『ユリイカ』臨時増刊「悪趣味大全」と1995年の切断線

・『ユリイカ』(青土社)臨時増刊「悪趣味大全」を通して読んだ。90年代鬼畜系サブカルチャーを考えるにあたっては必読文献であるものの、これまでは要点しか眺めていなかった。この号には末尾に村崎百郎のライターデビュー作とされる「ゲスメディアとゲス人間:ワイドショーへの提言」が掲載されている。『別冊宝島』(宝島社)ならば小浜逸郎か朝倉喬司のポジションだが、これは単に村崎の原稿が遅かっただけのようにも思われる。「悪趣味大全」の発行日は1995年4月25日。雑誌の場合、実際の発売日は1ヶ月ほど前だから、この号は3月下旬に書店に並んだと見られる。村崎の原稿は年末年始のワイドショーを眺めて書かれたようだが、阪神淡路大震災に関する記述はない。松沢呉一のエッセイ「ごめんね痔瘻」が、地震を受け、週刊誌「S」の連載で、関東大震災時に発行された死体絵葉書を紹介しようとして編集者に難色を示される逸話が記されるに留まる。
・「悪趣味大全」には1995年春に出ながら、震災はごくわずかに、さらに地下鉄サリン事件を筆頭とするオウム真理教に関してはタイミング的にまったく触れられていない。それでもオウムのキッチュな俗悪さは、本書の要素と重なり合う。山野一のインタビュー「カースト礼賛」が掲載されているが、山野はこの後ねこぢるとともに長期のインド旅行へ向かい、現地で地下鉄サリン事件の報道に接している。こうした社会との接点は事後的に見出されるものだ。「悪趣味大全」では、これまでバラバラに存在し、各領域でマイナー、カルト、キッチュ、キャンプなどと言われてきたものを「悪趣味」と名付け串を通そうとする意図が感じられる。石子順造の70年代に書かれた論考「非公式のシンボル:身体化された猥雑さの「表現」」の前に、上野昻志のライナーノーツというべき「「キッチュ」の現在:石子順造のキッチュ論をめぐって」が掲載されるなど歴史も意識されている。現代史の切断線として1995年前後はよく取り沙汰されるが「悪趣味大全」をそこに加えても良いだろう。
・作品ガイドも充実している。音楽を安田謙一「バッド・テイスト・ディスク」、映画を宇川直宏「バッド・ティスト・フィルム」、マンガを唐沢俊一「バッド・テイスト・コミック」を選んでいる。これらの作品は配信やサブスクが充実した今もなかなかたどり着けないものではないか。アーティストは市原研太郎「バッド・テイスト・アーティスト」によって紹介されている。
・もっとも面白く読んだ論考は、ナガオカケンメイ「素材として自己の作家性を使いたいなら、もっと勉強してからにしてもらいたい。」だ。内容はグラフィックデザイナーである彼自身の業界批判であり、パソコン(マック)によるデザインが普及し、誰でもそこそこのものが作れる時代に、音楽同様に「ローファイ」への関心が必要ではないかと問いかける。坂本龍一のローファイへ志向も紹介される。本書では出てこないが、同時期に山本精一が提言していたスカムの概念とも重なるだろう。
・山本によれば大前提としてスカム(scum)は楽器を弾けない人がやならなければいけないという(ネットに書き起こしサイトがあったが消えてしまっている。初出は『スタジオ・ボイス』(INFASパブリケーションズ)1995年2月号。はからずも「悪趣味大全」と発行時期が近しい)。楽器を弾ける人がわざと下手に演奏するのと、本当に弾けない人が醸す下手は質として明瞭に異なる。これはマンガならばヘタウマとヘタヘタとなる。お笑いの世界で一部の地下芸人はスカムだろう。欽ちゃんこと萩本欽一がテレビのバラエティ番組に経験のない素人を積極的に起用したのも、言い間違いや言いよどみがもたらす偶然の作用を面白がったためであり、こちらはスカムタレントになるだろうか。低予算ゆえの素材の使い回しと、編集者による埋草原稿にあふれるエロ本はローファイ、スカム出版物となる。本書で「悪趣味大全」と名付けられたものたちはすべて「スカム」に代替可能だ。
・ならば鬼畜系はスカムなのかと問いかけが生ずるが、村崎百郎や青山正明はスカムではないだろう。彼らはともに大学を卒業している。いまならば大学進学者は珍しくないが、彼らの世代の四年制大学への進学率は30%代だ。卒業後はプロの編集者、ライターをしていたのだから、鬼畜系を牽引した彼らのふるまいがスカム、天然であったとは言い難い。
・悪趣味系の1ジャンルとして鬼畜系が存在する。これが文化史的な定義なのだろうが、「悪趣味大全」を通して読む限り、鬼畜系はそれとも違う何かのように思われる。「悪趣味大全」はあくまで趣味であり個人の興味関心のレベルに留まるものだ。盗聴や盗撮などガチの犯罪行為である悪趣味は取り上げられていないし、コレクションのために経済や私生活を破綻させるような負の部分にも触れられていない。あくまでも「悪趣味」のアウトラインの提示であり「悪趣味のススメ」ではない。本書を読んで、面白そうだからと空き缶を集めようとする人はいないだろう。もともと何かしらの要素に惹かれ空き缶を集めていた人がキッチュを発見するのである。ただし、鬼畜系は空き缶集めのような無害さ、健全さを越えた何かである点がやっかいだ。やはり「悪趣味系」の下位ジャンルに「鬼畜系」が存在するすっきりとした整理は難しいように思われた。

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