劇場版を見る前にガンダムSEEDを一気に見た感想
ガンダムSEED。
こんなに面白いものを食わず嫌いしていた愚か者こと音霧カナタ。
しっかり全話見る派
『劇場版ガンダムSEED FREEDOM』が現在大ヒット公開中ということでこれを機にシリーズ作品を見ようとdアニメストアでHDリマスター版を視聴開始。そして先日SEED最終話を見終えた私、人目を憚らない場所だったら泣いていたに違いないほど感動していた。YouTubeには40分以内で全話振り返る動画もありますが、とんでもねえ……私は全部見る! 全部見たうえで映画に行くんだ! だからこの記事書き終えたら運命も行きますとも! 無論倍速はなしだ!
因みに振り返り動画はほんの少しだけ本編と違う味付けがされているので、全部見た後でも見て欲しい。
私のガンダム遍歴
『ガンダムW』『X』『00(劇場版含める)』
『水星の魔女』(全話感想記事あり)
『Z』『ZZ』『0083』『ポケ戦』『ビルドファイターズ』
(全話視聴した作品のみ)
※ここから先は【機動戦士ガンダムSEED】のネタバレを含みますので、「俺も一気に見るぜ!」な方は今すぐブラウザバックを推奨します。
「知れば誰もが羨む」か?
私はガンダムSEEDを視聴する前、何だかスタイリッシュな作品というイメージがあった。すげー主人公が思う存分力とガンダムを駆使して戦う英雄譚みたいだと。
……最終話まで見て「知れば誰もが羨むだろう」とクルーゼは言う、ここまで辿ったキラの物語を全部見てきた身からすれば「知らん人が作品を見ずに喧伝を聞けば羨むね」と思った。だってそれは、SEEDを見なかった私が抱いていたイメージそのままなのだから。
他者より優れた人間を人為的に生み出す技術、その粋を結集した、コーディネーターの頂点、それがキラだ。スーパーマン的な立ち位置で、基本的に負ける事はない。しかし、戦争中における「負けない=多くの敵を屠る事」なので、作中ではいつも自分の手を汚していくことに心を囚われてしまう。
「俺は喧嘩が好きなんだ!」みたいなバトルマニア気質であったなら問題ないけど、そもそも彼は戦いを拒む平和主義者だ。自分以外に戦士の役を任せる人がいないから、守るためにはやりたくもない戦いに出て、敵を倒すしかない。少し内気でどこかぬけているけど優秀な学生でしかないキラが戦場に駆り出されたことで、芽吹くはずの無かった戦う才能がすくすくと育ち、大輪を咲かせるに至ったのだ。もう彼は自分が最も望む、穏やかで温かく囚われる事のない普通の人生を送ることは出来ないだろう。
そんなにも心を砕いて頑張っているのに、守りたい物の多くをその手から零す。花をくれた子、荒んだ心に安らぎをくれた人、死なせたくない一心で掴んだ人。最終回ですらキラの心を折り砕きにかかる作劇、いつ闇落ちしてもおかしくない展開に直面して悔恨の涙を流しても、それでも彼は壊れずに立ち上がり、戦った。何故?
「それでも、守りたい世界があるんだ!」
SEEDを知らなくてもキラの名言として耳にしたことがあるこのセリフを改めて聞いた時、深く心を揺さぶられた。怨嗟と復讐に人心が荒廃し血で血を洗う地獄の世界を見て駆け抜けたキラ。その闇の中に何度叩き込まれても、彼は決して人の可能性を諦めなかった。このセリフを言った直後、金色の輝きを纏ったフリーダムが映るのですが、私はこの輝きを「フレイの真心が守ってくれている」と解釈した。
余談ですが、映画PVで「闇に落ちろキラヤマト」とあるけど、もう何度も何度も闇に包まれようが心が折れなかった御仁に随分気安く話しかけるじゃないかと馴れ馴れしさを感じた。
ジョージグレンの大罪
ガンダムUCの「可能性に殺される」というセリフはこういう事も含んでいるかもしれない。遺伝子操作によって圧倒的な身体スペック、学習能力、輝かしい栄光を歩み続けた初のコーディネーター【ジョージ・グレン】は、広大な宇宙への進出に向けて人類そのものの底上げが必要だと思いいたったのだろう。彼は常に彼方を見ていた。だからだろう。『人間は愚かである』という大事なことを失念していたのだ。
彼が自身を「調整役(コーディネーター)」と明かしたあの日、破滅に向かうカウントダウンが始まったのだ。その言葉に悪意はなかったのだろう。しかし持たざる者は、生まれ持った才能というどうしようもない相手に劣等感を持ち、それが社会全体で幅を利かせていく度に諦念や怒りへと変わっていき、「遺伝子で作った怪物」という御旗を手に入れて殺意へと変貌するのだ。
現実ではありえない「金さえ積めばいくらでも作れる生まれ持った上位者」が、そうでない者に特権を振りかざした結果「青き清浄なる世界のため」と大義名分で正当化した粛清を始める。そして始まる人種差別と殺し合いで砲火が絶えない世界。
