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辛抱強い恍惚者たちの祭り 第8回新千歳空港国際アニメーション映画祭

 気がつけばもう1週間が過ぎていて。先週の今頃は、ホテルの自分の部屋で、山村浩二さんご夫妻や、そのお弟子さんたちと、新千歳空港のエアターミナルホテルの自分の部屋に集まって、ビールやらワインやらをしこたま飲んでたのである。もう1週間? 昨日のことのようだけど。

講演をするために呼んでいただいて初めて行った、もう第8回になる、新千歳空港国際アニメーション映画祭。無観客の講演をオンライン配信するために千歳まで行くというのもなんだか倒錯した行為だが、一向にかまわない。そして、きっとそうだろう、とは思っていたけど、本当に楽しかった。4日間のイベントだったが、このまま終わらなければいい、と思うくらいに楽しかった。

 そもそも「映画祭」なるものにそんなに親しいわけでもない。その昔(大昔だ)、渋谷パンテオンで行われていた東京ファンタスティック映画祭にただのお客さんの一人として参加していたくらいか(それは東京国際映画祭に併設される形で開催されていた)。しかも、映画がつまらなければすぐに寝ていた。僕は映画のBlu-rayを作るような仕事をしているのだが、映画を前に寝てしまうことがとても多い。

 アニメーションということで言えば、1985年から2年に一回開催されて、残念ながら2020年で終了した、広島国際アニメーションフェスティバルがあった。これは初期の頃、2回くらい会社の出張で出かけて、ロビーでレーザーディスクの売り子をやった。作品集がディスクになっていた作家の方々も立ち寄ってくださって、久里洋二さんなどは「サインしてやるぞ〜。手塚のヤツでもいいぞ〜。アトム描いてやろうか?」などと仰って、お客さんたちを笑わせていた。ディズニーのナイン・オールド・メンと呼ばれる古参アニメーターの一人ウォード・キンボールに日本盤の『ファンタジア』を謹呈したこともあった。

 直近では2018年の6月に、イタリアはボローニャのIl Cinema Ritorovato=復元映画祭というものに参加して、これはもう死ぬほど楽しかった。ボローニャには「チネテカ・ボローニャ」という、日本でいうところの「国立映画アーカイブ」のような映画保存、修復、上映の組織があり、そこには「リマジネ・リトロヴァータ」という映画修復のためのラボも併設されていて、ボローニャは世界的に見ても映画修復の最重要都市なのである。古い映画ばかりの映画祭なので(とは言え、初公開時のヴィンテージフィルムなどの上映は少数で、デジタル修復されたばかりの「最新の」古い映画がここに集まる)、たとえばカンヌとかヴェネツィアとかベルリンのようなコンペはないのだが、その代わりに、古い映画のDVDに対する表彰があって、その年、僕は自分が作ったロシアのアニメーション作家、ユーリー・ノルシュテインの作品集のBlu-rayをエントリーし、50本くらいあるノミネーションの中の一つになんとか収まって、それを理由に会社の出張という形で出かけたのだった。残念ながら受賞はならなかったけれど(受賞に輝いた作品の多くは、誰も聞いたことのないような映画を発掘したものだった。「レア度」の尺度がここではまるで違うのである)、まあ、来る日も来る日も往年の名画をいろんな形で観られて、そしてその間に、世界の同業者たちとも交流する機会を得て、これも本当に楽しかった。なので、昨年の2020年には妻と一緒に再び訪れようと、早々に飛行機のチケットまで取っていたのだが、コロナのせいで映画祭の開催自体が縮小かつ後ろ倒しになり、もちろんそう簡単に国外に出られない状況にもなり、泣く泣く諦めたのだった。KLMオランダ航空のチケットを現金で返してもらうまでに実に1年もの時間を要し、その間に会社が潰れなければ良いがと肝を冷やした。

