DOMMUNE村崎百郎特集の感想

8月24日にDOMMUNE/ドミューンの村崎百郎特集に出演した。進行が押しまくり、本来用意していた内容を取り上げられなかったので、事前のメモなどを参照に記しておく。

【放送で取り上げられなかった論点】
・村崎の無駄話が6万字に渡ってそのまま掲載されたミニコミ『解放治療』でテレビからワイドショーのコメンテイターなどの依頼が来ているが断っているといった話がある。村崎のテレビへの距離感は気になる。ああいう格好、喋りをしていればテレビが注目しないわけがないが、村崎は「うるせえ見世物じゃねえんだ」と跳ね除ける。このアンビバレンツなスタンスは何か。木村重樹氏がコメントで記されていた「口下手なのにアジテーター」といった姿にも重なるものだ。
・村崎は80年代に宣伝会議のコピーライター養成講座に通っていた。昼間は製粉工場で働き、夜間大学に通い、コピーライター教室へも通う姿も一見するとアンビバレンツな印象を受けるが、クリエイティブなものに憧れる80年代の貧乏大学生の一つの姿、それこそ風呂無し四畳半からの夢想、であったかもしえない。この宣伝会議体験は村崎としては黒歴史ではないようだ。90年代カルチャーを特集した『STUDIO VOICE』(INFASパブリケーションズ)2006年12月号のインタビューで「鬼畜系」のフレーズはコピーライター教室で、露悪的なコピーを考えるセンスがあると気づき作り出したといったコメントを述べている。確かに鬼畜系はキャッチーだ。さらにこれも木村氏からのコメントであったのだが、そもそも村崎の趣味趣向はそれほど「鬼畜/悪趣味」ではない。広い意味でのマイナー、非主流派志向なのは確かであり、それが「世間ずれしたもの」から「鬼畜」へと露悪的に変換されている。このあたりの話にも触れたかった。
・もう一つ宣伝会議繋がりでは、ネット上に村崎と同講座で一緒だった人がブログで思い出を記している。『村崎百郎の本』(アスペクト)に出てくる大学時代の友人とは別である。こうした知られざる証言の調査や収集も村崎百郎/黒田一郎の全体像の把握には必要だろう。
・村崎はいつまでゴミを漁っていたのか? 『鬼畜のススメ』では「袋を持っただけで中身がわかる」といった描写があったかと思うが、これは黒いゴミ袋の時代だ。東京都のゴミ袋が半透明になったのは1993年以降であり、それ以降もゴミを漁っていたのか。『GON!』(ミリオン出版)のゴミ漁り連載も1999年には終わっており「今なら大問題」ではなく「当時から大問題」となっていた可能性がある。
・のちに『GON!』のゴミ漁り連載は「魁! 鬼畜塾」という読者参加コーナーへと変わる。こここで村崎がやりたかったのは「中森文化新聞」や「ヘンタイよいこ新聞」のようなことではなかったかと思う。ところが思うような投稿が集まらなかった様子がある。そこで連載の一要素だったはずの時事ネタ評論の比重が強まり、のちに唐沢俊一氏との「社会派くんが行く!」へ繋がっていく。「すばる」の選評で大澤信亮氏が、私の論で2000年に愛知県豊川市で起きた事件などを出しながら議論を深めていないといった批判的な言及があった。同時期にはネオ麦茶事件も起こるなど少年犯罪がトピックとなるが、この時点で村崎は事件に対して一歩引いた「時事ネタ評論」の立場でしか向き合っていない。私の論の限界、弱さは村崎の弱さと同一のものである。
・「魁! 鬼畜塾」ではモーニング娘。のパロディであろう鬼畜娘の募集がなされ、応募者の一人を村崎がかわいがっていたと聞く。放送でも出たが村崎は若い女性の読者には会うが、自分を強く信奉してくる男性読者には絶対に会わなかった。これは単なる村崎の下心だけではあるまい。
・アングラの定義。出演者の一人であるばるぼら氏が編纂した『ユリイカ』(青土社)2005年8月号増刊「総特集=オタクvsサブカル! 1991→2005ポップカルチャー全史」で屋根裏氏が「 悪趣味と前衛が支えたアングラ」という論考を寄稿している。今回のテーマと重なるものでもあるので、ばるぼら氏を含めて議論したい部分だったが、時間がなかった。この論考で屋根裏氏が指摘するのは「アングラ」という言葉に二種類の全く異なる定義が存在する点だ。ひとつは60-70年代のアングラ演劇などの文化。寺山修司的なものと言って良い。対する90年代のアングラは、パソコンやネットの裏ネタ。クーロン黒沢氏的なものと言えばいいだろうか。両者は性質として全く異なる。90年代のアングラが、60-70年代の空気を少しでも引き継いでいるとは思いにくい。村崎の言う「アングラ」は明らかに寺山側である。「すばる」選評で浜崎洋介氏が、このあたりに強く惹かれたのは、保守派の論客である彼が60-70年代のアングラ文化の世界に、失われた懐かしき日本(人)の家郷、土俗性を見たためだろう。それは亡くなった西部邁の思考でもある。幼少期の西部が北海道の荒涼とした大地を憎みマッチで火を付けて焼き払いたいと思ったなる逸話があるが、この話を村崎が知れば共感を寄せるのではないか。これまた木村氏のコメントにあった、90年代のフリーター的な文化圏と村崎の言葉の自由さが奇妙に合致した時代(ごく一時期であれ、村崎が「鬼畜一本」のライターとして食えていた時代がある)とも絡めて考えたいところである。
・ドメスティック。村崎は物の考え方や視点など、すごくドメスティックな印象がある。ゴミ漁りなど、まさに地の底からの文明批評ではないか。そんな村崎の実際のドメスティックさはどう重なるか。例えば海外旅行もしていない印象がある。近所をたまに散歩してゴミを漁る。この行動原理は、彼が偏愛した猫そのものではないか。村崎百郎そのものが猫的な存在ではなかったかといった話もしたかった。

