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その世界に個人Vtuberは存在しません

 音霧カナタはVBlogerを名乗っています。しかし最近知ったのですけど、ブログ書く人ってBlogerじゃなくてblogwriterとかって言うこともあるらしいです。数カ月程自信もって名乗り続けたこの失態(?)をどうケアしようとこねくり回すこと2分。

「ブロガーってつまりブログ人。私は音霧カナタ、バーチャルな人。ブログな村の住人ってことにすればチャラじゃね!!?」

 完璧な理論武装と意気込んでこの場に立っているけど、これって馬鹿には見えない武装じゃね???? とか思っています。つまり裸一貫。生き恥です。

 さて、そんな茶番はさておき。企業Vtuberが栄枯盛衰で増進しています。個人Vtuberでも、他方面に活躍する人も増え、議員も漫画家もVtuberを気軽に始められる時代です。「もっとバーチャルならではの事が見たい」と思っている層には甚だ不愉快かもしれない状況でしょうが、この闇鍋的な面白さこそがVtuberだと私は思っています。闇鍋の中で化学反応を複数億回起こしている印象です。それが2017年末から、2020年半ばの約3年間で起きた。

 今回の記事は、個人Vtuberの簡単な変遷から、「いなかった場合」を予想した考察文を並べるものとなっています。興味ある方はこのまま下へ読み進めていただければ幸いです。

個人Vtuberとはなんぞ

 その名の通り、企業に属さずに己の身一つで頑張るVtuberの事です。ツイッターの宣伝広報、実況、動画制作、健康管理を主としています。これで生活しようとするならば、スケジュールマネジメントに各社営業やイベントの参加も不可避です。趣味でやる人とガチでやる人の境目が明確。

欠点:企業によるバックアップがないため、批判・アンチや失態の責任諸々を自分で受け止めることになります。伸びたいと思っても簡単に伸びない場合はメンタルケアも必須です。

利点:パソコンやスマホなどの電子機器があれば誰でも始めることが出来ること。低スペックよりハイスペックの方が良い、個人的にはPCをお勧めします。

 そもそもは「のじゃおじ」が爆発的に伸びたことで、「声が美少女でなくても良い」「自分で作れるの⁉」となって、個人と言う一大勢力の呼び水になった。最初は動画勢で一杯でしたが、今は配信が多めです。

Vtuber黎明期に四天王しかいなかったら

 Vtuber四天王と言えば、キズナアイ、ミライアカリ、電脳少女シロ、輝夜ルナ、のじゃおじの5人。……仮に、のじゃおじという個人Vtuber(今は違う)がいない、真の意味で四天王だったらどうだったろうか。

必須:可愛い声と素敵な3D

 先にあげた4人とも、全員ハイクオリティなモデル(体)です。カクツキのあるシロちゃんにルナちゃん、めっちゃ動くアイちゃんにアカリちゃん。当時としてはトップクラスの技術と、お金を注ぎこまれたことでしょう。多分、のじゃおじがいない場合でもVtuberは流行っていたと思います。よりアイドル的な側面を重視した界隈になっていた。

「汚い話題」を一切出さず、「素」を一切出さない。そしてVtuberは全員、「可愛い声と素敵な3D」が当たり前になっていた。それ以外はVtuberとさえ定義されなかった……かもしれない。

 ですから後々Vtuberとして個人勢が芽生えたとしても、3D技術がない上にボイチェンだったら総スカン喰らうでしょう「お前がVtuber語るとVtuberの品位が下がる」とか言われて。相当金をかけねば個人勢として成り立つのも難しかったと思います。

SUNTORYからノムさんが生まれない可能性

 SUNTORYのノムさんなら生まれていたと考える方へ。いいえ、多分生まれていなかったと思います。SUNTORYならば確かに有り余る資金力でVtuberを生み出すこと等、裕福な老人が子供に100円渡す感覚で容易く実行できるでしょう。しかし100円ぽっちとて、見知らぬ子供に理由もなく渡すほど財布の紐は緩くない。

 Vtuber界隈が盛り上がっている。個人勢が大勢賑わっていて、多くの若者が夢中で見ている。→これは宣伝効果が望める。自社でも用意しよう。

 Vtuber界隈が盛り上がっている。四天王が中心になって多くの若者が夢中になってみている。→これは宣伝効果がある。CMに起用しよう。

 自作や受注が大量にあり、3D技術の習熟が広く周知されている今の界隈。運営ノウハウ,留意点,費用対効果などがある程度試算可能です。先人が切り拓いた道がだいぶ舗装され、後進ほど先陣を上回りやすいのが今です。マーケティングもイメージ戦略も、若者へのアプローチのためにどういう存在が受け入れられるのかを考える。大量のデータ、試算、この界隈は伸びるとSUNTORYが判断したうえでノムさんは生まれたのだと推察します。

 これが4人を主とした界隈の場合、3D=専門技術で凝り固まっていたでしょう。若者のデータも不足していますし、Vtuberの運営方法も良く分からない。1から生み出し作り上げるというのは未知の領域で、専門技術を持つ者を招集して作らせた場合でも、ノムさんではなく別方面のVtuberが生まれていたと思います。しかし自作なんてのはほぼやらない。既に知名度があって人気も安定したVtuberにCMを打診するのが普通でしょう。

にじさんじは生まれていない?

