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Vtuberとの付き合い方 其の3「V=x」

 外を歩いて人とすれ違う。すれ違う。100人程すれ違った時何が見えるかといえば、良い服を着ていた、顔立ちが良い、可愛い、足が綺麗、手が綺麗等等。いわば外面部分しか見えない。そんなのは当たり前で、もしかしたら僕たちがすれ違った人物たちは本当にこの世にいたのだろうかとすら思ってしまう。

誰だってX

 数学で言うXとは、変数を指す。関数と少しのヒントを用いることでその正体を知ることが出来る数学におけるパズルゲームの記号だ。しかし現実には関数のように「絶対」を指し示す定規も定義も存在しない。V=xというタイトルはそういうことです。

 例えば日々私の記事を見ている熱心な方にとって私とは何か?? 真面目だったり素っ頓狂だったりvtuber記事やアニメ記事も書くし最近はスマホに心を掻き毟られている有様だったりと……あれ、醜態しか晒していない??? いやいやそうではなく。「音霧カナタさん=」の先には何を当てはめるか。きっと正確な答えを示せる人はいないでしょう。

 何故なら私は自分の顔を晒していない。自分の声も晒していない。実名すら。30代を謳っているけど、実際はもっと老けているかもしれないしその逆かもしれないし馬鹿正直に30台を名乗っているかもしれない。痩せているか、太っているか、グルメに興味ないか、独身童貞ならぬ既婚者かもしれないとか。もっというならこの記事上でも自分を取り繕って発信している可能性もある。

 正体は不明だ。記事の断片から音霧カナタの想定図を生み出すことは出来ても、実像に100%一致する解答は私が示さぬ限り永遠に訪れはしないでしょう。そしてそれを明かすことが面白いかと言われると「いや別に」となるので音霧カナタは考えるのを辞めた。

君の推しもX

 大量の動画に大量の配信の中で、プライベートな事をネタにしたりする人もいるかもしれない。しかし100%ではない。本当に取り扱えないギリギリのところは伏せるもの。そんなのは当たり前。ファンならば全て知りたいでしょうが知る必要のないことなので気にすることもない。

 年齢については前回の記事で伝えましたが、実は君の推しには……恋人が既にいるかもしれない。君の知らないところで異性のVtuberと恋仲になっているかもしれない。何なら子持ちの主婦がVtuberやっているかもしれない。だから『ガチ恋』と迫る人はこの部分を絶対に見たくないだろうし、知りたくも聞きたくもないだろうし、いると分かれば「こんなに辛いなら愛などいらぬッ!!!」と血の涙を流すかもしれない。

 でもこれって要するに、V=xという式しかない問題でも何でもない存在に対して、「V=x V+俺=幸せ」という勝手な式を組み込んで解答を得ただけに過ぎない。変数が何であろうと愛してやるという見上げた根性の漢なんて頑張って成るしかないのだ。私だって推しに恋人がいると分かれば動揺必至だろう、動揺しない奴などいませんよ。

 でもその不確定要素を楽しむ事が出来る、心のゆとりがある者こそ、Vtuberというコンテンツは深みにはまり続けて抜けられなくなる。

Xの大ヒントを提示する強者

 おめがシスターズはVtuber界隈の中でも古参で、生放送よりも動画投稿に重きを置くスタイルを続けてきたVtuber。ごく最近に投稿されたこの動画では、【実写おめがの箱ちゃん】と【マジの出産報告】を成し遂げた。こういう出産報告って、アイドルとして振舞うVtuberなら避けて通る道なのだけど、別におめシスはそういう路線ではないので全く問題ないと思う。

 この出産報告より以前にも、結婚したことを打ち明けるVtuberだっていました。最近ならファンと結婚したというVtuberもいる。実は子持ちのことをデビュー前に告知したりする子もいた。実におおらかで良いと思うから私は祝福の拍手しか贈るものないけど、「そんなの許さない」と思ってしまう方は表側に出す出さない以前に、【V=x】というのはいつでも頭に留めておくのが良いよ。

まとめ

 自分の知っている他人の姿は、ほんの一部に過ぎない。変数体にこうあるべきと押し付けても軽々式を潜り抜けてしまう。

 V=x。これを理解した上でVtuberを楽しむと気持ちが楽になる。

次回「V仲にも礼儀あり」お楽しみに!

サポート1人を1億回繰り返せば音霧カナタは仕事を辞めて日本温泉巡りの旅に行こうかなとか考えてるそうです。そういう奴なので1億人に到達するまではサポート1人増える度に死に物狂いで頑張ります。