ロフトプラスワンイベントを終えて/鬼畜系とひょっこりひょうたん島


・2月16日に新宿歌舞伎町ロフトプラスワンで「90年代サブカルチャー大総括:鬼畜系とは何だったのか」が開催された。私は、企画と司会を担当し1日店長となった。
別エントリでも記したが、企画の成立経緯はDOMMUNEの村崎百郎特集の人選として私が平野悠さんを挙げるも実現しなかった。個人的に話を訊きたいと平野さんにコンタクトを取ったところ、ロフトプラスワンでの開催を提案され実現の運びとなった。
・ロフトプラスワンの満席は150人。せめて半分程度は集めないと格好がつかないだろう。インディーズのバンドや演劇であっても、身近な人に頭を下げてチケットを買ってもらい、やっと人が集まっているのだから、果たして平日の夜に一定の人数が集まるのだろうかと不安はあった。実際、事前に伝えられていた前売りチケットの売上枚数は芳しくなかった。本来ならば会場でサプライズ発表を考えていたゲストである森園みるくさんや釣崎清隆さんに連絡し、自身の参加を含めての告知をお願いした。虫塚虫蔵さんからも繋がりのある永山薫さんや、稀見理都さん、ロマン優光さんにも声をかけてもらった。さらに虫塚と事前の告知スペースも行った。アーカイブは現在も聞けるが、どこか焦燥感や危機感にあふれている。
・この手のイベントはしつこいほど告知してやっと人が集まるし伝わる。実際、事後的に「こんなイベントがあるなんて知らなかった。行きたかった」という声もネットで目にした。知り合いの話で、大学の映像サークルで自主製作映画を作り、学園祭で上映会を行ったが、全員おとなしい奴なので呼び込みをせず、3日間で観客動員数が0人だった話も思い出された。告知はしつこいほどしなければ効果がない。
・当日、前売り券の枚数は100枚を越え、出演者や関係者も含めればほぼ満席となった。一人、招かれざる客がいたが(その人物名は反省会スペースで明かし批判しているので気になる方は参照されたい)残るすべてのみなさまには感謝を捧げたい。
・イベント内容に関してはネット上にオフレポなどが挙がっている。配信は行わなかったので、すべては公開できないので以下は断片的な記述となる。
・第1部は、平野さんのほか、『BURST』(コアマガジン)元編集長だったピスケン/曽根賢さんと、石丸元章さんを交えての80年代から90年代にかけての出版業界のバブリーかつクレイジーな裏話が中心となった。途中に『危ない1号』(データハウス)と同時期に刊行されていたムックシリーズ『世紀末倶楽部』(コアマガジン)の話も盛り込んだ。この話は事前の告知スペースである方から『世紀末倶楽部』に触れるべきではと助言を頂いて盛り込んだ。『世紀末倶楽部』を手がけた土屋静光(せいこう)さんは、業界内での知名度に比して一般的には名前が知られていない。ツイッターで検索しても10件ほどしか出てこない。ピスケンさんからは『BURST』の企画は土屋さんが評価し引き上げてくれた話や、会場の釣崎さんからも「土屋さんはインテリ」などの証言が得られた。編集者・土屋静光に関しては90年代サブカルチャー出版史の観点からさらなる探求が求められると思う。ロフトスタッフの大坪ケムタさんが鬼畜系のミッシングリンクとして『GON!』(ミリオン出版)を挙げておられるが、創刊編集長である比嘉健二さんもDOMMUNEの出演候補者には挙がっていた。会場で出た「村崎百郎はどこまでゴミを漁っていたのか」「なぜゴミ漁り記事を掲載したのか」といった疑問に答えられるのは比嘉さんくらいしかいないだろう。
・第1部の途中からは生前の青山正明、村崎百郎の両者と親交のあった著述家の黒野忍さんに入ってもらった。黒野さんがこの手のイベントに出演するのは初めての機会ではないかと思う。コンタクトを取るまで黒野さんと面識はなかったが、突然の申し出に誠実なご対応をいただいた。黒野さんの証言に関して、青山正明の海外渡航歴や、非合法ドラッグの使用時期には反証がある。イベントでは黒野さんが「青山が一度も海外へ行っておらずパスポートも持っていなかった」と語り、非合法ドラッグの摂取時期について語られた。前者の海外渡航歴に関してはしては青山の元同僚の方から証言を得て誤りが確定した。