劇場版ラブライブサンシャイン!の感想:補足

 前回、ラブライブサンシャインの感想記事を書いた際に、劇場版について説明が少なすぎたことを踏まえて別個の記事にしました。

 ではサンシャイン劇場版について……の前に。

 ラブライブ(無印)、つまり【μ's】が主役の劇場版について解説します。その後、サンシャイン劇場版感想に移ります。

※劇場版ラブライブ!2作品のネタバレを含みます。また、サンシャイン劇場版の忌憚ない感想も含みます。

無印劇場版の存在意義

 テレビアニメシリーズ合計26話において、μ'sは母校の廃校を阻止したのち、東京最強のライバル【A-RISE】を打ち破り、ラブライブ決勝戦を制してμ'sを解散した……が、物語最後の最後で劇場版決定の知らせが舞い込むという筋書きになっています。放送当時は「劇場版やるのは大いに楽しみで生きる活力も湧くのだけど、一応テレビシリーズをスッキリ終わらせてほしかったなあ」なんて贅沢な事を思っていました。

 迎えた劇場版を見て私は、エンドロールで思い切り泣いていた。

 先に結論から言うと、テレビアニメ最終回は「μ'sがラブライブと別れる」のに対し、劇場版は「私達ファンがμ'sと別れる」ために作られた物語なのだと考えています。

無印のあらすじ

 ラブライブの人気が高まって、それを海外でもやって欲しいと、優勝グループであるμ'sにオファーがかかる。3年生は卒業を終えていたため、これが本当に最後とメンバー揃って渡米。異世界と思うほど違う世界を体験し、不思議な出会いも果たした一行は、相応しい舞台に相応しい楽曲「Angelic Angel」で応えた。

 帰国後は海外ライブが想定以上の大ヒットでμ'sの人気は更に加速。「続けてほしい」との声が広がる中、「それでもμ'sは皆がいないといけない」とキッパリ解散する事を決断。しかし、この大ヒットへの返礼として、ラブライブというものが更に上の高みに行くためのラストライブを地元の秋葉で開催。各地のスクールアイドルを集めた豪華な顔ぶれの中「SUNNY DAY SONG」を披露して幕を閉じた。

 そしてEDでは、私達視聴者へ向けた明確な別れの歌「僕たちはひとつの光」でもって、μ'sの物語の完全な終わりを体験する。

 飛び立つ鳥が、次世代に繋ぐ羽根を残して去っていく。ラブライブ(無印)の劇場版は最後までそのテーマを貫き通している。海外・国内で行った2つのライブが、伝説に拍車をかける。

【続けてほしい】というファンの声と言うのは、作中も、私達視点も同じで一体感があった。ラブライブ=μ'sではないと分かっていても、それでも彼女たちと別れることになるのがたまらなく寂しかったからだ。SUNNY DAY SONG前に穂乃果ちゃんが駆けるシーンで落ちた花は、アニメ本編1話で髪飾りにしていた花と気付いた時、「ああ、終わる」と涙がこぼれた。

展開と歌の相乗効果

 劇場版には学年ごとに1曲ずつ。あらすじにて紹介した3曲の、計6曲が存在します。中でも物語の展開上必要な3曲に絞って紹介。

Angelic Angel
 PV時点で既に神曲。アメリカのど真ん中で和物衣装のダンス披露とか印象的過ぎる。最初のえりちがあまりにも色っぽ過ぎてクラクラする。元気をもらえる曲。天使はここにいた。
SUNNY DAY SONG
 物語上最後の曲。快晴、皆楽しそう、曲もスーパーアップテンポでスキップしたくなるほど。なのに最後の穂乃果ちゃん独唱部分で涙腺が崩壊する。お別れが近づくのに涙はいらないと言わんばかりの爽快感溢れる一曲なのにその演出は卑怯だ。
僕たちはひとつの光
 曲に各キャラの名前を織り込んだ至上の一曲。TVアニメ版からラブライブにハマった私は全ての思い出がフラッシュバックして涙があふれる。カラオケでは最後までまともに歌うのが困難。私ですらこれなら、【ぼららら】から一所懸命追いかけてきたファンは劇場でしばらく足が動かないほど咽び泣いたのではないかと思う。

