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「二人でも出来ないじゃないか」

ご多分に漏れずNHKでやっている(FOD=フジテレビオンデマンドでも見られる)アニメ『映像研には手を出すな!』にハマッているのは、僕も高校生の時に8mmフィルムでアニメを作ったり、大学に入ってまでもそんなことを続けていたからでもあるが、そんな自分のバックグラウンドを差し置いてもこのアニメには目を見張るような発想や美しい映像や演技が山ほど詰まっていて、毎回見終わる頃にはほとんど涙目になっている。

最新の11話(あと1回でとりあえず終わってしまうのだ……もちろん第2シーズンは必ずあると思うけれど)では、ずーっと気になっていた主人公の浅草氏と金森氏はそもそもどうやって知り合ったのか?という謎が解き明かされていて(第1話の冒頭で二人は既につるんでいる)、まったく痒いところに手が届くと喜んだ。時は彼女たちにとっては、今よりも少し前の中学生時代、場面は体育の授業で、みんなが二人一組になっているのだが、対人恐怖のある浅草氏と、彼女の目には番長のように怖そうに映る長身の金森氏だけがあぶれていて、無理矢理ペアを組まされるのである。

浅草氏は「私は一人で出来ますゆえ…」と逃げようとするのだが、先生は「一人じゃ出来ないでしょ」と無理にペアを組ませる。することは二人で背中合わせになって腕を組み、お互いが交互に相手を持ち上げるような体操なのだが、金森氏の背が高すぎて浅草氏には持ち上げることが出来ない。そこで出るのが上のセリフである。

帰り道、一人で歩いていた浅草氏のモノローグ。
「まったく! すぐ仲良しにさせたがる。
 社会生活なんかクソくらえだ(ここで小石を蹴る)。
 そうだ、将来の夢は仙人にしよう。
 友だちは欲しいけど……」

そこに金森氏が通りかかり、二人はあることをして、一緒に電車に乗ることになる。電車を待つホームで金森氏が浅草氏に言い放つ。
「『児童総お友だち説』は教育現場の妖怪信仰ですよ。
 お宅とは利害が一致しただけです。
 互いに相手がいなかったんですから」

おそらく原作の漫画にもこのくだりはあるのだと思うけれど(2巻まで読んだのだが、アニメを見る楽しみが減ってしまうのでその先を読むのを我慢している)、インタビューなどを読むと、この若い原作者も学校に行ってなかった時期があるようだ。日本の学校というシステムや環境のいびつさ、そしてそのままの延長線上にある日本の大人の社会をスパッと裁ち落として、その臓物を見せてくれた。

二人で同じ体操をすることは出来なかった浅草氏と金森氏は、数年後に芝浜高校に進学し、もう一人、水崎氏という仲間を加えて、映像研なるものを作り、クリエイターとプロデューサーという違う立場になって作品を生み続ける。ラインから大量に産み落とされる規格品から外れた者たちが自分の特質を自覚し、それを活かす。彼女たちはお互いを「友だち」などと馴れ合わず、存在を相互に補完し合う「仲間」とする。

『映像研』は、多くの人が他者との関係でついつい前景に置いてしまうがために傷を負う「情」をいったん後ろに隠すことの効能を説く。そして、その先に生まれる何かを見ようとする作品でもある。




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