 新千歳もボローニャと同じくらい楽しかった。その名称から「?」と思われる方も少なくないだろうが、上映は空港内に3スクリーンあるシネマ・コンプレックス(それぞれの席数は70〜200強といったあたり)で行われ、参加者のほとんど全員が空港内にあるエアターミナルホテルに宿泊する。そのシネコンの真向かいには温泉もあって、ホテルに泊まっている人はそこに入る料金もタダである(そうでない人が入るには1,500円の料金がかかる)。滞在中、2回入ったけれども、この温泉の露天風呂に入るときだけが(柵から背伸びすると、空港前の駐車場が見えた)、外気に触れる機会であった。本当に空港の中だけで完結している、コンパクトな映画祭である。

 なんてことをチマチマ書いていたら終わりゃしない。観た作品のレビューは別のページに書いているのでそちらを参照していただくとして、うーん、なんだろう、自分の中の死んでいた部分が蘇るような、そんな4日間だった。僕は1980年代中盤の学生時代に映画学校でアニメーションの勉強をしていて、実際に作ってもいて、しかし全く怠惰な学生でもあり、大した成果を残さなかった。なにより自分には絵を何枚も描くという忍耐もないし、そもそも絵が下手なので一枚一枚、なんとか使えるものにするだけでも大変な苦労が必要なのだった。これでは到底、そちら方面を自分の仕事にしても先が見えている。なので、就職バブルの中で、レーザーディスクの会社に就職した。当時出たばかりの最新のビデオパッケージのメディアであり、VHSなどよりも画質はいいし、またディスクならではの操作性の良さもあった。そこで映画やアニメのディスクを作ったり、その宣伝をしたりということをやっていた。言うなれば作品の「紹介者」という立場を取ることになった。それから30年以上の月日が経って、今振り返ってみるに、結果的にこのような仕事は自分には合っていた、と思える。

 そんなような人間が久しぶりに、たくさんの新しいアニメーション作品に触れた。全ての作家が完全に個人で制作しているわけではないけれど、それに近い環境で作っている人は多いと思う。その彼らが、自分自身の過去の出来事や、自分の思いや、生み出した物語を、「水増し」することなく短い映像にまとめている。ひとつの流れを練り上げ、絵を描くなり、立体の造形物を作るなりして、それらを動かし、映像作品として完結させる。そんな、並大抵ではできないことをやってのける人間が、同時代の世界中にこんなにもいるという驚き、というよりも恐ろしさ。アニメーションという手段を取ると、それを完成させるまでにおびただしい時間がかかってしまう。それを作ってる間の、「これは本当に完成するんだろうか?」「完成したとしてこれを誰が見てくれるんだろうか?」という心持ちの不安定さ、心もとなさというのは想像するだに余りある。しかし今、それをやり遂げた人々の成果が、目の前にこんなにも並んでいる。もう、それだけで平伏するばかりです。

 すべての作品を観たわけではないし(今、オンラインで会場では観られなかった作品も追っかけてます……これ11/19まで)、また先に言った広島の頃(30年くらい前の話だ)以来、こうしたアニメーションをまとめて観るようなことをしてこなかったので、何を語る資格もないのだけれど、大真面目に自分の心の奥底に沈潜していくような作品の比率が大きく上がっているように思った。たとえば、自分の親との関係をテーマにした作品は2つや3つでは収まらない。昔は単純に動きの面白さとか、楽しさ、あるいはナンセンスな笑いを追求するようなものがもっと多かった気がする。子どもの観客を意識したものももっとたくさんあった。それだけアニメーションというものがまだ若かったのかもしれない。ある雑誌の読者の年齢層が長年続けていくうちにどんどん上がっていくように、「アニメーション」にも年季が入ってきた。加えて、デジタルのハードウェア、ソフトウェアによってアニメーションの制作が以前よりも手軽に、個人的なものになり、私小説を書くように映像を生み出すことが出来るようになった。そこに自分の救済の道を見出した人も少なくないと思う。アニメーションというものがひとつの「ツール」として降りてきて、これを使えば自分の何かを形に出来るのだと気づいた。昨今、よく使われるようになった、実写の動きを動画に引き写す「ロトスコープ」という技法だって、『指輪物語』(1978)のラルフ・バクシの時代にはまずフィルムで撮影してそれを現像してそれを投影してそれを手で描き写して……という膨大なプロセスが必要だったわけだけど、今や、スマホで撮った動画をパソコンに入れてしまえばそのあとは、その箱の中で完結できるようになったから、みんなやるわけですよね。