 全曲あまりにも印象深過ぎるのは、曲が良いから……のみならず。物語の進行上、大事かつ印象的なシーンで効果的にしっかりと歌って踊ってくれるから。

 劇場版を見終えた後、各学年の曲は忘れてもこの3曲だけはしっかりと覚えていた。メリハリって大事。

以上を踏まえてのサンシャイン劇場版

 ここで話をサンシャイン劇場版に戻します。以前書いた感想記事には「劇場版は味のしないゴム」と酷評した私。しかし何故そこまで虚無に近いものなのかを、細かく説明する前に記事を畳んでしまいました。

 察しの良い方はお気づきでしょうが、サンシャイン劇場版は

 これまでμ'sからの脱却を図っていたサンシャインが、無印映画、つまりはμ'sが主役だった映画を擦ったような展開、主に海外旅行がある。

 故にμ'sが主役だった映画とどうしても比較しなければならなかった。先の映画で提示したテーマは「ラブライブ=μ'sではないこと」「μ'sと視聴者たちの真の別れ」「次世代への贈り物」など、最初の主人公たちである彼女たちにしか出来ないテーマが盛りだくさんだ。

 だから私はサンシャイン劇場版に本編の補完、或いはサンシャインの、Aqoursにしか出来ない物語を描いて欲しかったのです。

サンシャインあらすじ

 統廃合に伴い変わった学び舎は、オンボロの分校だった。本校で授業を受けたいという彼女たちの希望を通すために、スクールアイドル優勝グループであるAqoursがアピールしに行くが、卒業によって3人抜けたAqoursは失敗。途方に暮れる中、卒業旅行に行った3年生たちがイタリアから帰ってこないので捜索して欲しいと、小原鞠莉の母から依頼される。

 一路3年生組と再び会いに行くためにイタリアに行くが、実は小原鞠莉のお見合いをさせるために連れ戻す計画だと知る。まだ自由でありたいため、スクールアイドルを「よくわからない報われない戯れ事」と評価した母を見返すべく、ライブを行い見事納得させた。

 帰国後はライバルのSaint Snowの救済イベントや、6人だけ(?)のライブをして物語は幕を閉じる。

価値の乱高下

 まず。色々と言いたいことはあるのですが、「スクールアイドルの認知度・価値」がその時々において乱高下するのが意味わからないんですよ。

 小原鞠莉の母が「下らない」と切って捨てるのはまあ、自由かつ自分勝手かつ奔放過ぎる娘に腸が煮えくりかえっての事でしょうし。ただ、統廃合先の学校までスクールアイドル全国優勝と言う輝かしい成績をまるで霞のような扱いにするのは意味が分からない。これはテレビシリーズでもそうでしたが、スクールアイドルは無印、つまりμ'sが全国区に知らしめて認知度は跳ね上がったはずです。そこから恐らく何年か経過したにも拘らず、延々大したことのない祭典扱いされるのが納得いきません。

別に海外に行く必要なくない?

 そして映画の物語が単純にとっ散らかっていてわかりにくかった。舞台がオンボロ分校、新校舎、イタリア、北海道、浦の星。とにかく場面転換が多い。あれだけ沼津良いとこ一度はおいでなテレビアニメをやっておきながら全く地元へのフューチャーが足りないのはどういうことなのだろうか。

 そもそもイタリアに行くシナリオは本当に必要だったのだろうか? 前作を踏まえてとりあえず海外に行かせようって発想ではないかと疑いたくなる程、イタリア行きの意味を見出すことは残念ながら私には出来なかった。

 前作のμ'sは【海外へ行ってライブをする】明確な目標があったから、途中途中の茶々入れなく見ることが出来たのに、こっちは目標達成しても明確な答えは得られず【小原鞠莉を救うための突発ライブをする】ことになっているため、別に海外でなくても出来る事なのですよ。

 これなら沼津全てを使った、自然豊かな地の利を生かした逃走劇でも構わないし、ライブを学校の皆で作ってやるという最後にやることで「一致団結で作り出す感動」を母親に見せつけることだって出来るはずなんです。この母親を認めさせるライブを自分たちだけでイタリアで行い、更に帰国後に新校舎の連中に見せて納得させるという……「やってる事同じやん」とラストの楽曲を見て思った。

あまりにも小原鞠莉を優遇しすぎやしません?