 現環境で最大手の座に君臨しているにじさんじですが、3DこそVtuberだという時代の元では、2Dで生まれてもインパクトが弱かったかもしれない。そもそも1期生というSSR8連ガチャを引けたかどうかも分からない。以後、流行り損ねたら当初の予定通りメンバーを解散させ、アプリを残して事業を畳んでいたまであります。正確にいえば、今いる100人相当のライバーの8割を見ることなく終わっていた可能性が高い。

 そうなるとつまり、

アイドル部、ホロライブも生まれていない

 2Dという比較的用意しやすいVtuberとしての体を次々生み出し軌道に乗るにじさんじ。数的な有利は圧倒的で、これに続いたであろう電脳少女シロちゃんの運営会社が打ち出した「アイドル部」。そして我が女神、ときのそらちゃんの運営会社が展開した「ホロライブ」。

 この2団体も、にじさんじが流行らなかった場合は賑わいもなかった。何故なら数の有利は分かっても、2Dではなく3D至上主義世界の場合、3D体を用意しなければいけない。無論、2Dに比べて予算はかさむでしょう。選定も遅々とするし、箱と言う概念が生まれるのも先になること請け合いです。

熱狂が冷える

 思ったことはないだろうか。日常系のアニメが1クールと言わずにもっとずっと続いてほしいと。私も何度か思ったけど、実際やられたらきっと途中で飽きていたかもしれない。

 同じ面々がYouTubeの流行りに乗って動画を展開するのはきっと半年なら見続けられると思います。でもその先はどうでしょう。あまり新規参入しない界隈だと、真新しさに欠けます。お行儀よくアイドル性を打ち出し、動画主体ゆえに物語性はあまりない彼女たち。

 熱を上げるには火が必要で、火力を上げるには薪をくべねばならない。しかし薪の本数がまるで足りない。そうなると落ち度はなくても、だんだん熱狂は冷めていく。

3D技術が進展しない可能性

 Vtuberが仮にこの先滅んだとしても。3D技術の飛躍、アバター文化の可能性提示等で、確実に有用な遺産となる。初期に用意されたにじさんじの3D、その進化を見れば進展がわかるし、最近だと個人勢(企業バックアップ)がお披露目配信でとんでもないレベルの3Dを魅せつけました。

 ご存知の方は少ないかもしれませんが、3Dアバターで行くVRCHATがVtuber界隈の陰でメキメキと力をつけています。

 3D技術の進展で大きく恩恵を受けたのは間違いなくここです。ハイクオリティなボディを手に入れ、祭りに参加するもよし。それを眺めるために行くも良しで、素敵な祭典です。切磋琢磨って言葉もある通り、複数のクリエイターが存在するとしのぎを削ります。競争相手あって初めて進む技術もあります。

才覚を発揮する場が奪われる

 にじもホロも見ていると、「こういう面白い人何処にいたんだ」という疑問が常に頭を過ります。そしてVtuberがない場合、この人たちは今何をしていたのだろうとも。意外に私たちの身近に、彼らはいるのかもしれない。
 しかし私たちはそれを知ることはない。彼彼女らがデビューしなかったらそういう才能も人柄も姿を現すことはなかった。

 仮想の体で現れた才能あふれる人を見つけることが出来る。それって結構素敵なことだと思います。

まとめ

 個人Vtuberが現れなかった場合をひとまずまとめると、

・Vtuberを名乗るハードルが相当高くなる
・大半のVtuberは生まれていなかった可能性がある。
・ブーム自体が1年以上前に終わっているかもしれない。
・3D技術がまだ進んでいなかったかもしれない。
・Vを名乗らねば出てこなかった縁がある。

 以上大きく分けて5つあります。結んだ縁は大事にしたいものですね。賑やかじゃないVtuber界隈はきっとつまらないので、続く限りはエンタメに振り切っていただけると幸いです。

 それではこの記事はここまで。音霧カナタがお送りいたしました。感想コメント、ハートマーク、よろしくお願いします! こう言うとVtuberぽいですよね!

サポート1人を1億回繰り返せば音霧カナタは仕事を辞めて日本温泉巡りの旅に行こうかなとか考えてるそうです。そういう奴なので1億人に到達するまではサポート1人増える度に死に物狂いで頑張ります。