20年前の作品だが、決して古臭くなどない。むしろ今、幅広い世代、各国に見て欲しい作品だと私は思った。HDリマスター48話で紡がれる終わりの見えない戦いの連鎖は「戦いとは何か」を知らしめるには十分だ。
フレイ・アルスター
「キラを戦わせて自分の復讐を成し遂げようとする悪女」が序盤のフレイだ。そのために忌避すべきコーディネーターのキラに接近して、言葉と身体でキラを包む。途轍もないねじ曲がった思想だが作品を通してみた場合。下心があったとはいえあの時のキラには絶対に必要な出来事だったから一口に悪女と評価出来ない。
そもそも彼女は世間知らずで失言の多い問題児であっても、平時であれば単なる女学生でしかないのだ。慣れない環境下、いつ死ぬかもしれないという状況でストレスも人一倍あった中、ようやく迎えに来てくれた最愛の父の死をモニター越しに見てしまったことで心が壊れてしまった被害者である。(あの時ラクスを人質にしようと進言したのはファインプレー。ああしなかったらあそこで沈んでいた可能性が高い。無理にでも誰かを責めるのであれば、軍としてではなく人としての考え方を優先して援軍に向かった艦長の判断ミス)
利用しようと誰よりもキラに接近した結果、フレイは知ることになる。周りから輝かしい評価を受けるキラではなく、疲れ果てて心をすり減らしながら、やりたくもない人殺しを続けて、けど誰にもその役目を譲れない、逃げることも許されない、可哀想なキラを。父を亡くした自分以上に過酷な彼にフレイは罪悪感でいっぱいになったのだろう。
ガンダムSEEDという作品上でほぼ何でも1人で出来るキラとは対照的に、最後まで主体的に何かをすることがほぼ何も出来なかったフレイ。キラを誘惑したのも仕方なくで、最後のカギを受け取ったのも成り行きで、ドミニオンから逃げたのも促されてと、流され続けた弱い存在。しかしそんな彼女だから、SEEDにおけるどのキャラよりも深くキラを知るに至ったのだろう。
そんなフレイは最終話で「守るから。私の本当の思いが、アナタを守るから」と、死してなおその心はキラと共にあった。この言葉もきっとキラに届いてはいない。思いなんてあやふやで実体のない存在の証明など誰にも出来ない。それでも、「思いだけでも」、その心に寄り添いたいと願ったフレイの姿は美しかった。この思いこそ、最終決戦時にフリーダムが金色に光輝いた現象だと私は思うわけです。
アスラン・ザラ
彼が仲間になるまでは本当に長かったし、紆余曲折がありすぎた。同時に、憎しみ合う争いを止めるにはどうすればいいのかを示してくれる希望として描かれていた。友達でありたい思い。友人を殺した憎い敵としての思い。キラへの感情は複雑さを増していき、とっ散らかっていった先に先鋭化した結果が【閃光の刻】だろう。
「これは戦争で、親友のキラは敵の軍人で、自軍のよく知った友人を殺めた。討ち取らなければいけない」と憎しみで心を濁し染め上げたアスランは強かった。迷いを払うのではなく塗り固めた状態で、鬼気迫るものを感じた。その戦いの中でキラの友人トールは、機体への衝撃で体がバラバラになり死んだ。目の当たりにしたキラも思うのだ。
「これは戦争で、親友のアスランは敵の軍人で、自軍のよく知った友人を殺めた。討ち取らなければいけない」と。
ガンダムにおける戦いはいろんな作品で見てきたましたが、これ程までに「戦い」ではなく「殺し合い」と呼ぶに相応しい戦闘は稀だと感じた。
そしてこの殺し合いこそ、ガンダムSEED全体における世界の縮図。
矛を収めるのは相手を滅ぼした時だけ。お互いの憎しみの連鎖がいつまでも終わらない。その果てに、アスランは重傷を負い、キラは奇跡的に生きていた。お互い、憎しみで目が濁って、親友であることを忘れて殺し合いをした。この出来事がキラに「本当に戦うべきものが何か」考えさせるに至ったのは言うまでもないでしょう。
仲間になって、正義と自由がその手を取り合った時、憎しみ合うことをやめて矛を収めた。それの答えこそがこの世界を救うだろう光になると私は信じている。
ラウ・ル・クルーゼ
人(ナチュラル)と、人より優れた人(コーディネーター)がぶつかり合う世界の中、クルーゼだけは特殊な立ち位置にいて、その考え方も最後まで魅力的な悪役だった。
ナチュラルもコーディネーターも、生まれ持ったものが違うだけで本質的には同じだ。しかしクルーゼのみ、「寿命の短いクローン」という存在で生まれた。人はどれだけ優れていても、どれだけ偉ぶっても最後は平等に死ぬ。しかしコーディネーターという存在が人類に新たな可能性を見せたことで、「思いだけではなく考え方すら」同じものを作れるのではないだろうかという、疑似的に寿命をも超越しようという神をも恐れぬ所業に至らせた。
人の飽くなき夢と欲望の果てに生まれたのはキラだけではなく、クルーゼも同じだった。そんな彼が暗躍し続けていた時に思ったことは何だったのだろうか?
