「よみがえれ!見沢知廉」の補足1

・YouTubeの「論壇チャンネルことのは」に出演した。「よみがえれ!見沢知廉」と題した前後編の動画に出演している。前編は期限なしで無料公開、後編は1週間限定公開ののち有料のメンバーシップ公開となる予定だ。8月30日より前編動画が公開されている。

・『すばる』(集英社)2023年2月号に掲載された「蒼空と革命:見沢知廉」を読んだ「論壇チャンネルことのは」編集長の今西宏之さんより依頼をいただいた。
・収録はオンラインで1時間強ほど話したが、時間はあっという間に過ぎてしまった。事前に簡単なメモを用意していたが、話の流れと時間の制約もあるため、取り上げられなかった部分も多い。動画を通して眺め、気付いた点に関し以下、補足を記す(敬称略)。後編の公開とともに新たな部分も記したい。

【右翼/左翼】【新右翼/新左翼】動画では新右翼、新左翼の言葉を説明無しに用いてしまった。見沢論内でも取り上げた見沢自身による定義は以下である。

既成左翼とは、社共のように議会で政権を取ろうとする人達。新左翼とは、ヘルメットにタオル、実力闘争で革命をしようとする俗に言う〈過激派〉。既成右翼とは、主に反共で黒の街宣車などで音楽を流して走る人達。新右翼というのは反体制反米、非合法も辞さず、大体は実力で維新革命を目指す人達。

『ガロ』(青林堂)2001年1月号「世紀末の風景」p.244.

 この定義も厳密には異なるだろうし、今なら「社共」や「反共」といった言葉にも補足が必要となりそうだ。新の名前が付く通り、新右翼も新左翼も既存の右翼、左翼には批判的であり、新右翼と新左翼は反体制と反米(反帝国主義)で一致点があり、見沢の新左翼から新右翼への乗り換えは特段不思議なものではない。
【サブカルチャー的想像力】『テロならできるぜ銭湯は怖いよの子どもたち』(同朋舎)では見沢が清水浩司名義で議長を務めた統一戦線義勇軍の元ネタが矢作俊彦原作、大伴克洋作画の『気分はもう戦争』(双葉社/新装版は角川書店)にあると記されている。本作は中国の辺境を旅する日本人(このモチーフは現代版の大陸浪人だろう)が架空の中ソ戦争に巻き込まれるものだ。見沢の根っこには70年代〜80年代はじめのサブカルチャー体験がある。この時代の空気を掬い取った傑出した青春小説が『ライト・イズ・ライト:Dreaming 80’s』(作品社)だ。本作は見沢の没後に未発表小説として刊行されたが、元は80年代に獄中から応募され、ある文学賞で下読みをしていた川村湊が受賞作に推薦している(『波』(新潮社)1997年12月号)。『天皇ごっこ』以前より見沢の小説は、いくつか文学賞の選考に残っており、川村に限らず目に止めていた人はいたようだ。サブカルチャーの始原が70年代にある話は、執筆に参加した『スペクテイター』53号(エディトリアル・デパートメント/幻冬舎)の特集「1976年サブカルチャー大爆発」に詳しい。
【リミックスの感覚】動画では『BUBKA』(コアマガジン)の連載「純文学作家のサイコな日々」をベースに、自身が記して過去の政治論文や文学や哲学のアフォリズムを散りばめ、切り貼りのように作り上げられた見沢の著作『テロなら〜』を私は高く評価すると話している。90年代に音楽用語であったリミックスが、文学の世界にも波及したさまは阿部和重が『文藝』(河出書房新社)の「J文学」をめぐるインタビューでも語っている(聞き手は当時の編集長であった阿部晴政)。見沢の文学は多用な解釈、味わいが可能な「レアグルーヴ」でもあろう。かつ、見沢は小説は時間をかけて書いたが、連載エッセイはものすごい短時間での一発書きだったとも聞く。これはインプロビゼーション(即興演奏)を彷彿とさせる。
【断片と細部】動画内でも取り上げたが『テロなら〜』に関する記述は編集と改稿の過程でカットされた。そこに不満はない。ラーメンを評するにあたって「胡椒がうまい」と書いているようなものだからだ。だが胡椒の側に本質や真意が宿る予感、確信もある。見沢は『スコラ』(スコラマガジン)で連載対談「見沢知廉の黒く塗りつぶせ!!!」を持っていたが、対談には膨大な注釈が記されており、すべて見沢本人が書いている。見沢の文化オタク気質があふれており、本文ではなく注が中心にある
【キッチュ/キャンプ】つとめて文学者であろうとする見沢の姿はキッチュでありキャンプ(スーザン・ソンタグ)である。それは愛国者とみなされている、三島由紀夫の自宅がヴィクトリア王朝時代のコロニアル(植民地)様式であった逸話とも重なる。まがい物(パチモノ)が放つ美はある。
【文体】見沢の文体は癖が強く、2ちゃんねるでは「難解ではなくただの下手」と評されている。ある側面を言い当てているが、私は見沢の文章は下手だとは思わない。むしろ思考のスピードが文体に追いついていない印象を受ける。出所後の見沢は、精神・体力ともに追い詰められてゆくのだから、その乖離はますます広がる。 見沢のあるエッセイを見ると情報と固有名詞の羅列であり、それをかろうじて助詞や「ーー」などの記号で繋いでいるだけのものもある。見沢の奇怪さは、異なるものの同居にある。見沢は古風な天皇論、精神論、文明論を振りかざす一方で、未来志向も持つ。デビュー前に記された政治論文ではコンピューターの発達が、人間の究極の理想や幸福を実現するといった記述があり、素朴なテクノユートピアの信奉者である。極端な未来と過去が同居する代わりに現在がない。それゆえに見沢は現在の違和を持ちつづけ「異物」と成る。
【悪筆】見沢は手書きで原稿を記し悪筆で知られる。生原稿をネット上で見たが、なぐり書きのレベルを超えたものだ。さらに精神、肉体双方の体調も影響する。見沢の没後、ロフトプラスワンで行われた追悼イベントで披露されたもっとも読めないとされた原稿は、縦と横の棒が組み合わされただけの何かの暗号のようだった。
【アイロニカルな没入/フリッパントな語り口】大澤真幸は見沢の小説に着想を得て「アイロニカルな没入」の言葉を生み出すが、的確な言葉だろう。動画では話せなかったが絓秀実や井口時男の批評も見沢の長所/短所を見事に指摘している。見沢のテキストは評論や批評のしがいがあるものだ。『天皇ごっこ』文庫版の解説では宮台真司が見沢を「フリッパントな語り口」と評する。「不真面目、軽薄、ふざけた」といった意味を持つ。私は見沢の物言いが冗談なのか本気なのかいまだに判断がつかない。見沢に対して「アイロニカルな没入」はできず、「フリッパントな語り口」を通して煙に巻かれ続いている。

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