 そのように裾野が広がってきたのは悪いことではないし、それまでになかったアニメーションの利用法というものがこのカテゴリーを豊かなものにしてきている。しかし、その中で自分の胸を打つのはどういうものかというと、まあ、実に年寄りくさい、オールドスクールの人間の発言になってしまうけれど、結局、それがアニメーションでなければ決して表現できない、他の乗り物では換えがきかない作品として成立しているか、ということになってくる。それは今回のように映画館の大スクリーンで観るとなおさらで、まず絵や映像そのものの魅力があるかどうかは、やっぱり大きい。映像に密度がある方が迫ってくる確率は高いが、それに限ったものでもない。練り上げられた空虚さというものもまた魅力だし、そこにある瞬間、別の要素が舞い降りてきた時の感動も大きい。

 大画面で思ったのはもうひとつ、汚しの問題。デジタルには意図せざる失敗やムラのようなものが入る余地がないので、多くの人がその豊かさに変わるものとして映像に汚しのレイヤーを入れてくる。その汚しの有り様、動きのサイクル一つとっても、それが作品の力になっている場合と、ただ汚しただけになっている場合とがあって、後者のようなのだったら、もうそのレイヤーはいっそのこと、外してくれた方が嬉しい。実写の映画やドラマでもデジタルで撮った作品にフィルムのように見えるグレイン(粒子)を足す、なんて行為は日常的に行われていて、まあ気持ちは分かるんだけど、しかしせっかく新しいフォーマットで撮ってるんだったらもっと違うアプローチで画面の魅力を高めることを考えたらどうなんだろう、と思ったりもする。スタジオジブリがフル・デジタルの作品でも、敢えてフィルム上映の時のような揺れを映像に足したりしてるのも、「そこなのかなあ」とちょっと思ったりしてしまうんです。

 とまあ、思いつくことをとりとめもなく書いてしまいました。強烈な「個」の数々に次から次へと触れることが出来て、本当に濃い時間を過ごしせたことが嬉しいです。ここ数年、ツイッターやフェイスブックのタイムラインを通じて、他人の「個」というものを望みもしないのに日々、ダラダラ浴びせかけられているわけですけれども(そして自分も垂れ流しているわけだけど)、即興的な刺激と反射で語られる刹那的なそれらと違って、一枚一枚を描く時間の中に、一コマ一コマを撮影する時間の中に、まるで藁人形に釘を差すように自分の怨念にも似たサムシングを打ち込んだ作品たち。それほど熟成させたものが1秒に24コマも、あっという間に流れていってしまう儚さ、切なさ。そこに官能を覚えるのだと思います。

 いや、しかし。今回のトークの中で岩井澤健治さんが、今作っておられる作品の絵をチラ見せしてくださるのがあって、そこに、もう細密画のように描かれた海の波の絵があったんですね。で、岩井澤さんはそれを描くのが楽しくて仕方がないんだと。だから、まあ、やっぱりそういう人がこういうことをやってるんです。僕のように絵の下手な人間から想像すれば苦行でしかないものが、この人たちにとってはもちろん苦しい部分はたくさんあっても、他では得られない麻薬的な悦びでもある。結局、一番楽しいのは彼らなんだ。羨ましい。この辛抱強い恍惚者たちに心からの賞賛と拍手を贈ります。

  そうだった、オレはこういうものが好きだった。個人の誠実な思いが丁寧に昇華された「表現」というものが。そしてそれらを生み出す人たちが。映画祭というものは、自分の居場所、いたい場所、自分はそこに属していたいというコミュニティを再確認させてくれる場所でもあるのだった。


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