【放送の感想】
・番組冒頭に起こった宇川直宏さんがスタッフから借り受けたパソコンのモニター破壊事件は真横で見ていた。それほど強い衝撃が加わっている様子はなかったが割れてしまった。私自身に襲いかかったiPodClassicの故障、腕時計のバンドが千切れる、放送数日前の夜に起こった数時間の謎の発熱、さらに後述する主宰者とのトラブルなど、すべてが「村崎の呪い」ではないかと思えて来る。
・リモート出演したジュネさんが、サイン入りの『鬼畜のススメ』をかざし、森園さんが「村崎の字です」と鑑定する流れは時空を越えた感動があった。これは書物というメディアでなければ成し遂げられなかっただろう。
・村崎の降霊を試みた恐山のイタコ音声は圧巻だった。松原タニシ氏が名古屋のラジオ番組で紹介した最後にイタコが発した「自分の血が飛び散ってるのを見て、とても綺麗に見えたんだ」ばかりではなく、その前の「(事件に巻き込まれるのが)君じゃなくて良かった」「君と僕はそれぞれに才能を持っていた」といった話も村崎の優しさを感じるものだ。事件の概要や二人の関係性は、ネット検索で出てこないことはないが、断片的な事実をここまで深められるだろうか。本当に事前調査していたとしても、ここまでエモーショナルな台詞を書けるならば相当優秀な放送作家か脚本家になれるのではないか(それこそ現在絶賛放送中の「24時間テレビ」並の演出力である)。
・放送ですべて紹介しきれなかったが木村重樹氏の証言は90年代サブカルチャーの貴重なオーラルヒストリーであった。何かしらの形にすべきであると考えた。木村氏は村崎の『鬼畜のススメ』は河出文庫かちくま文庫に入るべきとも述べておられたが、私も同感である。村崎の言葉は物質化してこそより生きるものである。現在同書の権利は森園さんがすべて持っているそうなので、興味を持つ出版関係者は名乗りあげて頂きたい。

【経緯報告】
・最後に放送の裏話というか経緯報告を。実は放送の数日前に主宰のケロッピー前田氏と企画進行を巡ってトラブルに発展した。詳細は伏せるが最大の理由は双方の「村崎百郎感」の違いである。先方の圧倒的な準備不足、リサーチ不足に私が激怒し、降板を示唆するに至った。その場に居合わせた虫塚虫蔵いわく「温厚な藤子・F・不二雄先生が生涯で3回ブチ切れたことがあると聞くがそのレベル」だそうだ。私は普段、当然ながら怒りの感情は持つが、不満を人に対し直接ぶつけることはしない。儀礼としてその場をやり過ごせば大きな禍根を残すこともないといった処世術でやっているためだ。酔っ払って本音を吐き出すようなこともしない。そもそもそういう対象と飲みに行くことはない。
・激怒事件のあと虫塚と公園で酒を飲んだのだが、私は頭痛に見舞われ、普段は絶対に言わないレベルの汚い言葉が口をついて出た時、もしかして村崎百郎が憑依しているのかと気づいた。虫塚もそう思っているようだった。その後、頭痛は風邪が抜けるように消えていった。やはり「村崎の呪い」は実在するのかもしれない。
・当初、提示された構成案は私の「村崎論」をベースに私が各ゲストと話を展開してゆくというものだったが、それは止めてくれと申し出た。私が4時間出ずっぱりで、ことあるごとにコメントを差し挟む必要がある。チャットの閲覧も禁じられた。「古舘伊知郎か宮台真司かウーマンラッシュアワーの村本大輔ならやれるだろうが、私は喋りのプロではないのでこんなことはとてもできない」と断った。心からやりたくないことに激しく抵抗する「鬼畜」を体現するに至った。
・放送冒頭「文芸評論における村崎百郎論の位置づけ」といった大学生のゼミ発表のような内容のレジュメを読み上げたが、私の興味関心はそうしたものであり、他の内容との接続点がとにかくなかった。ネット上で企画に対する批判的な感想として「何でも村崎と絡めようとするので散漫になっている」というものがあったが、その通りではあったとは思う。一つ一つの個別の話は有意義なものだが、そこに村崎を通す必要はあったのかは疑問が残るところだ。私は最後に山形浩生氏の『たかがバロウズ本』をもじって「たかが村崎百郎」と述べた。このフレーズは最初から考えていたものであり本音でもある。取るにたらないもの、ジャンク(ゴミ)なもの、それでも敬愛なる存在として村崎百郎はある。「自分の本が古本屋のワゴンで100円で売られていて欲しい」と願った大里俊晴『ガセネタの荒野』にも触れたらいくつか反応しているツイートを見かけた。そうした人たちとの繋がり、星座を紡げた時点で今回の放送に出る意義はあったとは思う。

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