村崎百郎十三回忌に寄せて

 7月23日は村崎百郎の祥月命日となる。今年は没後十二年目であり十三回忌にあたる。昨年夏に村崎百郎論の執筆を思い立った時にはまったく意識していなかった。村崎論は、一年間の延期ののちに無観客で開催された東京オリンピック・パラリンピックの開催直前に起こったゴタゴタ、コーネリアス・小山田圭吾と、ラーメンズ・小林賢太郎のキャンセル騒動より始まる。小山田のエピソードはネット上では超有名な話であったし、小林の解任に至るスピード感は、ゴシップ雑誌の暴露ツイートが一人の一般ユーザーの手を経て国会議員へ伝わり、その夜のうちにサイモン・ウィーゼンタール・センターへの英文ツイートで直結する「虚」なのか「実」なのかわからない展開を辿った。背景にある90年代の鬼畜系サブカルチャーが戦犯として扱われ、村崎百郎の存在、言葉含めてすべてが「無かったこと」として扱われていくことへ不満を覚え論の構想が始まる。オリンピックの開会式の日付である7月23日が村崎の命日と重なるのも何かの符号のようでもある。ただ、この点は本文では強調しなかった。この手の評伝的な逸話はいくらでも深読みや牽強付会が可能なため、記述の冷静さを失いがちなためである。

 これまで長めの文章を書く時は深夜のファミリーレストランを愛用していたが、昨年は緊急事態宣言下のため使えなかった。2年前の、2020年も「すばるクリティーク賞」の応募原稿を書いていたが、マクドナルドの深夜営業だけは続いていたと記憶する。店舗ごとに清掃が入る時間(店内滞在期限のリミット)が異なるため電話で問い合わせののち、資料の束を抱え都内を移動した。さらにその前、初の緊急事態宣言が出た2020年の4月ごろは、日高屋は深夜営業を続けていたし酒類の提供もあった。そうしたファジイな部分がすべて無くなり一律で営業時間が規制されていくのはもどかしかった。さらにファミリーレストランの深夜営業自体が取りやめとなってしまった。もうあの夜は戻ってこない。それは村崎の偏愛するものでもあったはずだ。書く場所を求め8月最後の数日間は都内某所のビジネスホテルへ泊まり込み原稿を仕上げた。近くには大きな公共図書館もあるため、追加で必要な資料は適時参照可能であった。村崎論はそうした都市環境が作り上げたものでもあるだろう。

 執筆の過程で村崎の「電波」は飛んで来なかったが、意識する相手はいた。かつてツイッター上にいた高校生と思しき人物である。性別は明らかにしていなかったが、恐らく女子だと思われる。ここでは高校生と呼ぶ。その高校生はどういうきっかけかはわからないが、青山正明や村崎百郎などの鬼畜系サブカルチャーに出会いドップリとハマっている様子だった。住まいは西日本のようで、自転車にも乗っていないため、徒歩で40分かけて辿り着く新古書店で、漫画や古雑誌を買っている様子だった。高校生はよくイラストも投稿しており、ある時から美術予備校に通い始める。ところが間もなくして辞めてしまう。どうやら講評で厳しいことを言われたようで、それにムカついている様子だった。イラストと同様のものを描いていたら何かを言われるだろうというレベルではあった。以降は学校生活への不満を書き連ねるアカウントと化し、同時に夢野久作の『ドグラ・マグラ』を読んだといった、いかにもなキーワードが頻出していくようになる。その一つに村崎百郎の純文学デビュー作『パープルナイト』があった。ある日の深夜に高校生は「さて『パープルナイト』でも読みますか」とツイートしていた。しかも『村崎百郎の本』(アスペクト)に再録されたものでなく、初出の『文藝』(河出書房新社)のコピーだった。どこかの県立図書館にでも行って入手したのだろうか。そのまま夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が過ぎ、恐らく高校生は進路が何も決まらないまま卒業したようだった。4月になりしばらく音沙汰がないと思って調べたらアカウントごと削除されていた。これが裏アカの一つだったのか、あるいは高校生の人生に大きく関わるようなもっと別の事情があったのかは定かではない。現状に不満を抱える地方の高校生にとって、村崎百郎は逃避の対象であるともに、希望でもあっただろう。自分の生まれる前の世界にアクセスする回路を用意したのは書籍や雑誌であり、それは90年代の出版バブルから生み出された。今、ほんの20年前のネット情報を追い求めようと思っても困難だろう。出版物は長く残る。

 私は村崎論の要諦は『パープルナイト』の紹介にあると考える。この作品が村崎の純文学デビュー作にして最高傑作であるからだ(といっても村崎の小説で商業誌への既発表作は4作しかない)。深夜のビジネスホテルで、高校生が持っていたのと同じ『文藝』コピーを拡げた時「さて『パープルナイト』でも読みますか」のツイートの記憶が幾度もよぎった。さらに私はもともと本には書き込みを行わず付箋を挟む。『パープルナイト』を精読するため、書き込み用のコピーである「コピーのコピー」を別に用意した。村崎が自身の髪の毛や皮膚の破片を行き先々でばらまき身体と意識の拡張を試みていた話が、そこに重なってゆく。この部分はもう少し広げて論じたかったところだ。

 もう一つ、本文で取り上げたウィリアム・バロウズの「言語ウイルス」も、そもそも証明のしようがなく、論じようもないトピックなのだが、近年のネット空間を見ていると、このウイルスは本当に存在しているのではないかと思わせる。村崎論の背景には世界全体が見えないウイルスにおびえている状況も横たわる。村崎論着想に至る記憶、書かれた時代の記憶を事後的なセルフライナーノーツとして氏の祥月命日に記しておく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?