 場面転換以外にも、中盤終了まで、既に卒業した小原鞠莉個人の物語を主にしているところも見逃せない。

 正直Aqoursのこれからを示す物語であるなら、3年生組の存在をそこまでクローズアップする必要はない。大事なのは今いる6人の次世代。これからAqoursがメンバーを増やしたり、6人だけで何か大きなことをするという物語になるかと期待していたら、出てきたのは小原鞠莉の家庭問題解決エピソードで尺のほとんどを食いつぶすというものだった。

 それ、今やる必要ある???

 小原鞠莉はテレビアニメシリーズでも散々好き勝手やってましたし、流石に今回は……と思ったらものすっごく出張ってる。1年生組にその出番の7割は恵んでほしかった。

 そもそも彼女は散々我儘勝手にやって、父親に何度も廃校を阻止したいと夜通し掛け合って心労を貯めたりなど、母親からしたら遊びに夢中になり過ぎて糸の切れた凧になっている状況に怒りを感じたって良い。「母は理解してくれない、自由にさせてほしい」と言うけど、

「いうてアンタ、本編でもかなり自由奔放にじゃじゃ馬娘だったじゃん」と突っ込みたくなる。人生を棒に振ってばかりの娘の思考を、ろくに説明せず家出ばかり繰り返す態度では理解されるわけないでしょうに。そこら辺は犬猿の仲だったためかまるで駄目。

 この親子関係については劇場版ではなく、本編のセカンドシーズン序中盤で2話くらい使ってやるべきだったと個人的には考えます。これがメイン3人程度の物語なら良いとしても、9人いるのだからここまで出番取ったら割食う人大勢いるでしょうと。

Saint Snowのその後はしっかり

 Saint Snow。Aqoursのライバルとして、共に高め合う協力者として八面六臂の活躍をした姉妹ユニット。その妹はSaint Snowを存続させるために部員募集をしたり、その過程で悩み苦しみ、最後はしっかり姉とのライブを果たして終わるし、エンドロールで新ユニット結成の兆しが見えたりするという……

 何でこれをAqoursメンバーでも出来なかったのかまるで分らない程充実した展開だった。揃って歌う【Believe again】は兎に角カッコいい。姉妹ライブはやはり強い。

 あまりにもスッキリ物語が展開されているので、サンシャイン劇場版のハイライトはここだと個人的には思っています。Aqoursはどうした……。

物語ラストライブはエモ爆弾不発

 生徒たちの協力を受けて出来上がったライブステージ。新生Aqours6人揃って踊り、3年生はそれを見ている……はずなのに、イメージ映像ではキッチリ歌っていた。

「まあ実際は6人だし」とかはわかっています。わかっているけど、これでは結局Aqoursは9人で、以後も変わらないと主張されているようで……

「じゃあ何のためにこの映画はあったんだ」

 私の心の中で渇いた笑いが浮かんだ。遠いイタリアまでわざわざ行って、6人でも頑張っていけるようになって、帰って来て6人+元浦の星+新校によるステージを作り上げ、ここは、次世代の、6人の、祭典ではなかったのか?????

 踊っているだけならまだ分かる。「いつもみんなの心にいる」という演出になるから、それならば別に良い。何故パート分けされている? 何故、門出をそっとしてやれない?? そんなに心配でたまらないなら留年でもしていたらどうだろうか? なんてことまで考えて歌どころではない。

 そしてそのままエンドロール突入……いやいやいや、全然、何をどう感動すればいいのかわからない。結局みんな一緒ですENDで、Aqoursのこれからの物語って何だよと頭を抱えてしまう。

