北九州日記/青山真治クロニクルズ展来訪記

2023年12月に北九州で行われた青山真治クロニクルズ展ならびに追悼特集上映へ行ってきた。こちらも、すぐに書けず時間が開いてしまった。

・12月6日
 午後、成田空港へ向かい第三ターミナルから福岡行のジェットスター航空へ乗る。車内はガラガラだ。通路側の席を取っていたが、空いている窓際へ移動する。離陸後、漆黒の闇に光が浮かぶ一帯があり、あれは何かと考えていたら新島と神津島だと合点する。500円のミールクーポンが付いていたのでチップスターとコーラを食す。1時間半ほどで、飛行機は海側から福岡市内へアプローチし到着する。地下鉄はすごい人だ。
 天神のキャビンタイプのホテルへチェックインする。福岡は韓国人観光客のほか、国内各地から観光客がやってくるためか、宿代がとんでもなく高騰している。夜、外へ出ようとすると豪雨。雨が止むのを待って中洲の繁華街を抜けて、290円のとんこつラーメンを出すはかたやへ。替え玉2つ。赤ワインを頼むと、ビール用の使い捨て巨大カップに2フィンガーくらいの量が注がれてきた。次いでローカルのうどん屋で飲もうと思ったが、瓶ビール中瓶が750円と強気の価格設定だったので、隣のすき家で480円の中瓶を2本飲む。

・12月7日
 今回泊まったキャビン宿は、連泊の場合も一旦チェックアウトが必要な不便な仕様だ。昨日行きそびれたうどん屋で朝食を済ませ、福岡アジア美術館の展示を眺め、近くの中洲大洋映画劇場で、荒井晴彦監督の『花腐し』を鑑賞する。松浦寿輝の原作小説を荒井がアレンジしたもので、売れないピンク映画女優と監督のしみったれた青春話が展開される。荒井自身がモデルであろうゴールデン街のラスボスみたいな文化人も出てくる。私自身も当事者である90年代の終わりから2000年代はじめのモラトリアム大学生/フリーター文化圏の空気に懐かしさを覚える。この日、福岡では『花腐し』は最終上映日だ。劇場は来年3月で営業終了と、老朽化による建物の取り壊しを控えている。発券時にスタンプカードを作ってもらったが「3月まで」と伝えられていた。
 キャナルシティへ移動し、時間限定稼働のナム・ジュン・パイクの映像展示を途中から眺める。サンマルクカフェへ入り原稿作業に取りかかっていると、90年代鬼畜系サブカルチャーに関わる意外な人からのメールを受け取る。深夜営業の天神のマクドナルドへ移動して時間をかけて返信を書く。東京の24時間営業のマクドナルドは、深夜1時か2時になるど清掃名目で追い出されるのだが、天神の店はずっといられる様子だった。2時半くらいにデフォルト状態となる。本当に24時間いられるマクドナルドは東京都内からほぼ絶滅してしまったが、かつて社会問題として取り上げられていた100円のコーヒー1杯で夜を明かす「マック難民」はどこへ行ったのだろうと思いをめぐらせる。頭を冷やすためセブンイレブンで酒を買って宿に戻りロビーで飲む。

