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【短編小説】白くて可愛いふわもこの

 隕石に似た宇宙船が日本に墜落した。

 大きさは違うが、形状は薬のカプセルで、中にはガラクタと化した機材があり、白い粉が埃の如く舞い上がっていた。防護服を着込んだ調査班によれば、宇宙船には亀裂があって、白い粉が夜空に飛散した可能性がある。

 政府は緊急声明を出し、この粉が何かを突き止めるまで、外出を控えるよう国民に呼びかけた。

 ……それから3日が経ったが、満足なデータは取れず、解析に時間がかかっていた。国民は、隕石の落ちた場所から100km、50kmと、非通常生活範囲を徐々に狭めていった。「どうせ大丈夫だよ」という楽観的な姿勢で外出し、出勤し、世の中は何事もなかったかのように進んでいく。

 国家が他国からの調査を受け入れしている時、政府高官がホクホク顔で遅刻していた。手には白くてフワフワして得体のしれない可愛いものがあった。餅のような柔らかさの物体には、黒点が2つ。恐らく目なのだろうかと目撃者は話す。

「可愛いとは思いました。ですが、あれだけ頭の固い、仕事にも熱心な方が遅刻をし、更に場所を憚らず手に持って頬ずりしているのを見て、何かおかしいと思い解析班に伝えました」

 即刻政府高官は、防護服に身を包んだ者たちに連れられた。行先は隔離施設だ。鉄壁で包まれた部屋の中には、穴と言えば空気供給管からしかない。そんな異様で色気のない場所に連れられていても、政府高官は丸い何かを溺愛してやまなかった。

 隔離施設内にはいくつも部屋があるのだが、老若男女問わず入っていた。登下校中だったろう少女、仕事中だった青年、足腰の弱い老人など。皆、宇宙船から100km以上離れた場所で、白くて可愛い丸いものを発見し、それを溺愛している。

「あれは細菌か何かと思っていましたが、違います。あれは生物です。極めて人間の脳に深刻なダメージを及ぼす劇物です。非人道的ながら、実験でさまざな器具を用いて、収容者に苦痛をもたらしたところ、全員脳に刺激が行ってなかったのです。可愛いという思考に汚染されて、それ以外を受け付けない状態になっています」

 政府は再度、【白くて丸いふわもこの生物】には触らず、すぐに離れることを発表した。すると、SNSで「政府は嘘を言っている」「政府の言うことは信用できない」「ふわもこセラピー」など、恐らく感染者であろう者たちの投稿が溢れた。解析班は調査班と連携して夜通しの研究を行った。調査班が赴いた市街地は、宇宙船落下地点から半径50km白い粉の気配はなく、通常通り生活している人が大半だった。異常なき空間には、違和感しか感じなかったが、聞き取り調査も知らぬ存ぜぬばかりで、手応えはなかった。

 隕石が降って6日目に事件は起こった。

 監視カメラにあった政府高官の動きが、途端に止まり、肌の色がみるみる漂白されていく。呻き声を上げていて、他の収容者も同様に苦しんでいた。
サッと血の気の引いた解析班長が、空気供給管を閉じるよう指示。閉じ切った時、【パン】という弾ける音と共に、政府高官が体液をぶちまけて、白い粉が体内から大量に飛び出し、部屋内を白濁色に染め上げる。

 他の部屋の者も同様だった。映像の衝撃に耐えられずに吐き出す者もいたが、それを咎める者はいなかった。明らかに人間の人知を超えた何かが起こっている。そう悟って変な笑い声をあげる者もいたが、それも止めなかった。

「解析班は冷静でした。空気感染の可能性を考慮したり、即座に政府へ通達したりと。他国から来た研究者たちの何人かは、『こんなことありえない』と呻いていましたが、中には発狂してしまった者もいたのでまだマシです」

 空気感染だった場合、既にあの市街地も危ないと思った解析班は、調査班に依頼し、再び赴かせた。白一色の光景が広がっていると覚悟していた調査班だったが、あったのは白一色に、パニックに陥った民衆だった。
防護服の彼らに掴みかかった女性は、目の前で夫が爆発したと半狂乱で、すぐ近くで泣いている子供は兄が弾けたとガタガタ震えあがり、逃げ惑う者たちは警察の張った規制線に過剰反応していた。全員まだ生きていることで、空気感染の可能性は現状低いと判断した調査班は解析班に連絡。

 同時刻、解析班は嫌なものを見ていた。人間だった構成物質に降り注いだ白い粉が、水分に付着して次第に膨張し、周囲の白い粉や育ちかけのものを吸収してふっくら丸く可愛いものに変わったのだ。1人だった物につき数体。跳ねても30㎝程度で、頻度は少なく移動手段もそれだけ。逃げるのは容易だ。各地から寄せられた情報量が殺人的に多かったが、精査して、行方不明者という名の犠牲者は数百万人に及んでいることが明らかになった。

「恐ろしい爆発力でした。しかもまだ白いふわふわ可愛いは存在する。何なのでしょう。ふわふわは人間の知らない恐るべき存在でしたが、人間はいつの時代も病魔に屈せず進歩してきた」

 遺書を残したという若き男性調査班は、決意の眼差しで、防護服ごしに白いふわもこの生物に掴みかかる。瞬間、何か電気ショックを受けたかのように体を跳ね上げて、ありったけの自意識で白い何かを投げ捨てた。ガタガタと震えた男性だったが、数十分で自我を取り戻す。何が起きたのかを、隔離部屋内で解析班に伝えた。

