映画『白痴』を観る

 10月13日に新潟市秋葉区文化会館大ホールで行われた坂口安吾生誕記念『白痴』上映講演会へ参加した。『白痴』は手塚眞監督による1999年公開の日本映画で新潟でロケが行われ、主人公の伊沢の暮らす家が傾く場末の町並みや、空襲を受けた焼け跡が作られた。
 前日まで山形国際ドキュメンタリー映画祭に参加していたが、そのまま新幹線で帰るのが惜しく、仙台あたりを経由して鈍行で戻ろうと思ったが、週末にかかるため宿代が高い。そこで新潟で何かイベントがないかと探していたところ、この上映会が目に止まった。連続する3日間が乗り放題となる「JR秋の乗り放題パス」を使い、山形から米沢、坂町を経由して新潟へ出た。米沢と坂町を結ぶ米坂線は集中豪雨により代行バスによる運行だった。米沢から乗換駅となる小国までは通学の高校生であふれており、観光バスが使われていた。小国から坂町までの乗客はわずか3名でミニバスとなった。ところによって線路から外れた道を通るものの、時刻はおおむね正確だった。夜間は無人となる坂町駅は廃墟のようで、駅前に一軒食堂が明かりを灯していたが、マスク着用の協力を求める張り紙があったので入るのはためらわれた。単に張りっぱなしであったのかもしれないが、遠方客が足を踏み入れるにはハードルが高い。
 さらに新潟の宿代も異様に高かった。前は3000円で泊まれたはずの駅前のビジネスホテルが12000円を付けている。12日にサッカー日本代表の親善試合が新潟のスタジアムであり、14日にはGENERATIONS from EXILE TRIBE、15日にはMr.Childrenの公演とイベント続きのため高騰していたようだ。
 今回、デジタルリマスターが施された『白痴』を21年ぶりに鑑賞した。日付を覚えているのはその日がワールドカップの試合があったためだ。日本戦の開始時間に合わせるようにレンタルビデオを再生したが、アパートの上階からは歓声があがってうた記憶がある。
 21年の間、出演者の藤村俊二、江波杏子、原田芳雄、岡田真澄、石上三登志、桜井センリらが鬼籍に入った。時は流れる。当時より、いくばくか日本映画を観るようになった立場から眺める『白痴』はとても魅力的な作品だった。
 鑑賞にあたりパンフレットと、地元の新聞社によって作られた記録集『映画が街にやってきた:「白痴」制作新潟の2000日物語』(新潟日報事業社)を読んでいったが、この作品はとてつもない難産であったようだ。上映後の講演でも語られていたが、手塚眞はもともと坂口安吾の熱心なファンではなかった。ふいに目にした新聞の書評欄で『堕落論』を知り、次いで『白痴』を手に取り、これを自分が映画化せねばという使命感を得たという。想定される製作予算は5億円であり、これは「寅さん」クラスの映画でなければ回収できない金額だった(最終的には7億円以上に膨れ上がる)。製作は東京のすべてのプロデューサーに断られ、最後は手塚プロダクションが引き受ける。それでも数億円が足りず、新潟で「作る」ばかりでなく、金も調達する映画作りが模索される。7億円はいくら著名人の子息であるからといって自由にできる金額ではない。
 『映画が街にやってきた』では資金調達にまつわるヘヴィーな裏事情が記されている。坂口安吾は新潟出身であるのは確かだが『白痴』の舞台は東京であり「なぜ新潟なのか」の疑問がつきまとう。地元の自治体や財界人をめぐるも、なかなか金は出さない。新潟に限らず、おおむね地方都市は横の繋がりが強く「右へ倣え」の構造がある。ある人物や会社が金を出せばほかも出す(はず)目算で、まずは地元の財界人のトップに話を持っていこうとするのだが、うまくまとまらない。「『白痴』というタイトルがイカン」なる反応もあったという。難癖レベルの話だが、保守的な地方の風土と公共性を考えればまっとうな話でもあろう。ならば新潟を舞台にした安吾の作品を映画化すれば良いのかと言えばそうもいかないだろう。『吹雪物語』ではヒットは望めない。『吹雪物語』は全集の2巻目に所収されており、1巻から順繰りに読んでいこうとすると、最初に立ちはだかるハードルとなりうる作品だ。
 金をかければいいものができる。これは一つの真理である。特に『白痴』のような映画ならなおさらである。手塚眞の『白痴』では坂口安吾の原作が大胆にアレンジされている。原作で文化映画の脚本家を書く伊沢は、近未来のテレビ局であるメディアステーションのADとなっている。舞台は戦時下の日本であり、空襲も受けるのだが敵国がアメリカであるとは明示されていない。テレビ番組には中国語の字幕が表示され、映画版オリジナルのキャラクターであるアイドル銀河はタイ人スタッフを従えている。