彼は成り行きで連れてきたフレイに「戦争を終わらせる鍵」を持たせた。それは人としての一線を超える、いわば最後の扉を開く鍵で、核攻撃を使用可能にするニュートロンジャマ―キャンセラーの理論が描き込まれたファイルだったが、ここで1つ疑問が浮かんでしまうのです。「何故フレイにこれを預けたのか」。フレイがこれを壊すという考えを持っていなかったのか、そもそも「敵の罠だ」としてフレイごと撃ち抜かれる危険性もあった。
人類滅亡を本気で望んでいたのであれば、全く関係のない第三者を絡めるのではなく内通者に直接渡している。ニュートロンジャマ―キャンセラーの理論だってネットの海に漏洩させることも可能だった。綻びだらけの計画と思ったのだけど、キラとの最終決戦で「断末魔をあげず」「どこか満足した笑みを浮かべて」散っていった彼を見ると、
本当はこの計画が破綻することを望んでいたのかもしれない。
「フレイは自分の力で動きだせるほど強くはなく、ナチュラルにニュートロンジャマ―キャンセラーを与えれば必ず、エネルギー転用より先に核ミサイル増産に踏み切り、そこからナチュラル殲滅の報復としてザラ議長はジェネシスを起動させる」人間の愚かさを信じているからこそ成り立つドミノ倒しじみた計画。
「最後の扉」が開いた先に待つのは、殲滅を歌い滅ぼしあって、種としての繁栄を途絶えさせる地獄の終末だ。だけどクルーゼはこの扉の先に、地獄以外の救いがあることを本心では望んでいたと私は信じてやまない。
サイ・アーガイル
「やめてよね」でよく見たサイ。アークエンジェルを物理的に守り抜いたのはキラだが、サイは同乗する友人たちの精神面を守り抜いた、底抜けに良い奴だった。序盤、彼は物凄く嫌な目にあうし、人間不信になってもおかしくない裏切りも経験した。フレイをとられた怒りよりも、キラに勝ちたい・本気を出してキラにも勝てるぞという男の矜持を示したい一心でストライクに乗って暴走した時に流した涙は、とても印象に残っている。
その後キラとはぐれ、復活した時にかけた言葉がまたいい。
自分の本当の気持ちを全部ぶつけるのは、大人になると難しくなる。子供であっても難しい。仲の悪い相手ならともかく、気の置けない友人なら嫌われるかもしれないと臆病になりがちだ。それでもサイは逃げなかった。立派に向き合った。個人的にはこれだけで、サイの評価は爆上がりだ。
直後にキラから受けた言葉でようやくわだかまりも解けたのか、これ以降劇中においてサイの描写は少なくなる。自分の意志でアークエンジェルに乗り続け、メンタルケアも行い、暇さえあれば本を読んで勉強にも打ち込んでいた。秀才肌で終始いい奴だった。そんな彼の評価に一点の曇りを与えたのが、ラクスクラインの歌声に対し「あの声も遺伝子いじってそうなったのかな」という発言をしたことか。
個人的にあのセリフは「サイのような分け隔てのない良い奴であってもコーディネーターとの差別意識が無意識に刷り込まれている世界」の異常性を表したものだと解釈しています。
使いまわしバンクについて
何度も映されるシーンがある。しかし飛ばしたことはない。飛ばさなくて良かったと心から思う。何故なら最終盤にバルドフェルドさんは「人は慣れるんだ」という言葉を放った時に刺さったから。ニコルの死、トールの死、最初は物凄くショッキングだった。それでも何度も見ていく内に気にならなくなった。私たちは慣れてしまったのだ。本来悲しいシーンのはずなのに、気付けば何も感じなくなっていった。どこか空恐ろしい気分になった。
総評
もしも周りの評判が悪いとかって理由で見るのを控えている方がいたら、とにかく見て欲しい。評価など自分の目と耳で聞いて下せばいい。私はこの作品、見ることが出来てよかったと心の底から思いました。引き込まれた1話、大脱走からの砂漠へつながり、アラスカの洋上、オーブ到達、アラスカのサイクロプス、宇宙、ジェネシスへと物語は最後まで緩まることなく駆け抜けた。受け入れがたい物事とどう向き合い生きていくのかを問いかけてくるような物語でした。
明日からは運命を見ていきます、この調子なら月末までに劇場に足を伸ばせると今から楽しみで仕方ありませんね!
サポート1人を1億回繰り返せば音霧カナタは仕事を辞めて日本温泉巡りの旅に行こうかなとか考えてるそうです。そういう奴なので1億人に到達するまではサポート1人増える度に死に物狂いで頑張ります。