鬼滅の刃 遊郭編最終話感想

 やっぱりだけど泣いたわ。情報サイトに近寄らずに朝方に最終回を視聴したのですが、もう駄目だ。鬼の最期は生前の記憶やそれを踏まえての死という二段構えで切なくて可哀そうになるし「でもやったことは許されねえぞ」とギリギリ情に惑わされずの均衡を取ろうとして、取り切れずに涙腺が緩んでしまう。

※この記事は遊郭編最終話のネタバレを含みますので、未視聴の方はご注意ください。

環境次第でこうも違う

炭治郎:生まれ育ったのは人気の少ない山奥で、大家族の長男で、自慢の美人な妹がいて、しかしある日鬼に全てを奪われてしまう。だが鬼を憎んで「やられたことを償わせる」のではなく、妹を元に戻すため、悲しみの連鎖を断ち切るために戦うという「自分」以上に大事なもののために戦う。

妓夫太郎:生まれ育ったのは他人と比べ、蔑まれる雑踏止まない貧民街。自慢の美人な妹がいて、しかしある日、奪われてしまう。神も仏も人間も憎んで「やられたことを取り立てる」ために、「自分」と「妹」のために戦う。

 この2人の対比は本当に遊郭編の見所であり、しかし「どちらもただ幸せを求めている」のは同じというのが切ないんだ。

情けない声の帰還

 かっこよさに振り切った善逸も良いけど、やはり彼のキャラクターにベストマッチのこの、情けない声が好きだ。一気に物語が終局したんだという確信に繋げてくれる。日常に戻っていけるんだというホッと一息がここにあった。ありがとう情けないボイス! というか毒を喰らっていないの善逸だけという素直な驚き。回避性能や音を拾う力といい、天元様の継ぐ子にふさわしいのではないかな? 相性は最悪だけど。

ねずこの炎でリア充を燃やせ

『ねずこの炎』って、何だか少年サンデーで連載されていた某漫画みたいなタイトルだけど、彼女の炎は一級品だった。無限列車でも披露していたが、人を燃やす色に見えない優しい、白みがかった癒しの波動を感じる。

 浄化ならぬ浄火で天元様の毒を全て燃やし尽くすのは漫画で読んだ時もそんなのありかよと突っ込んだ記憶。でも確かに下弦の五には技の封殺、下弦の一には眠りからの回復と、きっちり効能は描写されていたので今回でそれらが線でつながって「人を守る血鬼術」だったことを証明してくれた。

 でも流石に裂傷まではどうにもならないので、天元様はやはりあのまま死ぬんじゃないかとも思ったよ。

妓夫太郎の兄妹喧嘩

 先ほどまで疲労困憊でねずこにおぶってもらっていた炭治郎が、鬼の兄妹の口汚い罵り合いの喧嘩をしているのを見て、明らかにライン越えの域に達していると察した瞬間に疲れた体を無視して自分の脚で駆け寄り、妓夫太郎の口を押さえてあげるの本当に、本当に泣ける。

 もう居ても立ってもいられなかったと行動で示している。彼の優しいとは私の好きな優しいの解釈に近くて「人の憂いに寄り添ってあげる」感じなんだ。その上でやったことの罪や、恨まれるなどのことをしっかりと諭してあげるのも、厳しい中に優しさがある。

やられたことを取り立てていた

「虫けら。ぼんくら。のろまの腑抜け。役立たず」10話で炭治郎を詰りまくっていた時のセリフが過去、自分が受けていた台詞とぴたり一致するのは彼が過去を今でも朧げに記憶していた証ではないだろうか。

 母からは殺されそうになったり疎まれたり、周囲からは唾棄されていた嫌われ者で、不幸の星に生まれたような存在と。過去を知ってからもう一度初登場回を見返すと「少しでも幸せなら何にでも羨む」のは必然と思える。ましてや嫁3人や命の恩人と称号が眩しいことこの上なかろう。柱の中でも天元様ほど、妓夫太郎の神経を逆なでる存在はいないし、彼ほど妓夫太郎討伐に最適な柱もいない

 ところで妓夫太郎の名前の由来についてはアニメだとバッサリカットされたけど、まあ他の鬼(魘夢や累)の時だって詳細な説明も漫画ではなかったし、「取り立て人」の意味は知らずとも見ればわかるから大丈夫でしょう。「わからない人は単行本を買ってね」という露骨なマーケティングの呼吸を感じる!

