインとなれば良いと思っている。そのため「俺だけが知っている鬼畜系の真実」といった内容ではないし、当事者の思い出語りでもない。鬼畜系に対する現在地からの否定や糾弾の視点もない。鬼畜系に対する「反省/無反省」を示す前に、そもそもどういうものであったのか、その実態を当事者の証言を交えながら解明する試みである。村崎百郎に関しては夫人であった森園みるくさんにより、プライベートな日記類までも含めて編まれた「村崎百郎全集」というべき電子書籍シリーズが存在するが、青山正明に関しては各種エロ本に変名を含めて書き散らかした原稿が散逸している状態であり目録作成などの基礎作業も行われていない。内容に関する価値判断はその後に行われるべきだろう。イベントでは触れていないが青山は澁澤龍彦の信奉者であったと聞く。海外の異端文学や文化の紹介など、青山と澁澤には共通する要素があり、影響の考察や文体の比較など多くの素材がある。今回作られた同人誌『鬼畜系サブカルの形成過程における制作者の役割に関する実証的研究』も鬼畜系の基礎研究の段階に属するものであり端緒にすぎない。イベントでも発言し同人誌にも収録されているが私も虫塚も鬼畜系は本質は「ジャンク(ゴミ)」であると考えている。ゴミであるからこそ愛おしきものであり、誰かが体系化すべきテーマでもあろう。
・もう一つ虫塚が編集した同人誌『川本耕次に花束を』(B5/本文64頁/1000円/会場頒価)にも寄稿した。こちらは今年1月に訃報が伝えられた編集者、川本耕次さんの追悼本である。川本さんとともに仕事をした当事者たちの貴重な証言が多く収録されているようだ。私は「エロ本編集者と文化史、追悼・川本耕次さん」と題した3000字ほどのテキストを書いた。氏の著作『ポルノ雑誌の昭和史』(ちくま新書)をあらためて読み、私自身の編集者経験を織り交ぜながら、エロ本文化やアーカイブの現状に関する雑感を記した。
・同人誌の発行と重なったが、集英社のウェブサイト「imidas」には「今こそ90年代〝鬼畜系〟サブカルチャーを再考する意義がある:村崎百郎とインターネットの切断線を中心に」を寄稿した。こちらは「90年代サブカルチャーと倫理:村崎百郎論」に補助線を引く内容である。村崎が活躍した90年代末はインターネット草創期にあたる。初期のインターネットとサブカルチャーの親和性は非常に高い。村崎の唯一の単著『鬼畜のすすめ』の版元であるデータハウスもハッキングなどに関する本を多く発行していた。ところが村崎はネットを嫌い明確な切断を志向した。ネット絶ちというフレーズがあるように、ネットの影響力、重力圏から離れるには自ら切断を行うしかない。現在はスマホを放棄、破壊でもしない限りネットの影響力からは逃れ得ない。ネットの常時接続が達成される直前、限られた人が接続していたネットはカオスな空間だった。遅れてきた出版バブルに涌くサブカルチャー業界と、ネットが一時的に幸福な同居を果たしていた。この交雑にあらためて注目すべきであると提言した。当初は青山正明とセットで書いていたが、論点を整理するため村崎に絞る形となった。だが、鬼畜系サブカルチャーや村崎百郎の魅力の本質は、支離滅裂なバラバラな断片の集積にこそある。そこにどのようなアプローチ(当然ながら正攻法は通用しない)で迫れるかが今後の課題となる。
・これは断片のひとつだろう。『別冊危ない1号:鬼畜ナイト』(データハウス)の巻末には出演者一同のサインがあり、そこにMという名を見つけた。この本は何度か読み返していたが、昨年のDOMMUNEの村崎特集のリサーチを行うまでまったく気づかなかった。彼は『Quick Japan』(太田出版)に「ニセ取材者D君」として取り上げられた人物である。D君は演劇人やミュージシャンなどサブカルチャー寄りの人物に、フリーペーパーの取材を装って次々と接触し悪評を振りまいていた。記事では最後は本人に面会し噂の内容の検証が行われている。本人の了承を経てMの本名も記されている。この記事のライターである末藤浩一郎は初期の『QJ』で濃厚なルポルタージュを数多く書いていた。もう一つ『鬼畜ナイト』では、イベントを収録した8ミリビデオから取られたと思しき画像が何点か掲載されているが、この素材の行方も探している。ロフト側に素材は残っていないようだし、データハウス/東京公司側もスタッフは離散している。複製された素材を手にした関係者もいそうなものだ。もう一つ、これは本来は許されないことだが会場で密かに録音していたマニアはいなかったのかと想像する。
・はからずも鬼畜系に関わる仕事が集まる夏となった。思い起こせば、昨年8月、DOMMUNE村崎百郎特集の直前、ロクな準備もリサーチもしないまま、他者への最低限の配慮や想像力を決定的に欠いた恐怖新聞さながらのとんでもない無茶ぶりが記された自称進行台本をぶん投げてきた人物に私が激怒したところから新しい道筋が生まれたように思う。それゆえに今回もロフトのイベントならびに同人誌もDOMMUNE村崎特集の続編では決してない。ある部分は接続されたが、決定的に拒絶されたものもある。誤解を受けないよう記しておくが私が正しいと主張するつもりは毛頭ない。そもそも鬼畜系が異端なのだから、正統を争う不毛さはある。ついでに言えば私が怒ったのは「自称進行台本」のみではない。最初の顔合わせ時点で、その人物が発する言葉に強い違和感を感じたことは記しておく。そういえば元東京公司、データハウス編集者の経歴を持つアカウントが登場したのもそのころではなかったか。90年代鬼畜系サブカルチャーの総括の歴史は、すべてがバラバラかつ同時多発的に始まり、それゆえに明確な終着点へもたどりつかず、数多の誤配と迂回を繰り返してゆく。今回、雑誌文化の世界で展開された鬼畜系の歴史の一端が、2023年の地平に紙の同人誌としてまとめられたのは一つの葬送行為でもあるだろう。

(0830追記)こちらのエントリがほかの記事に比して読まれている。同人誌がそれほど話題を集めているとは思えないので、やはり最後に記したある人物とのトラブルがゴシップ的な注目を集めているのかもしれない。この人物に関してはイベント後に虫塚と行った反省会スペースで1時間5分すぎより約30分に渡り批判しているので詳細はそちらを参照してもらいたい。この人物に関してはいくら批判しても字数が足りない。さらにその人物を知る人が「トラブルを起こすような人ではない」と疑問を抱いているとも仄聞した。その印象がまさにその人物の人間性を的確に示すものである。その人物は自分の利害関係者や権威ある人間には「礼儀正しい僕」としてふるまい(それゆえに、ある人にとって「いい人」「誠実な人」に映るだろう)、それ以外に対しては雑な対応を行う。そうした態度の使い分けこそ私がもっとも軽蔑するものだ。


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