 CD販売のためにこうなるのは大人の都合だとしても、それなら劇中はせめて6人で、CD版で9人verにしてほしかった。

 μ'sは「終わり」を提示するために、劇場版を私達に見せた。

 Aqoursは「続ける」様を見せなければならないのに、6人だけでは不安いっぱいな終わり方になったと感じる。

一滴の涙も流れなかった

 前作とは違うアプローチだったからでは済まない「どうして」を内包しながら進行したサンシャイン劇場版。イタリア行きも出立理由がフワッとしているし、受話器のシーンは「ええ…」とスピリチュアル要素全開で、特に物語上重要な伏線ってわけでもないし、母親への分からせライブだって何を歌っていたか覚えてない。……ので聞き直しましたが

【Hop? Stop? Nonstop!】でした。何で印象に残ってなかったかと言うと、これは個人的に単純にパッとしない。全員衣装がただの私服なので統一感なくバラバラ。そしてこの楽曲シーン、小原鞠莉の母を納得させる歌とダンスだったかと言われると首を捻る。これで満足するならラブライブ決勝の映像見せれば万事オッケーだったじゃん……。あっちの方が会場の熱狂もだいぶ伝わるし。

 その後帰国して、今度は新旧同級生と一致妥結からのステージ製作に着手するのは良かった。Saint Snowの救済も良いと思う。でも何故だろう、いやわかっているんですよ。

「これ単なる本編の延長線上にある物語でしかない」ので、涙が流れなかった。前作は「本編の延長線上にしてμ'sの完結作品」という一個で完成するものだったのに対し、本作はこれからも続いていくのだから当然別れに伴う涙は溢れない。

 ならばやはり、1・2年生組主役の物語にして、彼女達は統廃合後どういうことをしていったのかを見せてくれないと、「成長したな……」と後方腕組頷きも出来やしない。あるいは成長して少しだけ大人っぽくなっても「でも彼女たちは変わらないなあ」と笑える物語でも良い。テレビアニメシリーズは逆境と圧し潰しばかりでほぼ報われていないのだから、劇場版は幸せいっぱいでも構わなかった。

 ですがこれでは「全然やること変わらないのな」とため息しか出ない。成長の軌跡を見せられたわけでもなく、3年生組の進路がどうなったのかもわからず、新校舎での生活がどんな風になったかの展望も示されていない。見たかった物が全然見れなかったと言えばそれまでですが、少なくとも公式のあらすじを見てまるで納得できない有様。

浦の星女学院のスクールアイドルとして参加する最後の「ラブライブ!」で見事優勝を果たしたAqours。
新たな学校への編入の準備を進める2年生、1年生の前に、想定外のトラブルが連発!?
さらに、卒業旅行へ向かった3年生が行方不明に!?
離れ離れになって初めて気づく、お互いの存在の大きさ。
新しい一歩を踏み出すために、Aqoursが辿り着いた答えとは——?

みんなで目指した輝きのその先へ!
未来へはばたく全ての人に贈る、最高のライブエンターテインメント・ムービー!

ラブライブサンシャイン公式ホームページより引用

【輝きのその先】と聞いて連想したのは、不朽の大傑作『THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!』。あちらはしっかりと「物語終了後のその後と色々な伏線回収、圧巻と衝撃のライブ、その後どうなっていくかの展望を匂わせ」を全て見せてくれた。

 そういう傑作を知っているとなお、スッキリしない終わり方。かといってもう一回見たいという意欲もわかないために、前回の記事では多くを語らずにいました。

 結果的にもう一回、dアニメで飛ばし飛ばし記憶を掘り起こしながら視聴したら、長々綴った粗に気付かされたり、どうして記憶の奥に沈んでいたかの理由も何となく思い出せた次第です。

最後に

 劇場版ではなく、特別版のアニメでやっても大丈夫そうな出来。劇場公開時にこれを見ていたら、「で、サンシャイン続編はいつ? まだありますよね??」と思っていたかもしれない。

 しかし現実はサンシャインは以後鳴りを潜め、虹学、スーパースターへと続いていくわけですよ。スーパースターで彼女たちのその後が触れられるとありがたいですが……世界観は同じでも別作品との接触は出来ないようなので、その望みも薄いですね……。

サポート1人を1億回繰り返せば音霧カナタは仕事を辞めて日本温泉巡りの旅に行こうかなとか考えてるそうです。そういう奴なので1億人に到達するまではサポート1人増える度に死に物狂いで頑張ります。