「頭の中に、『こいつは可愛い』という衝動が、一瞬で脳を染め上げるような……頭の中を別の色に、景色に変えてしまいかけていました。防護服越しなのにこれです。生身ではどうなるか見当もつきません」

 可愛い見た目をしている白くてふわもこの何か。宇宙から飛来したエイリアンとして世界が注目した。空気感染はしない、触らなければ実害はない。
しかしどういうわけか、犠牲者が後を絶えない。

 触ってはいけないと絶叫する母の言葉が届かなかった子供。夜道で塀の上から跳ね飛んだふわもこに当たった老人。日本各地で、そして世界各地でこの生命体が散見されるようになった。

 更に数日後には、「粉自体は何もしなければ何も起きない」という暫定的な結論を下した。老い先短いと覚悟した名も知らぬ老人が、決死の覚悟で粉を多量に飲んで、1週間を変化なく生き延びたことで証明されたのだ。

 また、「接触は得物であっても厳禁」だというのは、錯乱して刀でふわもこを駆除しようとした男性によって発覚。勢い良く振りかぶった上段切りが、ふわもこに接触した刹那、勢いが急停止し、奇怪な震え方をしてすぐさま刀を捨て、ふわもこを取ったのだ。

「炎上耐性がある」ことは、隔離部屋を内部燃焼させ、500℃で熱したが、活動に支障はなく、火炎放射器で焼き払っても影響はなかった。逆に、冷却には弱く、低温下に置けば活動は著しく鈍り、-10℃以下で完全に停止。その際、氷越しに防護服着用状態で触れても、洗脳行為はされなかった。
(洗脳されていないと嘘をつく可能性を考慮し、被験者を20日ほど軟禁状態にした。ふわもこが体内で繁殖することはなかった)

 次第に明らかになっていく生体と対策、ふわもこは依然健在だったが、吸引と冷却を施す装置の開発、集めて収容する施設、粉だけを集める施設など、徐々に徐々に追い詰めていった。

「死んだ者たちのためにも、この勝負は負けられないのです。ふわふわ可愛いをあと少し、あと少しで倒せるにまで至った道のり……無駄にはしない」

 そしてついに。ふわふわは世界から駆逐された! 粉や、冷却処理したふわふわは、安全に廃棄する方法を模索することを政府は約束した。こうして、世界は救われたのだった!













パン。
パン。パン。
パン。
パン。パン。パン。パン。

受精とは。億を超える精子の大群が、たった1つの卵子に命を与える生命神秘の極致だ。いわば、神の御業に等しい行為である。

パン。パン。パン。パン。パン。パン。

ある者は考えた。そういった常識にとらわれず、あらゆるものに受精をし、精子の如く大量の子供を産むような生命を造れないかと。自分も神のようになれないかと。

パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。

しかし生まれたのは失敗作だった。物は言わない。自己主張は強い。繁殖力は強いが、存在しても益にならない。命というには余りに粗末で、あまりにも傍若無人だった。

パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。パン。

捨ててしまおう。新たな動物を作ろう。造物主である神の成りそこないは、見た目だけは可愛い失敗作を、小さなカプセルに詰めて隕石でコーティングし、宇宙に捨てた。





 解析班は壊滅状態になった。皆一様に、ダラダラと血を流し、銃口を頭蓋に押し当てられては、1射ごとに1人ずつ死んでいく。だが彼らにはそんな痛みなどどうでもよかった。死すらもどうでもよかった。

 ただただ、深い絶望の海に彼らは沈んでいた。

 解析班は最後まで防護服を付けていた。平和になった外界を知らずに、隔離施設にいたのだ。

「粉をくれないか」

 ある時から解析班に、そんな注文が政府から寄せられるようになった。未だ完全消滅の目途が経っていない粉を譲ることは出来ないと拒絶したのだ。

『大変だ……失敗だ……俺たちは……最初から失敗していた……最初から詰んでいた。ごめん皆……俺たちは狂人になりたくない……ここで死ぬ』

 政府の行動に不信感を抱いた解析班は、調査班を街へ向かわせた。街は、皆が、白くて丸い生き物を欲していた。

白くて可愛いふわもこの
白くて可愛いふわもこの
白くて可愛いふわもこの可愛い生き物

 粉から生成する術を知っている者たちは、解析班たちを一網打尽にし、死体にして、保管されていた粉を振りまいた。

「ふわもこは人間の脳を侵していく。触った時、それ以外にも、粒子を吸い込むごとに徐々に、徐々に認識を狂わせていく。潜伏期間は1年。あの状況下では、調べることが出来なかった……」

 解析班長は、最後の1人となった正常な人間として、何も出来ない。

「ふわもこ可愛い様を崇めよ」
感染者が高々と、白く不気味な生き物を掲げた。

白くて丸い
闇色の黒点が2つだけ付いた
物言わぬ不気味な球体。

 この不気味な生命に人間は食い散らかされるのだろう。それに対し抵抗する意思も、既にこの世から消滅した。これは狂人と化した人間が言うところの、可愛い存在なのだ。絶対頂点なのだ。

「さようなら人類よ……ただの卵子となり果てた者たちよ……」

遺言が乾いた銃声でかき消された。
人間は安寧と癒しの存在を手に入れた。
その宴は続くだろう。
やがて地球が白くて丸い星になる、その日まで。

サポート1人を1億回繰り返せば音霧カナタは仕事を辞めて日本温泉巡りの旅に行こうかなとか考えてるそうです。そういう奴なので1億人に到達するまではサポート1人増える度に死に物狂いで頑張ります。