後者の非合法については使用時期に関する反証証言がある方から寄せられた。青山がいつまで非合法をやっていたかは「悪魔の証明」レベルの話になってしまう。酒をやめたという人が、付き合いでコップ1杯のビールを飲んだり、タバコをやめた人がもらいタバコをするくらいのことはあるのではないかとも思う。黒野さんの証言は一つの視点である点をふまえつつ紹介すべきだったかもしれない。それでも黒野さんは青山正明や村崎百郎を複眼的な視点から捉える上で必要な人であろうと思う。海外渡航歴に関しても、黒野さんと知り合って以降の青山が海外へ興味を失っていた可能性は十分考えられる。反省会スペースでも話しているが青山が海外(主にタイ)でドラッグや、少女買春を頻繁に行っていた逸話は「盛っている」のではないかと思う。
・(0226追記)海外渡航歴と言えば、森園さんへの質問を通し、村崎はパスポートも盛っておらず一度も海外へ行っていない証言が得られた。上記の『世紀末倶楽部』は「フリンジカルチャー」(宇田川岳夫)の強い影響を受けている一方で『危ない1号』はその重力圏から離れている。インターナショナルとドメスティックの観点からの比較や検証も必要だろう。
・今回イベントを通して強く知覚したのは90年代の鬼畜系サブカルチャーは単なる「懐かしネタ」ではなく「未了の問題圏」である点である。青山の自死、村崎の刺殺、吉永嘉明は消息不明であり、当事者たちは60代となった。オーラルヒストリーを網羅的に把握できる最後の契機ともなろう。黒野さんは、もうひとりの重要人物と、青山正明と村崎百郎に関する評伝本の出版企画を用意しているそうなので、その仕事には期待したい。
・この青山村崎の評伝本に関し、反省会スペースでは電子書籍でも良いのではないかとの指摘もあったが、私は部数が少なく価格が高くなっても紙の本で商業出版がなされるべきだと考えている。最終的に誰でもアクセス可能な公共図書館に所蔵され半永久的に保存される部分に最大の価値を見出している。会場のマイクタイムで永山薫さんが「青山はエロ本に5つくらいのペンネームを使い分けて書いていた」といった証言をされていたが、青山の変名を網羅的に把握したコラム集成本などができれば、出版史としても貴重な記録になるだろう。
・第2部は、黒野さんのほか虫塚虫蔵さん、YouTuberの好事家ジュネさんを交えて、より青山と村崎の人物像に迫っていく話となった。ジュネさんには事前に青山の著作『危ないクスリ』(データハウス)の紹介動画も作成いただいた。第2部の内容もセンシティブな話が多く含まれるので、多くは記せない。質疑のコーナーで「鬼畜系と迷惑系YouTuber」の違いの議論におよんだのは、生トークの醍醐味であるように思われた。「鬼畜系は教養がベースにあり、迷惑系は無教養」といった二項対立の話となってしまい、当事者からの反論や不満もネットには書き込まれた。反省会スペースではジュネさんも交えてその部分も補足されているので参照されたい。
・20代である虫塚さん、ジュネさんの知識量の豊富さに感嘆する声も聞かれたが、それを可能にしたのは90年代の鬼畜系サブカルチャーが出版の世界で展開され、現在でも雑誌のバックナンバーや書籍資料が多く残されている点が大きい。会場でも話したが、2000年代はじめのインターネットの情報はほとんど散逸している。無料でインターネット上にホームページを持て、大学生を中心とするテキストサイトブームを支えたジオシティーズが2019年に完全に閉鎖された影響も多大だ(有志によるアーカイブ作業も行われている)。紙の本は半永久的に残るからこそ、鬼畜系が隔世遺伝のように2020年代の地平に出現する契機となったのだと思う。会場には竹熊健太郎と但馬オサムによるエロ本文化に関する連載「天国桟敷の人々」が掲載された『Quick Japan』(太田出版)を手にした18歳の大学1年生もいた。紙の本が残っていなければこうした契機は生じ得ないだろう。竹熊・但馬連載は単行本化がなされていないので、増補改訂のち出版されても良いとも思う。
