マカオ/澳門の記憶

・この4月からTBSラジオで『深夜特急オン・ザ・ロード』が放送されている。沢木耕太郎の『深夜特急』新潮文庫版全6巻を俳優の斎藤工が約半年かけて朗読するもので、時折沢木本人のメッセージも挟まれる。現在舞台はタイへと移ったが、それまでは香港とマカオが取り上げられていた。
・一時期、マカオへはよく行っていた。マカオ航空がバンコク行の経由便をかなり安い価格で販売していたためだ。確か3万円を切っていたと思う。さらに通常は1万円程度が上乗せされるストップオーバー(途中降機)料金もほとんど変わらない
。マカオを出て隣接する中国の経済特区である珠海から広州へ向かい、深センから香港を経由してフェリーでマカオへ戻ってくる旅も可能だった。財布の中にはマカオ・パタカ、人民元、香港ドルと3つの通貨が入り交じる。中国の1元硬貨と1香港ドル硬貨は形状がすごく似ているのだが、現地の人はしっかりと見分けていた。
・帰りの便はマカオへ深夜到着し、東京行の便は朝一番に立つため8時間程度のトランジット時間ができる。真夜中にマカオの街を彷徨うのは特異な体験だった。デジカメのSDカードの容量がほとんど残っていなかったので画質を下げて夜の街を撮ってゆく。この画質の低さは猫の額ほどのマカオの旧市街とうまく合わさっていたようにも思う。
・『深夜特急』のマカオ編はほとんどがカジノ、それも「大小(タイスウ)」という丁半博打の描写に割かれる。大小は3つのサイコロを振り、数字の大小を予想するものだ。『深夜特急』ファンはとりあえずマカオのカジノへ行き「大小」をやってみる人がいるようだ。私もそうしてみようと思ったが、ミニマムベット(最低賭金)が200香港ドルからだったので、とても手が出せなかった。マカオでは香港ドルが広く流通している。カジノはすべて香港ドルだ。1香港ドルは大体15円換算なので、1回負ければ3000円が吹き飛んでしまう。無料のコーラやレモンティーを摂取するのみだった。
・2010年ごろ恵比寿にマカオ料理を出すレストラン、Lazaro(ラザロ)があった。値段も安かったのでよく行っていた。マカオ料理は宗主国のポルトガルと中華料理の融合作品だ。さらにポルトガルが支配してきたアフリカやインドのゴア、マレーシアのマラッカなどの要素も入り交じる。その場で焼き上げるデザートのエッグタルトも美味だった。1年ほどでアジア料理に幅を広げ、しばらくして閉店してしまった。本場のマカオで同じ料理を食べようとした場合、日本よりも高いので食せないでいる。
・マカオではポルトガル語が公用語とされるが、口語としてはほとんど使われていない。マカオは公務員の割合が多いようなので法律や行政文書としては使われて
いるのかもしれない。カジノで働いているのはほとんどがインドネシアやタイからの出稼ぎ労働者で共通語は英語だ。
・私は旅先でラジオを付ける。最初はテレビを流しっぱなしにしていたが、画面に支配されてしまうし言葉もわからない。ラジオは音楽が多く流れてくるので心地よい。中国側に泊まった時に、マカオから発せられるポルトガル語放送を聴いていた。意味はわからない。2011年に東日本大震災が起こった後、inter-FMが在日外国人へ向けて英語、中国語、韓国語、ポルトガル語の4カ国語でひたすら情報を発信していた。そこで聴いた響きも思い出される。
・あとは小学校時代におそらく日本語が一言もわからない状態で日系ブラジル人の女性が転校してきた記憶も蘇る(世代的に見て三世だろう)。彼女は2学年上だったが、勉強が追いつかないためか私の学年に降りてきた。形式上は義務教育を9年間受けたことになっていたのか、中学1年の終わりに長野県に就職していった。ちょうどこの時期に山形県でいじめを受けた中学生が自殺する事件が起こり、生徒がレポートを書かされた。彼女は丸みを帯びたアルファベットで意見を書いており、日本語に翻訳されたテキストも添えられていた。ブラジルの子供は年齢や立場に関係なく一緒に遊ぶ、日本(人)は陰湿であるといった話だった。マカオを通るたびに彼女が記していたポルトガル語のアルファベットが思い出される。そう言えば、彼女の外国語のスピーチは一度も聞く機会がなかった。
・マカオには久しく行けていない。マカオは公共図書館が24時まで開いている。一時は実験的に24時間開いていたようだ。公共図書館の24時間開館は理想的な環境だが、マカオのような狭小の都市空間でなければ不可能だろう。マカオの図書館で新人賞用の原稿を書き、25時で閉まる中国への国境である拱北(こうほく/ゴンベイ)にバスに乗って向かう。中国側の路上屋台で串焼きと冷えた青島ビールを飲めるのはいつになるだろうかと考える。


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