 山本政志はパンフレットに寄せた文章で「マヌケ監督がやると、軽薄で表層的世界に脳をすくわれてしまう危険な領域のミュージップクリップののりや、SFタッチでさえも、「白痴」には作品世界にしっかりと根づいている」と評している。「SFや近未来」といった設定はすぐに思いつきはしても、それを実現させるにはセンスと金がいる。
 映画『白痴』は、一見するとバラバラでちぐはぐな要素が、見事に調和を果たしている。テレビに映る中国語字幕は画面下に横に表示されるのではなく、右端で縦にスクロールしてゆく。映画青年である伊沢は「風の映画」と題された8ミリフィルムで、学生時代に小さな賞を獲っている。今の自分は本当にやりたい仕事をしていない不満を埋めるようにアパートの壁で一人、上映会を行う。こうした青年の心理は、どの時代にも共通するものだろう。映画ではCGも使われているがそれは90年代末の最高峰の技術であっても現在地から見ればチープに映る。ラストの空襲シーンは本当に爆破が行われ、近隣住民には注意喚起もなされた。今ならばすべてCGで作り上げることも不可能ではないだろう。90年後半の時点でできることとできないことが入り混じっているのが映画『白痴』の魅力なのだと思う。
 『映画が街にやってきた』ではボランティアスタッフの活躍にもページが割かれているが、写真に映る人物の中にフィッシュマンズのTシャツを着ている人間がいた。00年代以降、ヴィレヴァンに安吾の文庫本が並ぶ下地を感じさせるような光景だ。サブカル(チャー)作家としての坂口安吾の再評価に映画『白痴』が与えた影響はあるのではないか。さらに、テン年代以降のヴィレヴァンは面白雑貨店の要素が強くなり、坂口安吾の文庫本すら並ばなくなる。
 ほかにも映画『白痴』のちぐはぐさとしては悪徳ディレクターの落合(原田芳雄)が伊沢(浅野忠信)に銀河(橋本麗香)のスカートの丈をハサミで切り短くするよう求める場面で、落合はハサミの刃を持って伊沢に渡す。落合は悪徳な人物なのだから、伊沢に刃を向けるべきなのに、妙にマナーをわきまえている。それはテレビ局員はじめマスコミ関係者が持っている慇懃無礼さの発露でもあるだろう。
 映画には元ネタも満載だ。精神を病んだ伊沢の隣人である木枯(草刈正雄)が嵐の夜に屋根の上に乗る様は、つげ義春の『無能の人』だ。さらに木枯は石に人の顔を描く(『無能の人』と『白痴』が直結する)。伊沢の下宿先の夫人、仕立屋の妻(江波杏子)が、灯火管制のため電球に黒幕を付けるよう伊沢に頼む際に向ける妖艶な視線も、つげ作品に出てくる石オークション業者の妻が主人公に向ける秋波を思い起こさせる。
 なにより無名の新人として発掘された銀河を演じる橋本麗香が美しい。彼女は超絶わがままなキャラクターとして描かれているが、それは寓話でありながら、それくらいの人間はいるだろうと思わせる。手塚監督も上映後の講演会で、芸能界のハラスメントをめぐる問題を作品が予見しているようだといった話をしていた。
 さらに講演会で手塚監督は、坂口安吾は現在のようにメジャーな作家ではなかったと述懐していた。80年代末に映画化を思い立った時、神田の古書店で安吾の全集が12万円で売られており、意を決して買ったという。ちくま文庫版の全集が89年から出始めるので、その直前のタイミングであったのだろうか。地元の新潟でも知名度はそれほど高くなかったという。
 安吾は矛盾したあべこべな物言いをそのまま提示する。安吾が戦時下で文化映画に携わっていたのは、兵士としての徴用を逃れる目的があったとされる。戦争から逃げた人間が、空襲下では「私は逃げない」と言い張るのが『白痴』であり、それは「ちょっと何言ってるのかわかんない」(サンドイッチマン富澤たけし)でありながら、安吾の魅力の肝ともなっている。
 新潟の上映会は『白痴』が目的というより、「手塚治虫さんの息子さんがお話に来るらしい」目的の人が多いように見受けられた。最後の質疑でも父親ネタが振られ、監督はそれにも旺盛なサービス精神を発揮していた。平日の午後であり、観客のほとんどはシニア層であった。それでも新潟市長のほか地元の商工会長はじめ来賓多数のイベントだった。 
 新潟へ来るのは初めてではない。三年前の春にも、18きっぷで長岡の新潟県立近代美術館で行われたナムジュン・パイク夫人であった久保田成子展を足を運び、新潟へ足を伸ばした。その帰りは磐越東線経由で阿賀野川を眺めつつ、喜多方に出てラーメンを食べた。近くの公園の「桜の森の満開の下」で同名の安吾の小説を読む。郡山での乗り換えに失敗し、そのままでは埼玉県の大宮までしか戻れないため(東北の玄関口は上野ではなく、大宮でもあるだろう)、新白河まで新幹線でワープを果たしたが、自由席の乗客は私一人だけだった。
 三年ぶりの新潟来訪はそれなりに充実したものだった。手元にありながら完読へ至っていない文庫版も坂口安吾全集も読んでいかねばなるまい。

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