・12月8日
 数時間眠ったのちチェックアウト。金券ショップを探して天神地下街をうろつくが、検索で出てくた店が閉店しているなど、不運が襲う。商店街モールの雑居ビルの上階に小さな食堂がありランチを食す。醤油は甘みのある九州様式であり、さらに高菜と紅生姜もフリーだった。ラーメンに入れるだけではなく、定食の付け合せとしても食されている。
 地下鉄で博多駅へ出る。小倉までは在来線が1310円だが、金券ショップで出回っている特急回数券は1450円とわずかな違いしかないので、特急移動を選ぶ。しかし、数分前に出てしまい次の便は40分後なので駅前で時間を持て余す。さらにやって来た特急車両は旧型で車内でコンセント充電ができなかった。
 小倉へ到着し、青山真治の追悼特集上映の会場へ徒歩で向かう。エスカレーターに乗っていたところ、iPhoneを落とし、ハードはひび割れが生じる。不運の連鎖を呪う。上映まで時間があったので、修理店を探して向かう。対応してくれたのはオタク風おじさんで、私は2014年以来、8年ほどiPhoneSEを使い続けており「SEは今年2人目」と驚かれる。正面のほかバックガラスもかねてから割れていたが、修理パーツが1つだけ残っていたので両方修理してもらう。iPhoneは落とすとフレームがゆがむので、パーツがそのままはまらないので、微妙に削るなど加工が必要となるようだ。
 機種を預け追悼特集上映へ。『チンピラ』血気盛んな若者の荒くれ者を大沢たかお、ベテランの情けないチンピラをダンカンが演じるバディムービー。北野武『ソナチネ』オマージュのようなシーンも出てくる。会場は小さく、35ミリフィルムの映写機の音が響くが、その分ノスタルジーを喚起する。上映の合間にテスト上映用のサウンドやピントをチェックするフィルムも流されており、これを目にするのも貴重な機会だった。
 上映後のトークショーは「青山真治監督の起源は陸上部だった!?:北九州市立緑丘中学校陸上部卒業生トーク」で青山の後輩にあたる金哲彦さんと西田孝広さんのトーク。青山は中学時代は陸上部に所属していた。青山の父が教員であり、陸上部の顧問の先生と懇意だったようだ。陸上部の顧問は生徒指導担当の怖い先生であり、不良生徒を陸上部に入れ根性を叩き直すヤンキー漫画チックな世界があったが、青山の時代はゆるさがあったという。
 続いて『高塔山ジャム2011』北九州で行われたフェスイベントでのシーナ&ロケッツの演奏をそのまま収録したものの。編集が加えられる前の素材のまま上映される。シーナさんはこの4年後に亡くなってしまうし、鮎川誠さんも今年亡くなってしまった。監督である青山自身もこの世の人ではない。映像を通じた死者との対話、対面を果たす。
 上映終わりで小倉駅方面でラーメンを食す。駅周辺を歩いていると、パチンコ屋、成人映画館(エロと薔薇族)、ストリップ、飲み屋が連なるディープゾーンに突入する。終電近くで今夜の宿を取った八幡駅へ移動する。小倉の宿もめぼしいものがなく、八幡へとなった。
 小倉同様にディープな町並みがあるのかと思っていたが、ただ駅前にマンションが立ち並ぶ寂しい駅だ。八幡には少し期待していた。私は千葉県の君津市出身であり、新日鐵の大きな工場がある。君津に工場ができるにあたり、北九州から従業員と家族が数万人単位でやって来た。さらに北海道の室蘭からも大きな人の動きがある。以前、綾小路翔のインタビューを読んでいたらおじいさんが岩手県の釜石にいる話が紹介されていた。釜石にも工場があるのでルーツはそちらなのだろう。九州や北海道、その他全国各地から数万人単位の人の移動があり、形成された街は全国的にも珍しいのではないか。君津には今や現地でも消滅してしまったトラディショナルな九州ラーメンを出す店もある。八幡の飲み屋に入れば君津と縁のある話もできるかと勝手な想像をめぐらせていたのだが、そんなことはなかった。宿は、駅の反対側にある。近くに24時間営業のスーパーがあった。

・12月9日
 朝起きて、八幡駅の先にあるスペースワールド駅から料金が一段階安くなるので歩く。現在、テーマパークは閉園してしまったが駅名だけ残っている。周囲は寂れた工場街といった風体だ。
 西小倉駅から会場へ向かい『Cinema de Notre temps, Japan Scope』フランスのテレビ局が、日本で注目の映画監督たちを取り上げたドキュメンタリーと『赤ずきん(Le Petit Chaperon Rouge)』の2本立て。
 その後のトークショーは堀口徹さんの「映画監督・青山真治の地理学:”失われた北九州への旅”」青山映画のロケ地をGoogle Mapや古地図を駆使し探求してゆく執念に恐れ入る。青山は映画に対応した小説を著している。映画より小説の方が細かい描写があり、両者を対比させ時系列を繋いでゆく。『EUREKA/ユリイカ』のラスト近く、秋彦(斉藤陽一郎)が沢井(役所広司)に殴られバスを無理やり降ろされる。翌日、秋彦は憤然たる思いを抱えたまま『Helpless』で健次(浅野忠信)が夫婦を撲殺した廃墟となったドライブインを再訪する。この場面は『サッド・ヴァケイション』の冒頭シーンに出てくるなど細かい読み解きが続き、あっという間に時間切れに。
 会場を移動して青山真治クロニクルズ展を観る。展示点数やスペースは小さいが、凝縮された内容。ランダムに青山のギター音が響く。青山の蔵書が販売されていた。神保町の「猫の本棚」でも何冊か買っていたが、加えて谷崎潤一郎の文庫本を得る。
 施設内のフードコート、駅前のマクドナルドで作業を続け、最後に資さんうんどへ。24時間営業のローカルチェーン店だ。ごぼ天細うどんとぼたもちを食す。終電でスペースワールド駅から歩いていると製鉄所のプレス音が響いてくる。ナチュラルな『イレイザーヘッド』の世界だ。