当時の上弦の陸

 ついに現れた! 「俺は優しいから」と言いながらこれまでのどの鬼よりも直接的に人間を食べている描写に容赦がない不気味なイケメン鬼。

「トレッビァアアアアアン」とか「特に意味はない」とか「使うなと言われたら使う」声をしている。私の予想は中村悠一さんでしたが、巷であふれる大方の予想通り【宮野真守】さんでした。いやもう皆さんすげえな!!?

 こいつの勧誘を受けたために兄妹共々鬼になった……けど、じゃあ他のお坊さんとか優しい人と出会っていたらよかったのかって言うとそれはない。地獄にたらされた蜘蛛の糸の如き最愛の妹を生きたまま燃やされる世の中で、「もはや神や仏も見捨て、自分たちに本当の救いをくれる者はいない」と絶望している状況では聖人と出会っても追剝をして終わりだ。だからこそ対極の鬼となることを良しとしたのも頷ける。

分かれ目を何度でも違えない

 自分さえいなければ妹はもっと素晴らしい未来があったのではないかと、地獄行きの途中で思う妓夫太郎。疑いもなく付いてこようとする妹には別の道へ行けと突き放す。同じ道を歩めば待っているのは誰かを恨み嫉み生涯救われない外道に堕ちるから当然だろう。

 この時の妓夫太郎の声がもうひたすらしんどくなる。離れたくない気持ちと離れるべきだという気持ちが入り混じった、冷静沈着な妓夫太郎らしからぬ感情放出全開の喋り方だ。しかし、突き放しても妹は兄の事を慕うことに変わりはなくて。この場面で私の脳裏に、10話のねずこの言ったセリフがフラッシュバックする。

「お兄ちゃんなら分かってよ、私の気持ちを、わかってよ!」

 炭治郎も、一度は負けを確信し、心の底で妹に謝っていた。だけど欲しいのは謝罪などではないというのを告げられた。アレがそのままこの状況だ。妹は兄の思う明るい未来とか、兄のいない世界ではなく、兄と一緒にいる未来を選んでいた。

 何度生まれ変わっても鬼になると妓夫太郎は言ったが、何度生まれ変わっても兄妹であり続けたいと、慕い度100%越えで私の涙腺が壊れた。

 この時の妓夫太郎の表情よ……。先ほどまでの相手をギッと睨みつけるような、ナメクジが肌を伝うような視線を放つ目ではない。眉も下がり、首に回された妹の腕を片手から両手でそっととる場面とか、「もうお前本当に妹大好きなんだな(滂沱)」と私は泣きまくっていた。しかもだ、あれだけ突き放そうとしていたのに、やっぱり振りほどけない。振りほどこうとしないというのがもう、もうね。そしてだらんとした膝裏に手をまわしておぶって行く。

「妹を守ってやる」という確固たる決意が漲る背を視聴者に見せながら地獄へと向かう妓夫太郎は、誰が何といおうとお兄ちゃんだった。

Q:蛇の好感度はいつ上がりますか?

A:まだですー。

Q:この続きはすぐやりますか?

A:まだですー。

 でも続報はあったので救われた。昨日の予想記事では「劇場版」がくると踏んでいたのですが、TVアニメ版が来るそうでよかった。私の最推しである無一郎が来る! 恋柱も来る! こんなに素敵なことはない!

 いやあ、大満足の遊郭編でした。極上の作品に仕上げてくれたufotableには本当に感謝です……! 次回は当然刀鍛冶の里……ですが何卒、何卒遊郭編の劇場版を……! 映画館でぼろ泣きしたいです!

サポート1人を1億回繰り返せば音霧カナタは仕事を辞めて日本温泉巡りの旅に行こうかなとか考えてるそうです。そういう奴なので1億人に到達するまではサポート1人増える度に死に物狂いで頑張ります。