・イベントはトータル4時間近くにおよび、それでも会場で出せなかった話はある。その一つが鬼畜系とひょっこりひょうたん島を重ねる仮説だ。青山正明と村崎百郎は絶海の孤島のようなもので、漂流(逸脱)した人だけがたどり着けるガラパゴス、ユートピア/ディストピアのようなものである。最初は単なる与太話として考えていたのだが、同作の設定を知るとそうでもないようにも思えてくる。Wikipediaレベルの話だが、ひょうたん島は火山噴火で全員が死亡した死後の世界なのだという。さらに作品では孤島で生じうる現実的な問題としての食糧危機も取り上げられていない。その姿は、鬼畜系サブカルチャーの実態が、社会と経済の余裕を背景とした「貴族趣味」(データハウス鵜野義嗣社長)であり、インテリたちの「痴的遊戯」(赤田祐一)であった指摘に重なる。さらにひょっこりひょうたん島は1992年にNHKのBS-2で復活している。その際、録画テープや脚本はほとんど散逸していたが、セリフや設定をノートに書き留めていたマニア(評論家の伊藤悟)の資料が大いに役立ったという。90年代鬼畜系サブカルチャーもそのように保全、継承されていく形がベストではないだろうか。
・楽屋裏では、好事家ジュネさんと村崎夫人の森園みるくさんの初対面が実現した。昨年のDOMMUNEの村崎百郎特集に際して、森園さんと最初の打ち合わせの場で、私がジュネさんの名前を挙げた。森園さんは「この子、絶対頭良さそう。会いたい〜」と言っておられた。ジュネさんはDOMMUNEではオンラインの出演となり、その後何とかすれ違っていたようだが、晴れての対面となった。今後新しい展開もありそうだ。オンラインなどの新しい様式の価値、意義は認めつつも、ロフトプラスワンに限らず、人と人を繋ぐ場は重要だと気付かされる。
・最後にロフトプラスワンとの個人的な思い出も記しておく。ロフトプラスワンは学生時代から足繁く通い、というほどではないが何度か訪れている。最初に行ったのは宮台真司と足立正生が出演し、足立らが監督した永山則夫の足跡を追ったドキュメンタリー映画「略称:連続射殺魔」の上映会だった。当時、私は首都圏郊外に住んでいたのだが、前日は都内の飲み会に出て、そのまま高田馬場の友人宅に泊まった。翌日、歩いて新宿に出て書店やタワレコードなどをめぐり、ロフトプラスワンの前を通りかかった時、イベント内容に惹かれふらりと入った。その数カ月後だったと思うが、あるデモの帰り、交流飲み会の流れについていくと、いつの間にか平野さん率いるロフト一行と合流していた。平野さんに話しかけ「宮台さんと足立監督のイベントに初めて行った」と伝えると「いいのに来たね」と喜んでいた。このデモは個人情報保護法に反対するもので『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)でルポライターの吉岡忍さんが呼びかけていた。吉岡さんが「表現規制に関心がある人は是非」というので訪れたのだ。個人情報保護法は個人のプライバシー保護を重要な目的に掲げていた。これだけならば聞こえは良いが、本来は個人の著述や学術研究の目的にまで適用されようとしていた。そうした場合、ライターの取材目的での個人情報利用にも制限がかかる。平野さんたちはこの法律のヤバさに気づき、吉岡さんとイベントやデモなど反対運動を展開し、デモもその一つだった。法律は施行されたが、個人情報保護はマスコミ企業などの団体は含むが、個人レベルでは適用除外となった。これは強い反対運動の効果もあるだろう。今の私の仕事や活動にも直結している。ロフトプラスワンは「表現の自由」を体現する貴重な場であると改めて感じた。その場で1日店長を務められたのは貴重な経験であったと思う。

・イベント事前告知スペースhttps://twitter.com/pareorogas/status/1624632873071558657
・イベント後の反省会スペース
https://twitter.com/pareorogas/status/1627277490136969216
・「好事家ジュネの館」日本初のドラッグ事典!? 悪用厳禁な『危ない薬』の衝撃的な内容とは…【青山正明と鬼畜ブーム】
https://www.youtube.com/watch?v=oLoE4JzEFME



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