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MTBアジア選手権レースレポート

大会名:2024年MTBアジア選手権大会
開催日:2024年5月11日
開催場所:マレーシア・プトラジャヤ
カテゴリー:エリート男子
天 候:晴れ(レース途中に雨)
リザルト:優勝

使用機材
バイク : MERIDA NINETY-SIX
サスペンション : SR SUNTOUR AXON
コンポーネント : SHIMANO XTR 9100シリーズ
シューズ : SHIMANO SH-XC903
ホイール : PAXPROJECT
タイヤ : CONTINENTAL RACE KING
サングラス : SWANS
ソックス : WAST
ヘッドバンド: HALO

写真は全て@hisanoriuedaより。

ちょうど今から3ヶ月前の2月。シクロクロス世界選手権から帰る飛行機の中で自分は失意の中にいた。ヨーロッパで圧倒的な力差を感じ周回遅れでレースを終えた時の不甲斐ない気持ちは、実際に経験した選手しか分からないと思う。ただそういった嫌な感情も時間が経てば自然と薄れていき、日本で過ごす日常に戻れば悔しさという成長に必要な原動力すら消えてしまうことも過去の経験から知っていた。悔しい時に必要なのは次は頑張るという曖昧な決意表明ではなく、次に向けて何をやるかという具体的な行動計画だと思う。

ヨーロッパからの長いフライトの中で考える時間は十分にあり、3ヶ月先の目標に向けた日々のトレーニングスケジュールやレース計画、理想とするパワー数値や体重を全て計画した。その目標とはもちろん今回走り終えたアジア選手権のことであり、チャンピオンになれた今になってあの時のフライトこそ人生の分岐点だったと思う。

銅メダルを獲得した昨年のアジア大会の経験から、アジア選手権ではトップコンディションに仕上がっていれば表彰台は十分に狙える自信がついていた。また昨年は完敗した中国選手も自国開催や五輪枠がかかっていない時には随分と力が落ちる印象がある。五輪枠は逃したが、今年こそは彼らに勝って雪辱を晴らしたい思いがあった。

マレーシアの首都クアラルンプールの近郊にあるプトラジャヤのコースは、街の中にある大きな自然公園の中にMTB専用コースとして常設されている。コースの大半が森の中を細かくアップダウンするシングルトラック。国内のMTB選手ならば八幡浜の北コースが延々と続く感じだと思えばイメージしやすいかと思う。流れも良い上に危険と感じるセクションもなく得意で好きなコースだが、とにかく森の中の蒸し暑さが半端ではない。前日のジュニア、U23のレースでも熱中症で大きくペースを落とした選手が何人もおり、相当に過酷なレースになることが予想された。エリート男子は5周回でのレースとなる。

前日から雨も降らず日本の8月のような気候の中、14時のスタートに向けて準備を進める。気温が高くスタート前に体温を上げすぎることは適切でないので、ウォームアップの強度はいつもの7割ほどに留めた。それでも踏んでいるギヤが1枚軽いのではないかと錯覚するほどに脚が軽く良く回り、この日に向けて万全の体調に仕上げられたことを確信した。スタートまでは本当に小まめに水を取り、氷で身体を冷やすことを意識した。

スタートは上手く反応して2番手で最初のコーナーをクリア。リスク回避のためすぐに先頭に上がって抜かれないライン取りを意識しながらレースを進める。森の中のシングルトラックに入れば調子が良く登りで踏み込みたくなるが、体温が上がりすぎると絶対に後半まで保たないためにかなり余裕のあるペースで抑えて走るようにした。パワーは温存しながらも登りコーナーの入り口はわざとゆっくりと入って立ち上がりで踏むようにして集団が伸びるようにする。そうすれば後方スタートの中国の選手にダメージを与えられるからだ。道幅の広い登りでカザフスタンの選手が先頭に出て踏み込むと、自分と北林選手の3名が抜け出す形となって1周目を終える。

2周目。先頭を走るカザフスタン選手には登りも下りもかなり余裕をもって着いていける。そうなると前に出て攻撃したくなってくるが我慢。中国の選手が10秒後ろに単独で追ってきており、去年の経験から言えばカザフスタンよりも中国の方が強いはず。そのため中国の選手が追いついて仕掛けてきたときに対応する脚を残しておく必要があると考えた。コース上の至るところで日本スタッフが後ろの中国との差を教えてくれるので冷静になることができる。

コース後半部分で本調子でない北林選手が遅れてしまうと、中国選手が一気に追い上げてきた。追い付くと同時に強引に抜いてこようとしてきたが自分もラインを塞いで譲らない。接触して転倒したようで怒っていたが、こちらも本気で勝ちに来ているので強気であった。どうせまた追いついてくるだろうと思っていたので、先頭に立って自分のペースで走ることで身体を回復させて次の動きに備える。またこのタイミングで雨が降り始めてスタート時より気温が下がり走り易く感じた。まさに恵みの雨だ。

3周目に入るとやはり中国選手が追いついてきて勢いよく先頭に立つ。去年はここで置いていかれた苦い経験が思い出されるが、今年はこの動きに備えていたので反応できる余裕がある。後ろから観察していると中国の選手は急勾配な登りはダンシングを多用して速いが、繋ぎの平坦区間や緩やかな登りではペースを上げずに休む傾向があり極端にインターバルのかかる踏み方をする。相手が休んでいる区間で少し踏めば力を使わずに着いていけるので惑わされないようする。

