2023年総括/プノンペンより

 カンボジアのプノンペンにいる。ベトナムのホーチミンから陸路で移動してきたのだが、窓がなく風通しもない冷房オンリーのサイゴンの独房安宿で風邪を引き、さらに安いからとタバコを吸ったことで喉を痛め、熱は下がったものの喘息状態になった。ベトナムでは処方箋なしで喘息の吸引薬が買えると知り、48万8千ドン(とてつもない金額に思えるが日本円だと3000円ほどだ)の薬を、朝と夜に吸い続けたら、なんとか回復してきた。再び片方の扁桃腺が腫れだしたが、ベトナムで買い込んだ薬用喉飴のストレプシスで対処できそうだ。
 ベトナムとカンボジア国境の街バベットで、MacBookの充電器であるMagSafe (マグセーフ)の調子が悪くなった。カンボジアの不安定な電力事情のせいかと思ったが、そこまで悪いものでもない。国境の町にはベトナム人と中国人の富裕層に向けたカジノホテルが立ち並び、スマホショップはあちこちにあるがパソコンは扱っていない。このころは5回に1回くらいはMagSafeは反応していたが、昨日の時点でうんともすんとも言わなくなった。プノンペンは一国の首都ではありながらコンピューターショップは夜の18時に閉まり、街自体も20時をすぎると真っ暗になってしまう。今日の朝一番に店へ行き、MagSafeの中国製互換品を50ドルで買う。日本ならば20ドルで買えるが、仕方あるまい。
 12月に入るまで気が付かなかったのだが、今年は本厄だった。男の本厄は42歳だが、これは満年齢でカウントする。私は早生まれなので今年は前厄だと思っていたが、知らぬ間に本厄をやり過ごしていた。襲いかかった不幸は今回の旅先でMagSafeが壊れたのと、先日、岡山県で水路に落ちたぐらいで、これぐらいで済んだのは良かったのだろう。
 2023年はやはり鬼畜系に絡め取られたように思う。年末年始、コロナ後初となる3年ぶりの海外旅行(タイ)より帰国し、2月には新宿ロフトプラスワンで1日店長を務め「90年代サブカルチャー大総括:鬼畜系とは何だったのか」の企画と司会進行を行った。平日夜の開催であるにも関わらず、100名以上が参加する盛況な会となった。
 その場に1人、招かれざる客がおり、私はその人間に激怒した(私は決して人に対してブチ切れるような人ではないのに、同じ人間に約半年間で2度激怒している)。関係者でも招待者でもないその人間は、あろうころか楽屋に上がり込み、イベント内容も聞かず、出演者と酒を飲んで騒ぎ続けた。前提を確認するがほかの参加者は酒を飲んで騒ぐ権利はある。その人間は資格がないにも関わらず「友人だから」「知り合いだから」と身内の論理を振りかざし、それが許されると思っているところが、救いようがないのだ。抗議メールを送ると、平謝りのそっけない返信に不誠実なものを感じ、DOMMUNE出演料と1ページも読んでいない献本を送り返した。そもそも出演料もトラブル発生時に受取拒否を明言したのに無理やり渡してきた。以降、その人間は私の知る限り鬼畜系の「キの字」も、青山正明の「アの字」も、村崎百郎の「ムの字」も口に出さなくなった。これは良き傾向である。以降も沈黙を続けるが良い。
 初対面時から違和感はあった。この人間は「村崎百郎論」を本にすべきと言ってきた。テキストの権利は私ではなくあくまでも集英社とすばる編集部にあるのだと言っても、自分のものにして、書き足して文学フリマで売ったらいいと言う。なぜ、そのようなことをしなければならないのだ。「90年代サブカルチャーと倫理:村崎百郎論」は全国流通の商業誌/文芸誌において、文芸評論として問われたことに意義がある。書き直しを求めれば違う論になると選考委員たちが述べていたように、これが論の本質だ。その人間は「すばるクリティーク」で、私の村崎論が最終選考で、どういった内容の作品と競ったのかも、過去の同賞の受賞作や傾向も把握していなかった(その人間はあろうことかWikipediaの項目すらチェックしていない)。その人間にとって村崎論は、有名出版社の文芸誌で評論賞を取ったぐらいの認識であり、結局のところ愚かな権威主義者でしかないのだろう。
 8月には虫塚虫蔵の構成と編集によりイベントの議事録を中心とする同人誌『鬼畜系サブカルの形成過程における制作者の役割に関する実証的研究』が発行され、現在までに三版を重ねている。トータルの部数ならば商業出版の下限、学術書くらいの数は出ている。模索舎やタコシェ、名古屋のビブリオマニア(Bibliomania)などで取扱をいただいているが、通信販売を中心に売れているのは地方在住者の需要があるようにも思える。主に出版の世界で展開された90年代鬼畜系サブカルチャーは、地方の書店を通してフラットに届く東京の、中央の文化であった。近く出版、雑誌文化は、決定的なカタストロフを迎えるだろうが、その最後のタイミングにこの同人誌が出現したのは必然でもあるだろう。
 鬼畜系のあれやこれやを扱っていると、意外な繋がりも生まれる。かつてあるノンフィクション作家が戦争を取り上げると、それを読んだ戦争を経験した年配の読者から連絡をもらい、その証言を元に次の作品を書き上げた話を思い起こさせる。あるいは藤原新也『黄泉の犬』(文春文庫)の逸話もある(この話は森達也も『A3』(集英社文庫)で取り上げている)。本書が手元にないので、記憶のみで書くが、オウム真理教の教祖だった麻原彰晃は目が見えなかった。麻原の故郷である熊本を訪れ八代海を眺めていた藤原は、麻原の目の障害と水俣病の関係を思い立つ。その仮説が頭にまとわりついて離れなくなった時、ある街で藤原が講演会をした。後の懇親会の場に、麻原の兄(一家の長兄)に通じた人物がタイミングよく現れる。その人物の手引きで麻原の兄に面会し、水俣病の話を振る。麻原の兄はドスを抜き「この話はワシの目が黒いうちは誰にも言うな」(座頭市か!)と釘を刺した。執筆時点で麻原の兄は没しているので書けたという。
 藤原の前に、麻原の兄に通じた人物が現れたように、私のもとにも鬼畜系に通じた人物からアプローチがあった。鬼畜系の磁場というべきものは存在するのだろう。
 12月には伊豆のまぼろし博覧会を個人的に訪れデータハウスの鵜野義継社長(セーラちゃん)ともお話させていただいた(取材ではない)。まぼろしを訪れたのは、2022年の正月に村崎論の受賞報告に訪れて以来なので2年ぶりだ。新たな要素として廃業した広島のストリップ劇場の看板やステージが追加されていた。ボタンを押すと劇場のナレーションも流れる凝った作りだった。失われ行くジャンクかつエフェメラルな文化の味わいがあった。
 私は知り得た情報はすべて書くわけではないし、中には墓場まで持ってゆくべき話もあると切実に感じている。適切な判断能力を伴いながら、90年代鬼畜系サブカルチャーに今しばらく向き合ってゆきたい。

2023年12月31日
カンボジア・プノンペン
タイ資本のカフェアマゾンにて
 

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