・12月10日
 朝起きて宿をチェックアウト。八幡駅前へ出ると昭和45年に作られたレトロな雑居ビルがあった。青春18きっぷを買い西小倉から会場へ。『海流から遠く離れて』『軒下のならず者みたいに』を鑑賞する。どちらも一度見ている作品だ。
 「海流〜」は横浜国立大学のPR映画、「軒下の〜」は「Helpless」から「ユリイカ」に至る間の秋彦の話だ。事件に遭遇した秋彦は東京の大学へ進学する。卒業後は無為な日々を過ごし、やがて事件を小説にし文学賞を得る。その後は書く意欲が失せ、再び酒浸りの日々に舞い戻る。小説版では、事件の行方を追うジャーナリストが秋彦の前に現れるのだが、映画では秋彦の日々に焦点が当てられる。アパートの隣人は一日中、法華経を唱えている。モデルは中上健次の初期作品「黄金比の朝」に出てくる松根善次郎だろう。
 「軒下の〜」は今回の上映作品を決めるにあたり、北九州のスタッフの間では次点評価で漏れていた。しかし東京の青山組のスタッフたちは、この作品に思い入れが強く上映作品に盛り込まれた。めったに上映機会がないのは、作品の上映権を韓国の映画祭が保有している事情もあるだ。
 秋彦は出版社に勤務する恵という恋人がいる。彼女から下訳の仕事を振られ時折ワープロに向き合うほかは、家でだらつくか、自転車でふらりと外出するくらいしかない。ふいに知り合ったストリートミュージシャンと話し、一緒になにかやりましょうと誘われる。この何かをしようとするが何にもならない感じ、底に響く無力感が何とも言えない。秋彦は携帯電話も持っていなければネット環境もない。 
   「Helpless」の設定は昭和が終わった直後、1989年なので、この年、秋彦が18歳ならば「軒下の〜」の時系列は1995年から96年あたりになる。この時期の繋がりのない若者の姿は貴重な記録ではないか。「軒下の〜」の小説版は秋彦が夜の闇の中で到来する何かを待つ場面で終わる。対して映画版は、とうに朝を迎え、幹線道路に出て何かを待つ秋彦が描かれる。この微細な設定の違いも気にかかる。
 上映終わりでクロニクルズ展で、青山作品で美術監督を務めた清水剛さんのギャラリートークがあるので移動する。監督が出す「こういうものが作れないか」と出すアバウトなイメージに、美術監督が答えていく。さらに俳優/女優がその空間やセットに見事にハマってゆく、どこかでわずかでも軌道がずれたらうまくいかない、関係性の機微に触れる。
 再び上映会場へ戻り映画プロデューサーの仙頭武則さんのトーク。「映画作家:青山真治、その誕生から最期の日までを語り尽くす」仙頭さんのトークはサービス精神全開で、今の日本映画(業界)がいかに劣悪なものであるかをぶった斬ってゆく。「オリンピックの映画を撮っているらしい」元奥さんの話題もユーモアを交えながら触れる。
 青山と仙頭さんの出会いは、青山がカルチャー雑誌のライターとして仙頭さんを取材した。以降、気が合い毎日のように一緒に過ごしていた。仙頭さんの周辺ではいくつかの映画企画が同時進行していたが、ある一人の監督の企画が立ち消えになる。その監督は、自分の周囲に広まる情報をコントロールすることで、自分に優位な立場をキープしようと狡猾な振る舞いをしていた。そのやり方を仙頭さんは是としなかった。
 浮いた企画に付いていた3000万円の予算に青山が乗った。「Helpless」の初稿では夜のシーンがあったが、低予算のため、すべて昼の場面に書き換えられたといった逸話を聞く。青山の最後の話に至ると、仙頭さんが男泣きを見せる。青山の病状は、気休めではなく、本当に一度は、快方へ向かっていたようだ。ここからの話は九州まで来たからこそ聞けたもののように思う。東京の映画界はすでに青山真治という映画監督がいたことを忘れていると仙頭さんは嘆いていたが、まさにだろう。
 トークショーを終え、18きっぷで下関、広島方面へと向かう。

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