カザフスタンの選手も同様の考えだったのか緩やかな登りでペースを上げて5秒ほど先行して抜け出した。すぐに中国選手を抜いて追いかけるべきかと考えたが、ここまでの走りを見るとカザフスタンよりも中国の方が下りが速いので、自分が追わなくても下り区間で追いつけるだろうと判断して3番手で待機。この時点ではまだ中国の方がカザフスタンよりも強いと考えていたので、少しでも中国に脚を使わせることを意識していた。予想通りにコース後半で追い付き再び3名パックとなるが、この時に中国選手はかなりキツそうでこれ以上ペースを上げられないように見えた。これは攻撃のチャンスとみて先頭に立って踏み込む。中国選手を切り離すことに成功してカザフスタンとの2名で残り2周。

4周目。中国の選手とのタイム差はどんどんと開いているため、カザフスタンとの一騎打ちになることを確信する。雨が止んだことで再び一気に蒸し暑くなり過酷なコンディションだ。滑り易くなったロックセクションの登りでカザフスタン選手がタイヤを滑らせて脚をつきラインが塞がるが、すぐにシクロクロスのようにバイクから飛び降りてランニングで追い抜くことができた。3種目全ての経験を駆使してこのレースを戦っている。そのまま先頭に立って少しペースを上げてみると微妙に差が開いたが、長い登りですぐに差を詰められる。ここで本気でアタックをすればこの周回は逃げ切れるだろうが、暑さもありゴールまでペースを維持することはできない。勝つ為にはここは一旦2人のパックに戻り、次の最終周回で今と同じ状況を再現することだと考えた。あと少しのところまできている大きなチャンスを掴むために全神経を集中させる。

そして最終周回。一騎打ちで最終周回までもつれたときの勝率はMTBでもシクロクロスでも自信がある。ここまで走ってきてカザフスタン選手の方が登りは強いと感じていたが、一気にペースを上げるパンチ力と下りのスピードは自分に分が有るはずだと思っていた。特にリードを奪う自信がある下り区間があり、その直前にある登りで一気にスパートをかけて差を広げて勝つと決める。そこまではとにかく我慢して食らいつく。暑さも疲労もありかなりキツかったが、昨年のジャパンカップの古賀志の登りに比べればこんな苦しみは一瞬で終わると言い聞かせる。ロードレースを始めてからの自分は我慢強くなったと思う。また後ろで苦しい素振りを見せる方が相手が勝負を急ぐと思ったので、必要以上に呼吸を荒くして千切れそうなふりをした。

そして勝負所と決めていた登りでカザフスタン選手のペースが落ちたと思った瞬間に後ろから全開でアタック。相手が反応できていないことは分かったが、ここまでくれば脚よりもメンタルの勝負であり諦めなかった方が勝つ。得意の下りでさらに差を広げたことを確認して最後の力を振り絞る。

先にレースを終えた日本選手団のジュニアとU23、女子の選手たちが全力で応援してくれる。スタッフの方達がトキいけるぞ!と叫んでいるのが聞こえる。ひとりで戦っているのではなく、本当にたくさんの方に支えられて自分は今この場で走れている。人生で1番長く感じた残り1kmであったが、勝ってみんなと喜びたいという思いで突き進む。森の中を抜けて後ろを振り返るとカザフスタンの選手の姿は見えなかった。やり切った。間違いなく競技人生で最も大きな勝利で、自己ベストのパフォーマンスを発揮したレースだ。日本選手団が大喜びで出迎えてくれたが、自分がアジアチャンピオンになれたことが信じられなかった。ただこんなにも熱く冷静な勝負ができたことが嬉しく達成感に溢れていた。本当に沢山の方に支えられて掴んだ勝利だ。

アジア選手権はジュニアの頃に銀メダルは獲得したことはあるものの、そこからは表彰台に登ったことはなく先輩後輩の活躍をみて悔しい想いばかりしてきた大会だった。ロードレースを始めたことでより広い視野でレースを組み立てられるようになったことが成長に繋がり、昨年のアジア大会での銅メダル、そして今回の金メダルを獲得することができた。30歳となった節目である年に大きなタイトルを獲れたことはとても嬉しく、冒頭に述べたように3ヶ月プランでしっかり本番にピークを持って来れたことはこれからの競技生活においても大きな自信となる。

そしてこの勝利はいつも1番近くで支えてくれる妻がいなければ決して成し得ないものでした。自分はまだまだ足りないことだらけですが、これからも彼女と一緒に成長していける人生が楽しみでなりません。いつも本当にありがとう。

最後となりましたが、このレースを迎えるにあたって宇都宮から送り出してくれたブリッツェン関係者の皆さま、完璧なサポートをしてくれたチームジャパンの方達に感謝しています。また情報が少ない中でもSNSを通して沢山の応援を本当にありがとうございました。全てを力に変えることができました。

大きな目標はひとつ達成しましたが、まだまだ5月でこれからも大事なレースが続きます。引き続き精進していきますので、これからも応援いただけたら嬉しいです。

※最後までお読みいただきありがとうございました。いいね、シェア、サポートをいただけると筆者の今後の執筆の士気が高まるので宜しくお願い致します。

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